第03話 毛玉と呼ばれて

「よっ、。今日もはりきってんな!」


「だから違うって……。はぁー。もういいよそれで」



 天ノ峰あまのみね学園に入学してから一カ月が過ぎたころ、すっかり明心あけみに対する呼びは定着してしまい、本人も訂正させることをついに諦め始めていた。


 ルームメイトの奏瑚かこにも相談したが、これまた適当なアドバイスしかしてくれなかった。一言目には「でしょうね」。二言目には「自称・夜掴やつか帆澄ほすみのライバルって言われるよりマシでしょ」。そこで、もっと真剣に考えてよと言うと、「普通科の私にどうしろと?」と返された。奏瑚かこの味方でいてあげる発言は、一体全体何だったのか……。



「ふんだ。奏瑚かこのばーか」



 ウォーミングアップのためのランニングをしながら、普通科の校舎が目に入り思わずそう呟く。やはり袴姿での走りは慣れない。奏瑚かこは、この辺りの苦労を知らないから、適当なことが言えるのだと悪態を吐く。


「なぁにが、『〈幻身うつしみ〉の姿が毛玉じゃなくなったら、毛玉呼ばわりされなくなる』だ。出来たらやってるってーの」


 とはいえ、もっと壮絶な虐めも覚悟していた明心あけみだったが、毛玉呼びで揶揄からかわれること以外に、これといった実害がない。喜ばしいことだが、これには少し拍子抜けだった。原因はよく分からない。あの「打倒宣言事件」以降は、特に目立った行動をしなかったからだろうか。それとも、明るい性格が、功を奏しているのだろうか。もし、奏瑚かこに訊けば、「眼中にないだけでしょ」とバッサリ切られることが容易に想像できて、明心あけみは思わず悔しさに拳を握る。


 実際、夜掴やつか帆澄ほすみとはおろか、同級生とさえ実力の差は明らかだった。狐に、兎に、馬に、犬……周りの同級生は、曲がりなりにも〈幻身うつしみ〉を形あるものとして現界させることに成功している。多くの人は、〈幻身うつしみ〉に言うことを聞かせるレベル――いわゆる使という部分で苦心しているようだ。


 それに比べて明心あけみは、辛うじて〈幻身うつしみ〉と呼べなくもない謎生物を生み出すことができる程度。当然、言うことを聞かせるなんてことは、まだ先の話だ。初めのうちは、その程度でよく打倒宣言したなと馬鹿にされたが、そのうち忘れられるか、酷すぎる有り様に同情さえされるようになっていた。



「おはよ、明心あけみちゃん」



 トン、と肩を叩かれる。振り向くと、涼し気な笑みを浮かべている同級生――七穂ななほ早稀さきの姿があった。さらりと風に揺れる髪。ふわりと漂う甘い香り。彼女の爽やかな雰囲気に気圧されて、思わず明心あけみは「うぉっ」とのけ反ってしまう。



「お、おはようございます」


「あはは、なんで敬語なの?」



 そこへ、すっと早稀さきの肩に一羽の藍色の鷹が舞い降りる。彼女の〈幻身うつしみ〉だ。いつ見ても整った美しい毛並みだと、明心あけみは息を呑む。それだけではない。しばらくすると、後ろからやって来た群青のイルカが早稀さきの周りを周遊し始めた。



「も、もしかして……二体……操れるんですか?」


「もー。だから、なんで敬語なの? ――そうだよ。最近だけどね」


「すごい……」


「すごくないよ。夜掴やつかさんは五体くらい操れるんだったかなぁ」

 


 なんでこんな人が、私なんかと並走しているんだろう。明心あけみは不思議な感覚に襲われた。唯一、毛玉呼びをしない人物として「いい人」認定をしていたが、同時にレベルの差にゆえに近づきがたい存在でもあった。


 きっと神様は、世界のバランス調整に失敗したのだろう。そうでなければ、容姿も良くて、誰にでも優しくて、しかも〈幻身うつしみ使つかい〉としての能力も高いなんて不公平だ。


 目をつぶれば、憧れの月雲つくも絢志あやし七穂ななほ早稀さきが並ぶ姿が簡単に想像できる。でも、もし、そんなふうになれたら?



