第18話 桜色の業火

 ひざまず夜掴やつか帆澄ほすみ



 暁鴉あけがらすの亡霊は、彼の背後に無数の〈幻身うつしみ〉が浮かんでいることに気が付いた。どれもこれも、月雲つくもの霊。暁鴉あけがらすは怒りをあらわにしたが、月雲つくもの霊のうち一体が頭を下げると、動きを止める。


 気が付けば、月雲つくもの霊はみな頭を垂れていた。



「……今度は嘘じゃない、だと? 詐欺師の虚言には飽きた。なんとも、月雲つくもらしい――朧月の如く、世界を霞ませる能力――だ。どこまでも醜悪で、どこまでも度し難い」



 ふと、暁鴉あけがらすの亡霊は自らの子孫の方に視線を向ける。明心あけみは、どうすればいいか分からず、とにかくオロオロしている。そして、助けを求めるかのように、こちらにチラチラと視線を向けて来る。


 なんとも頼りない小娘だ。


 暁鴉あけがらすの亡霊は溜息をつく。


 そんな体たらくで世界を敵に回そうとしていたのか。そんな小さな身体で、一族の怒りを背負おうとしていたのか。もっと、頼りがいのある子孫なら、世界を破滅させるために力を貸したのにと、暁鴉あけがらすの亡霊はわずかに苦笑を漏らした。



れ者どうし、好きにしろ」


「え? ええぇッ?」


「だが、もう一度だけだ。もう一回だけ、騙されてやる」



 鼻を鳴らして霧散する暁鴉あけがらす


 それを確認すると、帆澄ほすみは立ち上がって、真っすぐに明心あけみを見つめた。その目は、返事を待っている。手を差し出しては、握り返すのを待っている。穏やかな瞳。それでいて、その奥には獅子が宿っている。掴んでいいのかどうかは、もはや愚問だった。明心あけみ自身が、掴みたいのか、掴みたくないのか。


 周囲は地獄の業火。


 こんな所まで助けに来てくれた。

 それは全部、一人の女の子を助けるためだ。



「わ、わかりましたよ! 掴めばいいんでしょ、掴めば!」


「? 急にどうした?」


「ふんだ。ぜーったい倒しますから! これは、約束を破りたくないだけですからっ! 別に年上がタイプとか、声がカッコいいとか、笑った顔が好きすぎるとか、そう言うんじゃないですから! 教え方は腹立つし、顔はムカつくし……あと毛玉呼びとか最低! 何考えてんですか、馬っ鹿じゃないの? 絶対許しませんから!」


「じゃあ、呼ばせないくらい強くなってみろよ、明心あけみ


「きゅ、急に名前……そ、そういうところですよ! わ、分かりましたよ! 強くなりますよ! 強くしてくださいよ!」



 伸ばされた手を、掴み返す。


 明心あけみは俯きながら小声で、「よろしくおねがいします」と呟く。握られた手が、ごつごつしていたら真っすぐに言えただろう。けれど、目の前にあるのは鬼の形相をした先輩の手ではない。優しい先輩の手だ。



「帰ろう」


「はい」


「――帰しませんよ」



 背後からの声。


 帆澄ほすみが振り返ると、そこにはニマニマしている乃渚のなの姿があった。




 *****

 



「一族の一部じゃない、か。――先輩、そんなことも言えたんですね。思わず聞き入っちゃった」


「……」



 わずかに顔を紅潮させる乃渚のな。辺りが炎に包まれているからと言われれば、そう誤魔化せる程度だが、それでいて蠱惑的な表情にも思える。



「でも駄目じゃん。世界の敵と婚約だなんて。そうじゃなくても、もうその子は、帝都に火を放った犯罪者。入る場所は、月雲つくもの籍じゃなくて、監獄だと思うんだけどなぁ」


「力が暴走しただけだ」


「私情は無しですよ、先輩。この事件を終わらせるためには、暁鴉あけがらすの首が必要じゃないかって言ってるんです。――それとも、代わりに死にます?」



 そこで乃渚のなは、恍惚の表情を見せた。視線の先にいるのは、先輩と同級生ではない。二人の重罪人。それもただの罪人ではない。一人は、月雲つくも家の嫡男で、もう一人は伝説の化物。そして、裁くのは自分だ。



「あー、その前に先輩は婚約者がいるのに、不倫する最低男でしたね。ふふっ。しかも、目の前で」


「殺せる理由がたくさんあって楽しそうだな」


「えへへ。普通の相手じゃ、もう満足できなくて。ちょっとは楽しませてくださいよ、先輩!」



 果たして、月雲つくも絢志あやしの実力とはどのようなものだろう。乃渚のなは胸を高鳴らせながら地面を蹴る。


 久珂ひさか家に生まれた乃渚のなは、ずっと這い上がって来る虫の潰し方を教えられてきた。今回の事件にしてもそうだ。久珂ひさか家に雇われた自称・〈暁鴉あけがらす〉を潰しておしまい。暇つぶしにもならないと思っていた。


 だから、相村さがむら明心あけみと出会った時は、すごく興奮した。詰らない虫なんかじゃない。生ける伝説が目の前にいる。しかも、みんな気が付いていない。小さく、弱く、けれど可能性の詰まった宝物。破壊衝動を抑えながら、育つのを待っていた。強大な敵になってくれと願いながら、日々を過ごしていた。


 それなのに、このザマだ。相村さがむら明心あけみは、不完全な状態で羽化してしまった。まるで、羽のない羽虫。潰したって全然面白くない。


 ならば、せめての方を壊した方が快感が得られるかもしれない。では満足できないかもしれない。けれど、月雲つくも絢志あやしは、限りなくに近いだ。を倒せないのなら、せめてに近いものを。



「――下種げすが。虫は貴様だろう?」


「……え?」


 

 暁鴉あけがらす舞美まみの声。

 刹那、世界は染め上げられた。


 中空で言葉を失う乃渚のな帆澄ほすみもまた世界の変色に呆気にとられる。しかし、それが純粋な白ではないことに、すぐに気がついた。例えるなら桜。三人は桜吹雪のなかにいた。



「熱――ッ」



 ふと、桜の花弁が乃渚のなの頬に触れた。なにが、桜なものか。桜色なだけであって、それは火の粉に違いなかった。もしかして、この桜吹雪すべてが業火なのか? 初めて狼狽の表情を見せる乃渚のな。他方で、暁鴉あけがらす舞美まみは、これまでの炎は加減したものだと言いたげな表情を浮かべている。



「子孫の行く手を阻む者は、お前か? 久珂ひさか


「暁……鴉……」


「邪魔だ。燼滅えろ」



 炎が荒れ狂う。


 まるで、桜が夜を包んでいくように。舞い散る花弁は、風と共に踊り、桜花の咲き乱れる帝都を、月が照らし出す。月夜に降り立った少女が、桜纏う悪魔であることは、もう誰にも隠せない。


 伝説の復活宣言は、ここに成された。



「……逃げ足の速い虫だ」



 溜息を吐くと、一瞬にして炎は消えて闇が訪れる。広範囲に燃え広がっていた炎も例外なく、何事も無かったかのように消失する。


 だが、街そのものが再生するわけではない。炎は消えても、黒く染められてしまったままだ。その街の様子を見て、暁鴉あけがらす舞美まみは静かに瞳を閉じた。



「すまないな、壱條いちじょう。何故かは知らんが、お前の街はいつも燃えるんだ」










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