第04話 はじめての模擬戦の相手

 どうしよう!


 

 夜掴やつか帆澄ほすみに相対した明心あけみは、眼前の男を凝視しつつ、頭をフル回転させていた。


 戦ったとして、まず勝てない相手だということは、その立ち姿で分かる。腕を組み、仁王立ちする夜掴やつか帆澄ほすみの放つ気迫はすさまじく、〈幻身うつしみ〉を出現させていないというのに、彼の背後には鬼が控えているような錯覚に陥る。


 あるいは獅子か。夜掴やつか帆澄ほすみは、〈獅虎装しどらそう幻身うつしみ〉の使い手として有名だが、彼自身が獅子を纏っているようにも思える。


 ならば、逃げる――というわけにもいかない。走ったところで、逃げ切れるわけがない。袴を身に着けている状態のいまはなおさらだ。



「どうした?」


「?」


「早く〈幻身うつしみ〉を現界させろ」


「それは……」


「それとも、俺程度なら生身で十分か?」



 いちいち癪に障る言い方だ。明心あけみは小さく舌打ちをする。


 できるものならやっている。けれど、いまの明心あけみでは、黒い毛玉が戦力として加わるだけ。〈幻身うつしみ〉を実体化させるためにある程度の精神力を消耗するが、使えない戦力が増えるくらいなら、無駄な消耗を避けたほうが賢明だ。


 それが分からない明心あけみではないし、帆澄ほすみもまた指導係として明心あけみの現状を理解していないわけではない。それなのに、〈幻身うつしみ〉を現界させるように指示するとは――嫌味でしかない。明心あけみ帆澄ほすみを睨みつける。


 改めて見れば、ムカつく立ち姿だ。〈暁鴉あけがらす〉に襲われた際の訓練と言いながら、帆澄ほすみは腕組みをして構えている。そもそもその場から動く気が無いのだ! どうせ、この訓練も、自分をシメるための口実に過ぎないのだろう。なら、コイツは、生意気な後輩を、痛めつけて満足したいだけの小さな器の男だ。図体と態度がでかいだけの、ただのクズ男だ。



「なんで……私ばっか……」



 ギリっと奥歯を噛む。


 そうだ。全ての不幸は、この男の詰まらない憂さ晴らしから始まったのだ。護国勲章を持っている? 〈獅虎装しどらそう幻身うつしみ〉が使える? さぞや凄い力の持ち主なんだろう。だが、その程度だ。私が知らないということは、その程度だ! 実際、入学するまで、夜掴やつか帆澄ほすみなんて聞いたことがなかった。明心あけみは心のなかで、そう叫ぶ。


 けど明心あけみは、月雲つくも絢志あやしのことなら知っていた。こんなしょうもない男とは天地の差だ。強くて、優しくて、頼りがいがあって、なによりも明心あけみを闇のなかから救い出してくれた大切な人。だから、月雲つくも絢志あやしのことならたくさん調べた。それによると、どうやら夜掴やつか帆澄ほすみと同じように、護国勲章を弱冠十五歳で受けており、〈獅虎装しどらそう幻身うつしみ〉が使えるらしい。つまり、同じステータスだ。それなら、どちらの方が上か、日を見るより明らか。


 かたや、明心あけみを救ってくれた恩人。かたや、ふんぞり返っては、いちいち目の敵にしてくる最低な奴。その最低男――夜掴やつか帆澄ほすみが、月雲つくも絢志あやしへと続く道を、妨害しているかのように思えてきた。



「アンタなんかッ!」


  

 心拍数が上がる。


 すると途端に、明心あけみは、身体の奥から血流にのって自分ではない何かが込み上げてくる感覚に襲われた。それは、揺れる陽炎のようであり、ドス黒い重油のよう。そして、身体のうちにとどまるものではなかったのだろう。ついに身体から這い出してきたそれは、一羽の影の巨鳥を形成した。


 巨大な鴉だ。



「おい、見ろ! アイツ……」


「毛玉しか作り出せなかったんじゃなかったのか?」


「一体何が……」



 羽ばたけば巻き起こる辻風。黒い風に煽られて、横で対術師の訓練をしていた誰も、ふとその足を止めて明心あけみの方へと視線を向ける。訓練は中断。異様な雰囲気を纏う巨鳥に目を奪われては、戦う気力など起きるはずもなかった。



