第19話 月に雲

 帝都炎上事件から三日後。

 久珂ひさか乃渚のなは、帝都北部の喫茶店を訪れていた。



 喫茶『曼荼羅まんだら』。木造の落ち着いた内装の店で、窓から差し込む穏やかな陽気を、吹き抜けから吊るされたファンがゆっくりとかき混ぜていく。それは、さながらコーヒーに注がれたミルクをマドラーが溶かしていくよう。乃渚のなは、注文したコーヒーに口を付けては、中空映写画面ホログラム・ディスプレーを宙に浮かべてニュースを見ていた。


 我ながら、腕一本の負傷だけでよく逃げられたものだ、と。事件の夜を思いながら、乃渚のなはギプスの取り付けられた左腕をさする。美少女の痛々しい姿。もしこれが、ベーカリー『ルセロ・デル・アルバ』での出来事なら、可哀想だと同情の目を向けられただろう。だが、喫茶『曼荼羅まんだら』は、月雲つくも家の管理区画内。来る客も「なぜ久珂ひさかがここに?」と警戒心を隠さない。



「腕一本の人間に怖がりすぎでしょ」



 苦笑を浮かべて、乃渚なのは宙に浮かぶ画面に目を移す。もうすぐ、相村さがむら明心あけみの処遇に関する会見が開かれようとしている。


 事件の後、相村さがむら明心あけみ月雲つくも絢志あやしによって連れ去られ、行方をくらませていた。その間、多くの憶測を呼んだが、月雲つくも家が匿っているとの情報が大勢を占めていた。壱條いちじょう家は相村さがむら明心あけみを即刻処刑するように要求し、久珂ひさか家は身柄を引き渡すように要求した。


 その返答がなされる。


 〈暁鴉あけがらす〉の生き残り。それを月雲つくもは、どうするつもりなのか? 五大名家だけでなく、帝都じゅう、いや、帝国じゅうが注目する会見であることは間違いなかった。



『あっ、姿を現しました!』



 十五分遅れで始まった会見。しかし、当事者が現れたかと思えば、まずその時点で会場がざわついた。会場に姿を現したのは、月雲つくも絢志あやしでも、相村さがむら明心あけみでもない。


 黒髪ショートカットの少女だ。おおよそ自称・暁鴉あけがらすグループを彷彿させる黒ローブを身にまとっては、ぴょんぴょんと跳ねるような軽快さで壇上へと上がる。琥珀色の瞳が特徴的な少女。壇上でぺこりと一礼すると、屈託のない笑みを見せた。



『あっ、あれは! 月雲つくも凪咲なぎさです! ど、どういうことなんでしょうか? 会場に姿を現したのは、月雲つくも絢志あやしの義妹の月雲つくも凪咲なぎさです!』



 ディスプレーの向こう側が記者のフラッシュで溢れる。凪咲なぎさは思わず、「うぉう、眩しっ」といったような反応を見せたが笑顔は崩さない。一方で、乃渚のなは初めこそ驚いたが、代理を立てたのだろうとすぐに受け入れる。暗殺を恐れた可能性だってある。だが、気がかりなのは――


 ――なんで黒ローブ?



「宣言!」



 快活な声が響く。

 

 その声に、再びフラッシュが集中する。せ、宣言ッ? 一体何が起ころうとしているのか? これが、ただの会見でないことが、たった一言で印象付けられた瞬間だった。これには乃渚のなも画面に食いつく。



月雲つくも家は、暁鴉あけがらす一族に対する名誉回復のため、現在に至るまでの暁鴉あけがらすの行為に対し、恩赦を与える!」



 ――なっ!


 恩赦ッ? その一言に、会場がざわめき出す。会場だけではない。街じゅうの人々が耳を疑い、目の前で起こっている異常事態に注目する。


 他方で、凪咲なぎさはまるでライブ会場の舞台上にいるかのように、笑顔のままに状況を楽しんでいる。



「もはや、暁鴉あけがらすは、伝説でもなければ、恐怖の代名詞にあらず。よって月雲つくも家は、暁鴉あけがらす家とともに良好な未来を築くことを、此処に宣言する。同時に、暁鴉あけがらすに仇なす言動は、月雲つくも家への侮辱と見做し、これに厳正に対処する! ――以上でーす。質問どうぞー♪」

 


 何を言ってるんだ、この女は!


 乃渚のなはその場で跳ね上がった。当然、質問は殺到。いいや、質問どころか非難の声に変わる。「月雲つくも家は何を考えてるんだ!」と。街じゅうの人々は画面にブーイングを送り、喫茶『曼荼羅まんだら』にいた術師は顔を真っ青にする。記者たちでさえも、記者であることを忘れ、罵倒を始めた。


 一連の事件を引き起こした暁鴉あけがらすは、月雲つくも家の名において処断する――会見の説明内容としては、こんな所だろうと予想していた。しかし、蓋を開けば真逆も真逆。


 そして、いままさに。

 世界が音を立てて狂い始めた。



『それは……他の五大名家に対する宣戦布告ということでしょうか?』


「ちょ、そんな怖い顔しないでよー。私はバカ義兄アニキが用意した原稿読んだだけじゃーん。要は、好きな子と一緒にいたいってだけの話でしょ?」


『こ、婚約もしたと?』


「あれ? 言ってなかったっけ? そうそう♪」


『悪魔どもと手を組むと?』


「だから、恩赦してんじゃーん。分かってないなー。それ言うなら、久珂ひさかとか言う悪魔はどうなるの?」


『い、いまの発言はっ! 久珂ひさか家を敵に回すということでしょうか?』


「……うっぷす。口がすべったー。でも、みんな正直思ってるでしょ? 久珂ひさか一強の世界つまんなーって」



 明かな人選ミスだろ。口を開けば開くほど、月雲つくも家の傷口が広がっていく様を見ながら、乃渚のなは開いた口が塞がらなくなった。


 だが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。



「はは……あはは……。そう。そうこなくっちゃ……」



 ギプスのはめられた左腕をギュッと握る。



「そうだよ。こんなところで、死なれたら面白くない! 暁鴉あけがらす舞美まみ、あんな勝ち逃げなんて許さない。ようやく見つけたんだもん! 簡単に死ぬなんて許さない! あはは……嬉しいなぁ。これでまた殺し合えるんだぁ――そうだよ、そうだよね。悪魔どもは殺さないと、駄目だよね!」



 そして、久珂ひさか乃渚のなは。

 生れて初めて、心からの笑みを溢した。










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