第34話 世界を変える

 イェルド様の呪いは無事に解呪された。


 あの時あまりにさらっと告げられたので、もしかするとアンナを落ち着かせようとしてイェルド様が優しい嘘をついたのかもと思ったが本当だった。

 呪いはエレオノーラ様によって跡形もなく解呪され、世界にはちゃんと平和が訪れていた。

 もう抜け毛に怯える必要はないのである。


 魔王の呪いから世界を守り、終末論を掲げる邪神教徒の襲撃からイェルド様の髪を守る。


 初めはなぜこんな田舎娘にそんな重責を背負わせるのかと青ざめたけれど、実際はお城の一番良い客室でおいしいご飯と紅茶とおやつを堪能しながら、イェルド様と手を繋いで過ごしていただけであった。


 おおむね穏やかな日々を送っていたと思う。最後の最後は衝撃的だったけれど。


 ニーマン侯爵家の企みにアンナが巻き込まれたことで〝家格との問題〟を指摘され、アンナは聖女になるためにセーデン男爵家の籍から抜けて、今日「聖女任命式」をエレオノーラ様と無事に終えた。


 王都神殿での式は確かに人の少ない静かなものだったが、そのぶん厳選された立会人たちは皆とんでもない覇気を放っていて倒れそうになったアンナである。


 アンナにとっては聖女任命式よりも、解呪のための約一ヶ月のほうが世界の危機だったにも関わらずよほどのんびりとしていたように思う。どんなことがあっても必ずイェルド様を守るのだ! と意気込んだわりには拍子抜けするような毎日だった。


 今日から恐れ多くもアンナの義理の父となった司祭様にそうこぼしたら、彼は朗らかに笑って言った。


 「元より邪神教徒どもからイェルド様を守ってもらうために聖女様をお呼びしたわけではありませんからなあ」


 「え!」


 聖女様呼びをやめてもらおうと開いた口から、調子外れな声が出た。

 では自分はいったい何を期待されて呼ばれたのだろう。


 「普通に寝ただけでも枕との摩擦で髪が抜けるかもしれないし、思わず頭をかいたら髪を傷つけてしまうかもしれない……そんな些細なことが世界を滅ぼすことになり得るのです。まともな生活はできません。聖女様に守っていただきたかったのは、イェルド様の穏やかな日常です」


 そう言われてみれば確かに偉いおじさんたちの誰からも「邪神教徒から髪を守れ」とは命じられていなかったことに気がつく。


 「日常……」


 少し離れたところでエレオノーラ様と話をしているイェルド様を眺めながら、アンナは出会った時の彼の疲れた顔を思い出した。

 次の日の朝にまだくまの浮く目元を嬉しそうにほころばせて「ぐっすり寝られた」とお礼を言ってくれたことも。


 平和というのは案外「ぐっすり寝る」というような、そういうなんでもないことの積み重ねなのかもしれない。

 そう思ってイェルド様の健康的に輝く金髪を見たら、なんだか急に達成感が胸に募った。


 邪神教徒たちやニーマン侯爵が壊したかったのもそうした普通の生活で、それを見事に守りきれたのだとしたら、分不相応な〝聖女〟の肩書も少しは身に馴染むような気もした。


 そして願わくばイェルド様とこの先も一緒に、平和な日々を過ごしたいとも思った。


 故郷の平和な日常を守ろうと必死になるアンナを軽んじる血の繋がった家族ではなく、魔王の呪いが髪に宿っているという異常事態でも人を気遣うことができて、「ありがとう」と言ってくれるイェルド様と。


 〝あなたを尊重してくれる人と一緒に生きてほしい〟と、あの時スサンナさんが言ったとおりに。


 そのスサンナさんの目論みどおりにあの事件の関係者全員の処刑と、彼女の実家と嫁ぎ先、ニーマン侯爵家の取り潰しが決まった。彼女はそれを聞いてほっとした顔をしたという。


 アンナはどうしても自分の境遇によく似たスサンナさんの命をあきらめることができなくて、勇気を振り絞って彼女の助命を陛下に願い出た。


 イェルド様たちの加勢を得て、呪いから髪を守るという任務に就く際に陛下がアンナにくださった「この問題において起こった何らかの不備は一切不問とし、アンナ・セーデン男爵令嬢の名誉はアレクサンデル・アベニウスの名において保証される」という言葉を盾に押しに押した。


 アンナだけではなく、なんと第三王子殿下も王族の特権をぶんぶん振り回して自分の乳母の罪を軽くしようと奮闘した結果、スサンナさんは平民となり神殿預かりになった。

 彼女は一生神殿から出られないが、〝家族〟の犠牲となって命を散らすよりずっといい。そう言って涙した殿下は、正しくスサンナさんの〝家族〟だった。


 それを見て、「家族の愛を乞うて縋りつくのではなく、お互いに愛を与え合うことができる人と家族になるべき」と、そう言ったスサンナさんの言葉の正しさを、アンナは目の当たりにしたのだと思った。


 あの日イェルド様が言ったように、自分の身を置く環境を変えるべきなのだろう。自分の住む世界を変えるべきなのだ。


 そしてその世界で、イェルド様と平和な日常を過ごすことができたらいいなと強く思う。


 ぐっと拳を握りしめ、アンナは決意した。

 彼の手を取りひざまずいて願おう。


 私と家族になってください、と。




end

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

救世の英雄とまもりがみ 万丸うさこ @marumaru-usausa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