第07話 レグルスな少年

 その夜。

 夜掴やつか帆澄ほすみは、ロングカーディガンを風に揺らしながら、星を眺めていた。


 

 春の星空は、冬や夏ほどには豪華ではないにせよ、それなりの物語がある。空で煌めくレグルスとデネボラを繋げては獅子座を描いたり、そこからアークトゥルスとスピカを繋げて三角形を描いては、微笑をもらす。



「仏頂面よりも、そっちの不敵な笑みの方が似合ってますよ、先輩」



 背後から現れたのは、ルームメイトの壱條いちじょう侑生ゆう帆澄ほすみに比べると一回り背は低いものの、がっちりとした体つきの青年だ。部屋から持ってきた缶コーヒーを投げて渡すと、自らもまた空を見上げた。



「後輩指導しなきゃなんねーからって、ムキになること無いっスよ。気楽にやりましょうぜ。それに、毛玉ちゃんが可愛そうだ」


「はは……。分かってるさ。だって、らしくないことしてるなって自覚くらいある」



 手のなかでコーヒーを転がす帆澄ほすみ。その姿は、昼間に明心あけみたちに見せるものとは、ほとんど別人だった。甘く蕩けてしまいそうな声。春の陽光のような温かな眼差し。壱條いちじょう侑生ゆうよりも背も高く、体格もがっちりしている筈なのに、目の前には純粋な少年がいるような錯覚に陥ってしまう。グラウンドで見せる鬼の姿など、どこにもない。



「でもね、壱條いちじょう。僕らがヘラヘラしてたら後輩はどう思う? それでやっていける世界だって、勘違いしてしまうだろう?」


「考えすぎっスよ。現に俺や先輩はやれてるでしょ」


「ははっ。よく言うよ。久珂ひさかにボコされてたくせにさ」


「み、見てたんスか!? いやいや、あれはですね――」



 慌て始める侑生ゆうの様子を見て、くつくつと笑う帆澄ほすみ。それから、「冗談だよ。あれは別格だからね」とコーヒーに口を付けては、苦々し気にする。



「強かった?」


「ま、まぁ? 本気は出してねぇーですけど……やるじゃん? って感じには強かったスね」


「あのさぁ、知ってると思うけど、僕は嘘つきが嫌いなんだ」


「うっ……本気出す暇さえ与えてもらえねぇかったです。はい」


「ははは。流石は、。――反吐へどが出る話だよ。まったく」



 表情も声色も変えずに、怒りを吐露する帆澄ほすみ。先ほどまでの陽光のような瞳が、虎狼の冷たい眼光へと変わり、侑生ゆうは思わず身震いをする。それから、普段の鬼先輩としての姿より、こっちの方が怖いんだよなぁなんて思う。



壱條いちじょう家と久珂ひさか家。同じ五大名家の筈なのに、どうしてこんなに差があるんだか……」


「……言葉もねぇです」


「君を責めてるわけじゃない。家と家の話さ。たぶん、月雲つくも家、壱條いちじょう家、鏡極きょうごく家、漆種さいぐさ家が束になっても、いまの久珂ひさか家にはかなわないだろうね」



 五大名家なんて言うが、それは過去の話だ。帆澄ほすみは溜息まじりに憂いの瞳を空に向ける。実態としては、久珂ひさか家が一強の状態で、二番手として月雲つくも家、その下に壱條いちじょう家、鏡極きょうごく家、漆種さいぐさ家と続く。


 五大名家のバランスが崩壊しているだけの問題ではない。これは内政問題に直結している。国政を大臣や、官僚の要職、さらに軍部や治安維持隊のトップも久珂ひさか家もしくはその息がかかった人間が牛耳っている。この国の政体としては、建前として議会民主制を採用しているが、その実態は久珂ひさか家による一家独裁。権益のほとんどは彼らによって食い尽くされて、おこぼれを他の四家がもらう状態。当然、臣民にはほとんど還元されることはない。その惨状を、みかどが憂うことはあったが、久珂ひさか家は制度改革をしているや公平感を出すための演出をすることはあっても、根本的な解決に乗り出そうとしたことは一度も無かった。


 久珂ひさか家打倒を掲げられる勢力があるとすれば、それは月雲つくも家だった。曲がりなりにも二番手であり、遠い過去には久珂ひさか家をも凌ぐ実力を持っていたという歴史もある。それこそ千年前に、〈暁鴉あけがらす〉の脅威を取り去ったのも、月雲つくもの一族だ。だが同時に、それは単なる過去の栄光。久珂ひさか一強を崩す可能性は、万に一つはあるかないかと言ったところだ。



「その万に一つの可能性さえ潰しにかかる……。久珂ひさか乃渚のなを結びつける。本当に酷い縁談があったもんだよ」




 ―― YATSUKA夜掴 HOSUMI帆澄 ――

 ―― TSUKUMO月雲 AYASHI絢志 ――


 

「少しは察してくれよ、壱條いちじょう。僕が今年の一年に嫌われたい理由をさ」




 *****




「そうは言っても、毛玉ちゃんにあそこまで当たんなくてもーとは思うんスけどねぇー」


 

 空を仰ぐ侑生ゆう。遠回しとはいえ、先ほどから何度も相村さがむら明心あけみのあだ名を出しては、これまでの帆澄ほすみのやり方を諫める。


 侑生ゆうだけではない。指導係のほぼ全員が、感じていたことでもあり、「やりすぎだ」と帆澄ほすみに注意したのは一人や二人ではない。



「痛いところ突くなぁ。まぁ……ちょっと別件でね。あの子は、僕にとって特別な子なんだ」


「特別ぅ?」


「そっ。。だから、できれば帰って欲しかったんだけど……あの感じじゃ無理そうだよね」



 自嘲気味に笑う帆澄ほすみ。「帰れ。ここはお前が居ていい場所じゃない」か、と初日に投げた言葉を復唱しては、自分の頭を激しめにかいた。六年前に助けた女の子だということは、一目で分かった。自己紹介で、「月雲つくも絢志あやしに会いに来た」と真っすぐな目で言われたときは、その場で悶絶しそうになったけれど、内心ではすごく嬉しかった。だが同時に、絶対に来てほしくないと願っていた。この世界での厳しさも、残酷さも、何もかも分かってない。


 何しに来た?

 死にに来たのか?

 とっとと帰れ!


 焦る気持ちを抑えながら、飛び出した言葉が、結果として大切な子を傷つけるものになってしまった。明心あけみのグランドを去る姿を見ながら、もっと言いようがあっただろと、自分の言葉足らずをどれだけ恨んだことか。



「安心しなよ、侑生ゆう。作戦変更することに決めた」


「おっ! じゃあ明日から優しい月雲つくもサンが見られるんすね?」


「いいや。鬼先輩から危険物処理班になる。いまのあの子は、核のボタンを持ってる赤ちゃんみたいなもんだからね」



 力が出せないうちなら、まだ放置する選択肢もあった。だが、〈幻身うつしみまとい〉を使い始めたのでは、話は別だ。



「酷ぇ言いようっスね」


「はは、どっちが。大切な人を毛玉呼びされるのは、結構我慢の限界なんだけど?」


「……っス」


「本気で怖がるなよ、壱條いちじょう。冗談だよ」









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る