「アイツ……実はあんな〈幻身うつしみ〉を生み出せたのか?」


「いやいや、生み出せるくらいならできるだろ。問題はこっからだ。使役できんのか?」


「無理だろ。威嚇するくらいならできるかもだけどな」


「ひょっとしたらやっちまうかも? ……でも相手が悪ぃよ。初戦が夜掴やつかさんなんて、アイツもついてねぇよな」



 渦巻く困惑。そこへ、どうせ無理だろという嘲りと、もしかしたらという期待が混じる。だが次の瞬間、その場にいた誰もが目を丸くした。


 明心あけみが鴉を纏ったのである。

 着物でも羽織るかのように。


 かと思えば、一羽の鴉が空を滑空するかのように地を駆け、影によって紡がれたやいば帆澄ほすみ目掛けて叩きこむ。さながら、瞬間移動をしたかのような動き。その場にいたほとんど全員が、何が起こったのかを理解できなかった。かろうじて目で動きを追えた数人も、あまりにも早い動きに言葉を失う。


 唯一対応できたのは、夜掴やつか帆澄ほすみだった。帆澄ほすみは真っすぐに突っ込んでくる漆黒の影めがけて右手を出すと、ただ一発――デコピンを食らわせた。



「――ッ!」



 揺らめいていた無形の影。それが、帆澄ほすみがデコピンを放つと、まるでガラスのような繊細な固形物であったかのように音を立てて砕け散る。明心あけみが纏っていた影も、影で紡ぎあげた刀もまた、一瞬にして粉砕された。



「痛ーッ!」



 ひたいに一撃を食らわせられて、のけ反った明心あけみは背中から地面へと叩きつけられた。受け身など取れるはずがない。


 痛みに堪えながら、起き上がろうとする明心あけみ。そこへ、頭上から突き刺すような氷の視線が注がれた。 



「〈幻身纏うつしみまとい〉の学内での使用は、原則許可されていない。術師の精神を酷使する危険な技だからな」


「ウツシマ……? 何です?」


「それとも、単なる〈幻身うつしみ〉の暴走か?」



 嗤われたような気がして、明心あけみ帆澄ほすみを睨みつけたが、向けられていたのは、怒りでもなく、嘲笑でもなければ、呆れにも似た無感情だった。不快感ですらない。まるで、ひっくり返って動けずにいる虫を見るような視線を投げられては、明心あけみは何も言い返せなくなってしまった。


「自分の〈幻身うつしみ〉を制御できないとは、お笑い草だな。だから言ったんだ。お前に〈幻身うつしみ使つかい〉は向いてない。帰れ」


「――ッ!」



 ふと、そこで帆澄ほすみの視線が明心あけみのすぐ横へと向けられる。見ると、月と雲が描かれたお守り。どこかのタイミングで落としてしまったのだろうか。だが、はじめ明心あけみは、落ちているそれが自分のお守りだと気が付くことができなかった。


 あまりに変わり果てた姿。


 お守りは半分に裂けていた。



「う……そ……でしょ?」



 表情を失う明心あけみ


 大切な人から貰ったお守り。これまで肌身離さず、大切に扱ってきた。それが、目の前で無惨な姿で転がっている。その現実が受け入れられなくて、もはやその場から動くことさえできない。


 そうこうしていると、おもむろに帆澄ほすみが裂けたお守りを拾い上げた。まるで、誤って小学生が学校に持ってしまった玩具でも見るかのように、お守りを見つめては、小さく溜息を吐いた。



「か、返してください! それは――」


「ガラクタだ。もう必要ないだろ」


「が……ガラクタっ? 撤回してください! それは大切な人に貰った――」


「これは、お前の力を封じ込めるための月雲つくもの呪符だ」



 お前にとっては鎖のはずなんだけどな、と帆澄ほすみは瞳を閉じて手のなかのお守りを撫でる。すると、たちまち裂けていたお守りは修復され、さらにこれまでの汚れや傷も綺麗になった。


 そして、帆澄ほすみは自分にさえ聞こえない声で呟く。「こんなになるまで大切にするなら、こんなところに来るなよ」、と。それから、帆澄ほすみはしゃがみ込んで、明心あけみに視線を合わせた。



「お望み通り返してやる。一生、毛玉でいるか、それとも、捨てて力の制御を覚えるかはお前が決めろ」




 *****




「なーんだぁ。明心あけみちゃん、〈幻身うつしみ〉ちゃんと使えるじゃん」



 帆澄ほすみ明心あけみの戦闘による土煙がまだ収まらないなか、少し離れた場所から、七穂ななほ早稀さきはその様子を涼し気な笑みで見守っていた。足元には、襲い掛かる術師役に選ばれた可哀想なパートナーが転がっているが、早稀さき自身の袴には埃ひとつついていない。


 腕に留まった藍色の鷹の姿をした〈幻身うつしみ〉の頭を撫でながら、早稀さき明心あけみの生み出した〈幻身うつしみ〉の姿を思い浮かべる。不気味で異様な姿をした黒い鴉だった。目に焼き付いた姿に、早稀さきはわずかに恍惚の表情を浮かべた。



「えへへ。――見ぃつけた」









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