第13話 解き放たれた力

 蝉しぐれ。



 森のなかで虫取りをして遊ぶ二人の女の子がいる。一人は活発そうだが、足元がおぼついておらず、危なっかしく見える。一人は気だるげにしていて退屈そうだが、こけないように見守っている。


 幼き日の相村さがむら明心あけみ藤生ふじょう奏瑚かこ

 そんな二人に、十五歳の月雲つくも絢志あやしは出会った。



「ここから先は危ない。行かない方がいいよ」



 絢志あやしは、森の奥へと進んでいく少女二人に対して優しく声をかけた。絢志あやしは〈暁鴉あけがらす〉の残党の出現の噂を聞きつけて、この森を訪れていた。


 もっとも、残党といってもその全ては自称だった。正体を暴いてみれば、〈暁鴉あけがらす〉の名を語って社会に混乱をもたらしたい勢力であったり、怪しげな宗教団体だったり、もっと酷ければ愉快犯であることもあった。そのうちのいくらかは、久珂ひさか家に雇われているという噂もある。


 いずれにせよ、伝説に残っているような恐怖を具現化したような存在ではない。それでも、田舎には〈暁鴉あけがらす〉に対する判官贔屓があるのか、それともダークヒーローを望む信仰があるのか、森の奥に〈暁鴉あけがらす〉を祀る祠があったことには驚かされた。しかも、形だけではなく、正しく霊力も注ぎ込まれており、管理者がいる事実を突き付けられたばかりだった。


 禍々しい祠。


 そんな場所に、子どもを近づけてはいけない。そんな思いから、絢志あやしは二人に帰るように促した。



「いやだ! この先にがあるもん!」


「じゃあ、僕が取ってきてあげよう」



 絢志あやしはそこで兎の姿をした〈幻身うつしみ〉を実体化させ、カブトムシを取って来るように無言の指示を出す。兎は跳ねて森の奥へと消えていったが、しばらくの後に、カブトムシを手に入れて帰って来た。


 その様を見て、明心あけみは大はしゃぎ。すぐに虫取りどころではなくなってしまった。「もう一回やって!」とせがんだり、「どうやってやったの?」と問い詰められたり、「やり方教えて!」と迫られたりと、もう忙しかった。



「ちょっと早いかな。大人になったらできるようになるよ」


「やだやだやだ! いまやりたい!」


「えぇ……。じゃあ、ちょっとだけ」



 どうせできるわけがない。なんせ相手は、小さな田舎に住む、普通の女の子だ。頭ではそう理解していた絢志あやしだったが、明心あけみの手を握ってみれば、不思議な感覚に襲われた。基本的な力の流れを教えてあげると、それをすぐに理解し、恐ろしい速度で飲み込んでいった。



(もしかして……この子。素質あるんじゃ……?)



 教えた事がすぐに目の前で再現される。そのうち絢志あやしも乗り気になってしまった。握っているのは小さな手だが、その奥には凄まじい熱量を感じる。この子のなかにあるものが、出てきたがっている。もしかしたら逸材を見つけてしまったかもしれない。才能を解き放ってあげたい。絢志あやしはただただ純粋だった。



「それで、こうすれば……」


「こう?」



 そしてついに、〈幻身うつしみ〉が現れた。


 初めこそ、自分の〈幻身うつしみ〉をさも明心あけみが生み出したように見せかけようとも思っていたが、途中からそちらの方が面倒くさいと気が付いた。いま目の前に生み出されたのは、正真正銘、明心あけみが生み出した〈幻身うつしみ〉だ。



「すごい! やった……ね――」



 だが、絢志あやしは生み出された〈幻身うつしみ〉を見るなり、その場に凍り付いた。目に飛び込んできたのは、闇よりも黒い翼。そして、その姿は、〈幻身うつしみ使つかい〉たちが最も忌み嫌っている生物。


 絢志あやしは、初めて見た恐怖の具現化に戸惑うことしかできなかった。



「――鴉? なんで? だって……。明心あけみ、君はいったい……」



 狼狽える絢志あやし


 そこへ、おもむろに向けられたのは、赤輝血あかかがちの双眸。蝉しぐれが一斉に止み、森が闇に包まれる。もうそこにいたのは、幼い女の子ではなかった。かつて、都を焼き尽くした呪われた一族――その亡霊だった。



「貴様……月雲つくもだな」


「――ッ! まさか、〈暁鴉あけがらす〉!」


燼滅えろ。塵も残さず」





 *****





「逃げて、月雲つくもさ――!」



 明心あけみが目を開くと、そこは夜掴やつか帆澄ほすみの腕のなかだった。鉄の焦げた匂いと、パチパチと音を立てる残火。見渡す限りの焦土が広がっていた。



「気が付いたか、相村さがむら


「これは……いったい……?」


「……無事なら、それでいい」



 戸惑ったままの明心あけみ。そんな明心あけみの頭を、帆澄ほすみはそっと撫でる。その手は包帯で巻かれていた。見れば、帆澄ほすみの頭も包帯が数周巻かれている。側頭部からの出血があったようだ。血が滲んでいた。


 帆澄ほすみだけではない。周囲には怪我を負った人の姿と、せわしなく活動する救護班の姿がある。遠くの方には、回転灯の赤がひしめき合っていて、被害の甚大さはもはや読み取ることができない。



「これ……、私……が? 奏瑚かこは? 乃渚のなちゃんは? 壱條いちじょうさんは?」


「無事だ。みんな無事だ」


夜掴やつかさん……怪我を……」


「お前のせいじゃない」


「私の――」


「お前は悪くない」



 穏やかな口調。それに反し、帆澄ほすみの腕に力がこもる。


 明心あけみには、さっきまでの記憶がまるでない。学園内でテロ事件のことを聞かされ、奏瑚かこから現場の状況を教えられたところまでは覚えているが、それから後のことがまるっきり分からない。


 ふと、手のなかに違和感を覚える。見ると、かつてお守りだったものが、いまは黒い塊となっている。その姿にギョっとした明心あけみだったが、そうしている間に、目の前でボロボロと崩れ始めた。その様は、まるでただの燃えカスだ。



「うそ……」



 その瞬間に、明心あけみは全て悟ってしまう。十年前の山火事も、いま街を飲み込んだ火災も、全て自分が引き起こしたことなのだと。そして、自分のなかに眠る力が何なのかを。



「お前は悪くない」


「……」


「お前のせいにする奴がいたら俺が守ってやる」


 だから。


「もう離れるな」









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