第10話 火鼠
「いらっしゃいませ!」
『ルセロ・デル・アルバ』のある帝都の南部は、学園都市として開発が進んだこともあり、飲食店やカフェが立ち並ぶほか、書店や雑貨店に簡単にアクセスすることができる。知性と、自由さと、それから若干のお洒落さを兼ね備えた町並みだ。西部には流線形をした超高層ビルの多い未来都市が広がり、北部では路面電車が走るレトロな風景を楽しむことのできる帝都。場所によって異なる顔を見せる帝都だが、
そのなかでも特に気に入っているのが、ベーカリー『ルセロ・デル・アルバ』だ。初めて訪れた時から、穏やかな店の雰囲気と、そのパンの味に、
好きな時間帯は、午後三時ごろ。
決まって頼むのは、クリームメロンパンと紅茶の組み合わせ。「焼きたてホカホカ!」とポップが立てられた陳列棚から、メロンパンを一つ取ると、
純粋に美味しい――それもある。もう数日もすれば、朝の鍛錬も自主的なものが中心になるから、後輩指導に時間を割かなくてよくなる――それもある。だが、それ以上に、今日のバイトの女の子が、前から気になっている子であることが、
「クリームメロンパンが一点――」
「それから、えっと……」
ニコニコしながら対応する女の子。もう、何度も会っている子なので、顔を覚えてもらえている自覚はあった。ここは、普段なら「紅茶を」と頼むところ。だが、「いつものを」という言葉が喉まで出かかる。
勝負をかけるか? いけるか? ……いや、たとえ覚えていて貰えたとして、キモいと思われないだろうか?
そのうち、そもそも覚えてもらえていないんじゃないかとの不安を抱き始める。ちなみに、
「じゃあ、いつも――」
「今日はアールグレイ付けます?」
「えっ? あ、えと、お願いします」
「りょーかいです。いつもはホットですけど、今日はどうされます? 最近、暑くなってきましたし」
「じゃ、じゃあ、つめたいので」
「いつもありがとうございます。――
「え? 君……俺の名前を? なんで?」
「何言ってるんですか? 先輩は有名人じゃないですか!」
「いやいやいや、俺なんか……ん? あれ? センパイ? 君ってもしかしてうちの生徒――」
「それに、うちの
なんてこった! 百点満点の笑顔。百点満点のウィンク。
顔を覚えていてくれただけではない。名前も、それから、どんな人物かさえも知ってもらえていた。そのうえ、後輩指導をしている
「うへへ……。そっかぁ……。そうだったんだぁ……。
クリームが口のなかに広がるにつれて、
大通りの方が喧しい。きっとお祭か何かで賑わっているのだろう。そんなことを思いながら、
ただただ幸せだった。店内に響くポップな音楽が、浮かれた心を、さらにふわふわな空間へと連れていく。外からは悲鳴が聞こえてくるが、きっと何か楽しいことがあったのだろう。大通りの方を見れば、人が慌てふためきながら走っていく姿が見えるが、きっと何かあったのだろう。近くで爆音が響いたが、きっと何か――
「え? 爆音?」
異変に気付いた時には遅かった。
次の瞬間、ベーカリー『ルセロ・デル・アルバ』の玄関が轟音とともに破壊され、店内には砂煙が広がる。
「なっ!」
そして、砂煙の向こう側から、紅蓮の双眸を持つ人影が現れる。一人や二人ではない。店内に入って来たのは、体格のいい黒ローブの中年だが、窓の外には同じような黒ローブの人物が五から六人確認できる。そのどれもが、そばに自らの〈
「まさか! 〈
侵入してきた男は、そんな店内の様子を一瞥すると、悠長に葉巻を咥える。それから、「火ぃ」と、彼が低く濁った声で要求すると、周遊していた
「やれやれだ。誰かと思えば、
煙を浮かべては、独り言のようにボソボソと呟く男。
「な~んで、みんな俺の名前知ってるんスかねぇ?」
強がりで口を開くが、
「(俺が、なんとかしねぇと……)」
地を蹴る。
まずは猿が突っ込み、追撃のために
その先に、炎の刃が待ち構えているとも知らずに。
「〈
「え?」
刹那、火鼠が炎を上げて燃え上がる。かと思えば、紅蓮の炎は男の腕のなかへと収束していき、一振りの刃が形成される。
そして、炎の刃が振るわれた。
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