最終話 明澄

「助けて、奏瑚かこぉ~」


「うわ、暑。離れて」



 七月一日。


 その日、相村さがむら明心あけみの復帰が決まり、久しぶりに登校することになった。だが、完全に暁鴉あけがらすが警戒対象となってしまったいま、周囲からどんな目で見られるか分からない。これならまだ、毛玉ちゃんと呼ばれていたころの方がマシだったんじゃないかと思えるほどに、明心あけみは不安でいっぱいだった。



「私、死んじゃうかも」


「大丈夫でしょ、当分は」


奏瑚かこの馬鹿! 奏瑚かこは〈幻身うつしみ使つかい〉じゃないから分かんないんだ! もっと真面目に考えてよぉ……」


明心あけみこそ、何言ってるの? ?」



 いや、私、私! と指をさす明心あけみ。そんな彼女に対して、奏瑚かこは深いため息をつく。



「アンタが入学前に登録した術師名は?」


相村さがむら明心あけみ


「じゃあ、入学前に登録した本名は?」


相村さがむら明心あけみ……って、そんなんで誤魔化せるわけないじゃん!」



 いや。実際には、誤魔化すことに成功していた。


 理屈はこうだ。


 久珂ひさか家は、社会のあらゆるところに影響力を持っており、行政や司法といった国政に関わることはさることながら、教育機関にも多くの人材を派遣している。だから、暁鴉あけがらすの入学を許したのも、基本的には久珂ひさか勢力ということになり、侵入に気が付けなかったことに対する説明責任が負わされることを学園側は危惧した。何事にも当てはまることだが、当然のことながら久珂あまぎ勢力も一枚岩ではない。久珂ひさか一強の状況に甘んじ、表面上では結束を強調しながらも、身内では権力闘争をしているのが実情だった。


 責任を取りたがらない学園側が見つけたのは、という紛れもないだった。だが、このままでは詭弁でしかない。そこへ、困り果てた学園側に、助け船を出したのは月雲つくも家だった。月雲つくも家は、次の三点を主張した。まず「相村さがむら明心あけみ暁鴉あけがらす舞美まみは別人である」こと、次に「暁鴉あけがらす舞美まみの身柄は月雲つくも家が保護している」こと、よって「学園側は相村さがむら明心あけみの安全を保障すべきである」ということである。


 言い換えれば、月雲つくも家からの暁鴉あけがらすを共同管理するという誘いだった。この誘いに久珂ひさか乃渚のなが乗り気だったのは、誰にとっても予想外だったが、久珂ひさか一強体制を揺るがしかねない脅威を、安全保障を名目に監視・管理できるのは、着地点としては悪くない。暁鴉あけがらすの存在を隠匿することで、久珂ひさか家の面子メンツと社会的地位が保たれるのならと、現状維持を望む久珂ひさかにとっては悪い話ではなかった。


 画面のなかでは、宣戦布告をした月雲つくも家。だが、テーブルの下では、しっかりと手を握る。――少なくとも、もうしばらくの間は。


 月雲つくも凪咲なぎさの宣言の日から、すでに五大名家の間では密約が飛び交い始めていた。久珂ひさか一強体制を崩したい他四家と、包囲網の形成をなんとしてでも阻止したい久珂ひさかの攻防。もはや五大名家の関心は、暁鴉あけがらす舞美まみの処遇ではなく、お互いの勢力図の変化にあった。



「関係者に対する箝口令かんこうれいは敷かれたんでしょ?」


「で、でもぉ……」



 しかし、明心あけみはそんな事情など知る由もなかった。明心あけみが知っているのは、自分が暁鴉あけがらすの力を暴走させてしまい、たくさんの人に迷惑をかけたこと。それにも関わらず、夜掴やつか帆澄ほすみが助けに来てくれたこと。そのくらいだった。



