第12話 蘇る千年前の亡霊

「皆殺しだ」



 スカーレットの言葉。


 その言葉を聞いた瞬間に、明心あけみの心臓が大きく動いた。頭に浮かぶのは、破壊されたベーカリーに無惨に切り刻まれたむくろが積みあがる、そんな未来の光景。一面にまき散らされた赤の上を歩いては、動かなくなった大切な人を抱き上げる自分がそこにはいた。


「させて……たまるか……」


 その途端。

 明心あけみは自らの影に飲み込まれた。




 *****




 落ちていく。


 明心あけみがハッとして瞳を開くと、そこは真っ白な世界だった。まるで海の底へと沈んでいく感覚。時間の流れは本当にゆったりとしていて、心のなかまで真っ白になっていくような静寂に包まれている。けれど、不思議と恐怖もなければ不安もない。


 上を見上げると、数羽の鴉。下へと向かって飛んでいく。かと思えば、自分が数秒前までいた上空付近で、鴉たちは水に垂らされた墨のように形を失っては、周囲へと広がっていった。


 ゆらりと漂う黒の濃淡が、やがて地面を描き出し、木々を生み出し、建物を生み出し、そこに生きる人々の様子を蘇らせる。きっとここは、誰かの作品のなかかもしれない。明心あけみがそう思った時、水墨画の作者が筆を走らせる。



 描かれるのは、千年前の物語。


 

 明心あけみの目の前に描かれたのは、長髪の切れ長の目をした女だ。その女が、明心あけみの遠い祖先であることは、直感で理解した。



「逃げろ! 早く!」



 女が叫んでいる。視線の先には、数多の黒い影が揺らめいていて、それらはみな、女の家族であり、親類であり、あるいは親友だった。


 黒と白で描かれる物語。

 そこへ、一人の男が刃を振るう。

 すると、「赤」が生まれた。


 途端に、それまで黒の濃淡で表現された世界は赤に染まった。地面も、人も、背景物も、空さえもが赤く染め上げられていった。



「みんな……殺されたの?」



 明心あけみの心臓が早鐘のように打ち始めると、それまでゆっくり流れていた時間が加速を始めた。平穏な世界を上書きしてしまった赤は、立方体を形成しては、街並みを再構成し始める。無数の直線によって描かれるポリゴンの街。


 そんな無機質な街に、一軒の店が建てられる。ベーカリー『ルセロ・デル・アルバ』。店のドアは破壊されていて、内部には数体のマネキンが設置されている。マネキンはそれぞれ、逃げ惑うようなポーズを取っていて、ひと際ガタイの大きなマネキンが、一人の少女に襲い掛かろうとしている。



「――まだ赤が足りないのか?――」



 明心あけみが作り出された街の様子に戸惑っていると、背後に墨で形成されたつり長の目の女が姿を現した。千年前に出会った明心あけみの祖先だ。陽炎さながらにその身を揺らしては、明心あけみの背に立つ。


 既に真っ赤な世界。けれども、それを覆い隠すように、様々な色が付け足されていく。空の色、アスファルトの色、街路樹の色、コンクリートの色、立ち上る煙の色……。マネキンたちにも塗料が加えられていき、衣服が着せられて、表情が加えられる。


 いままさに、巨漢が振り下ろそうとしている刃の先には――



奏瑚かこッ!」


「――まだ赤が見たいのか?――」


「させない!」



 そうして、音と風が付け足された時。

 世界の再生ボタンが押された時。


 明心あけみは背の墨を纏い、一羽の鴉になった。




 *****




 スカーレットによって振り下ろされる炎の刃。その一瞬の先を、筆で勢いよく描かれる墨さながらに、一羽の鴉が駆け抜けた。刃が振り下ろされたことで、舞ったのは血しぶきではなく、どこまでも黒い羽。


「何――」


 反射的に鴉が駆け抜けていった方に視線を向けたスカーレットだったが、次に彼が目にすることになったのは、文字通り飛び込んでくる漆黒の鳥だった。翼を一振りの刀身に変形させ、影を纏う少女が一閃を振るう。


 瞳孔を開くスカーレット。目に映ったのは、自らの死。咄嗟に身を退かせるが、少女の刃先はスカーレットの鼻背を捉えていた。


 間合いを取り、態勢を立て直すスカーレット。しかし、赤色の燃えるような痛みが、直線状に顔面に走る。葉巻はどこかで落とした。それでも、煙のない赤い視界に、スカーレットは襲い掛かる高揚感のままに小さく口角を上げる。



久珂ひさか……じゃなさそうだ。何モンだ?」


「答えてどうする? れ者」



 放たれたのは、明心あけみの声。だが、声音はまるで別人だった。漆黒を纏う少女が、瞳に宿すのは憎悪と怨嗟の炎。その激しい熱に反して、声の温度は絶対零度。スカーレットの口角がさらに上がり、歯を覗かせる。



「訊くまでもないな。――これは失礼した。闇よりも黒い翼をもつ〈幻身うつしみ〉。見間違える方が難しい」


「……」


「どいつもこいつも自称ばかり。滅ぼされたと聞いていたが、まさか本当に生き残りがいたか」




 ―― SAGAMURA相村 AKEMI明心 ――

 ―― AKEGARASU暁鴉 MAMI舞美 ――


 


「千年後の世界はいかがかな? 鴉の亡霊よ」




 *****




相村さがむらぁっ!」



 その時、二つの隊服が目の前に現れる。


 一人は少女。隊服の上からでも分かる無駄のない身体つきの少女は、双剣を手にしてスカーレットへと切り込む。肩には鷹。足元にはイルカ。ふわりと髪を風にあずけ、まるで舞踊でもするかのような華麗な剣裁きを見せる。


 そして、もう一人は男。


 その姿を目にした瞬間、暁鴉あけがらす舞美まみは、瞳に宿る憎悪と怨嗟の炎を燃え上がらせた。怒鳴り声にも似たものを上げて、近づいてくる。その様が、舞美まみにはなにか悍ましいものに思えた。


 酷く醜悪な、肉の塊。


 千年前に暁鴉あけがらす一族を皆殺しにした、恨むべき一族。根絶やしにすることを誓った一族。その血塗られた汚らわしい一族の子孫だ!



月雲ツクモォォオオオオオオーッ!」

 


 ずっと、月雲絢志

 

 惨たらしく殺してやる!

 千年にわたる一族の恩讐を知るがいい!









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