「どうすれば……」


「ん?」


「どうすれば、毛玉じゃなくなりますかねっ?」

 


 質問をして、すぐに明心あけみは、なんて馬鹿なことを訊いているんだろうと口を覆った。たまたま隣にいるだけで、目の前にいるのは、本来ならレベル違いの相手。ポカンとしたままの表情を浮かべる早稀さきを見ては、ほら困らせちゃったじゃないかと反省する。そして、すぐにいっそのこと笑い飛ばしてくれと思う。



「ご、ごめんなさい! いまのナシです! 忘れてくだ――」


「大丈夫だよ」


「――へ?」


「最初はみんなそうだよ。よかったらトレーニング付き合おっか?」



 もしかして天使かな?

 明心あけみは、しばらくほうけたまま普通科棟の前を後にした。




 *****




「今日おこなうのは、対術師の模擬戦だ。いまから君たちには、大学部生を相手に戦ってもらう」



 ランニングを終えて、集合したあとに待っていたのは、夜掴やつか帆澄ほすみの鬼とも思える指示だった。七穂ななほ早稀さきなんかはともかく、新入生の多くはまだ使役をまともにできない。顔を見合わせては、狼狽の表情を見せ合う。


「ちょっと待ってください――」


「反論はなしだ。まだ、使役できてない? 知らないな。そんな理由で、〈暁鴉あけがらす〉は見逃してはくれない」



 〈暁鴉あけがらす〉。


 その言葉が飛び出した瞬間、その場にいた全員の表情が凍り付いた。正確には、明心あけみ早稀さきを除いて。明心あけみの場合は、「アケガラス、ナンジャソリャ?」状態のため論外。早稀さきは〈暁鴉あけがらす〉に関して恐怖を抱いていない例外中の例外。〈暁鴉あけがらす〉の名前を聞けば、震えてしまうのが普通の反応である。


  帝都に住む人間にとって、〈暁鴉あけがらす〉は恐怖の代名詞であり、帝都を脅かし続ける厄災の名前として古くから知られてきた存在だ。


 始まりは、千年前に遡る。都の全てを焼失させ、破壊と虐殺の限りが尽くされた惨劇が、暁鴉あけがらすを名乗る異能一族によって引き起こされた。暁鴉あけがらす一族が生み出す〈幻身うつしみ〉は、破壊の能力――あらゆる物を燃滅しょうめつさせ、世界を黒く染め上げる能力――を持っており、焦土と化した都は、文字通り黒く染め上げられることとなった。


 結局、その騒乱は、月雲つくも家によって鎮められたが、その残党は〈暁鴉あけがらす〉を名乗り、歴史の転換点で帝都を混乱に陥れてきた。いまこの瞬間も、帝都のどこかに潜んでは、破壊工作をおこなおうとしているかもしれず、〈暁鴉あけがらす〉は当局が常に目を光らせている過激派テロリスト集団となっている。


 先日も、五大名家の一つである久珂ひさか家の別荘が破壊されるという事件があった。帝都郊外でおこったこの事件は、〈新生・暁鴉あけがらす〉を名乗る組織が犯行声明を出したことで、注目を浴びた。同時に、〈暁鴉あけがらす〉は決して過去の存在などではなく、いまも社会に混乱を与え続けている脅威なのだと改めて認識させた。



「君たちがまだ戦えないことは知ってる。だが、明日襲われたらどうする? 戦い方を教えてもらってないからと、あの世から恨んでも遅いぞ。これから、俺たちが模擬戦をし、最低限の対処法を叩きこむ。いいな」


 そんな無茶苦茶な、と叫ぶ同級生。けれど、それはまともに〈幻身うつしみ〉を現界できるからこそのセリフだ。明心あけみは、最悪一般人のフリができる。だから、特別メニューが言い渡されるんだろうな……なんて思っていた。



相村さがむら。お前は特別メニューだ」


「やっぱりですか。何すればいいですか?」


「俺と組め」


「分かりました。じゃあ、隅の方で――ふぇ?」



 隅の方で大人しくしていますね、と言おうとしたところで、腕組みをした帆澄ほすみが目の前に立ちはだかる。途端に、体中から変な汗が流れ始めた。けれどそういう時こそ、変な思考になるもので、悠長にも「この人も毛玉呼びしなかったなぁ」なんて思い出す。毛玉と呼んでくれたらどれだけ楽だっただろう。明心あけみは生まれて初めて、毛玉と呼ばれたいと切に願った。


「まさか、戦えないなんて言わないよな。――お前が持っているそのは、いつまでもお前を守ってくれないぞ?」









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