「最悪、月雲つくも絢志あやしが守ってくれるでしょ? よかったね。憧れの人にプロポーズされて」


「……うーん」



 奏瑚かこは、月雲つくも絢志あやしの名前を出せば、安心すると思った。だが、当の本人は浮かない顔で、小首をかしげる。



「なんで、月雲つくもさんが話題に上がるんだろ? 憧れの人だし、そりゃ、助けて欲しいけど……」


「いや、だから――」



 奏瑚かこは、ついに勘違いを正そうと口を挟む。


 やっかいなのは、暁鴉あけがらすの力を解放した際の記憶を、明心あけみが失ってしまうことだ。厳密には、完全に全てを忘れるわけではないが、「なにか悪いことをしてしまった」程度の認識しか残らない。奏瑚かこがプロポーズの話を持ち出しても、ピンとこないのはそれが理由だった。



「って、うわっ!」



 不意に、明心あけみ奏瑚かこの後ろに身を隠す。その慌てように、何事かと思いきや、そこには夜掴やつか帆澄ほすみの姿があった。明心あけみの咄嗟の行動に、帆澄ほすみは肩を竦め、奏瑚かこは溜息を吐く。


 しかも、明心あけみの第一声が「な、何か用ですか?」だったものだから、どうしようもなかった。また何か叱られるかもしれない、との思いもあったのだろう。だがそれ以上に、たくさん迷惑をかけたことに対する気まずさが勝った。それにもかかわらず、いまや帆澄ほすみは、自分のことを助けてくれた存在で、同時に自分にとっても、かけがえのない存在になっている。


 それなのに、気恥ずかしさのあまり出た言葉が、思っている以上に喧嘩腰だったものだから、明心あけみもどうしていいか分からなくなってしまう。



明心あけみ


「――っ」


「これ。返しそびれてた」



 先に話題を切り出したのは、帆澄ほすみだった。そうして、ポケットから取り出したのはお守り。月と雲が描かれたお守りで、事件の際に焼失してしまったはずの宝物だ。


 そのお守りを、一瞬だけ奏瑚かこは訝しんだが、霊力の類は一切感じられない。何の変哲もない、布切れだ。


 それでも、明心あけみにとっては、大切なものだった。恐る恐る奏瑚かこの背後から姿を現しては、小さくお礼を言って受け取る。



「すいません……。私が力を制御できなかったばかりに……夜掴やつかさんには、ご迷惑をおかけしました」


「いや、しっかりものにできてたよ。記憶が飛んじゃうのが、玉にきずだけど。あの日、俺の言ったことも、どうせ覚えてないんだろ?」


「それはっ! そんなことは……ない……です……」


「いいよ。何度でも言うから」




 ――俺と結婚してくれ。




 ほとんど不意打ちだった。


 明心あけみは、何を言われたのか飲み込めないまま、立ち尽くす。しばらくして、文字通り顔から炎を出す明心あけみ。ボンと音がしたかと思うと、黒い煙が上がった。


 おもむろに上げられる顔。


 ところが、そこにあったのは紅潮した明心あけみではなかった。纏う雰囲気とともに、火の粉が桜色に変色する。そして、黒煙の向こう側から、覗いたのは燃え上がるような柘榴石ガーネットの双眸。



「――そういう貴様はどうだ? 月雲つくも



 彼女は不敵な笑みを浮かべていた。



「その気になれば、いつ何時なんどきでも、私は貴様の首をはねることができること、忘れてはいないだろうな?」


「もちろん」


「ふっ。相変わらず鼻につく澄まし顔だ」



 お守りを受け取る少女。ふと、帆澄ほすみと手が触れる。そこで、少女は悪戯いたずらをしたくなったのだろう。伸ばされた帆澄ほすみの手を握りしめた。


 不意に、身体の主導権が、明心あけみに返される。


 途端に、明心あけみの目に飛び込んできたのは、繋がる手と手。咄嗟に手を引っ込めようとしたが、優しく大きな手に包み込まれては、何も考えられなくなってしまった。当然、顔なんて直視できるはずがない。それでも、君の居場所はここなんだよと、帆澄ほすみ微笑んでいるのが分かって、余計に顔が熱くなった。



「――はい。こちらこそ、よろしくお願いします」



 俯きながら。

 明心あけみは小さく応えた。







 蝉しぐれ。

 澄み渡る蒼天。


 そして、季節外れの空に、桜の花びらが一つ。



 






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もう一つの君の名前は、帝都に桜を咲かす げこげこ天秤 @libra496

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