第09話 放課後の体育館裏2

 夜になると、明心あけみの部屋では、夜掴やつか帆澄ほすみに対する愚痴大会が始まった。



奏瑚かこぉ……、やっぱ、アイツ、お守り捨てろって言ってくるんだけど! 宝物を捨てろとか、ホント信じらんない!」


「いや、明心あけみこそ何を聞いてたの?」



 明心あけみの言い草に、頭を抱えようとする奏瑚かこ。だが、すぐに葛藤から出た言葉なのだと気が付いた。


 憧れの存在に近づきたい。けれど、そのためには、大切な人から貰ったものを捨てなければならない。それを理解しているからこそ、明心あけみはいままでにないくらいに強い力で、お守りをぎゅっと握りしめている。



「いますぐにって話じゃないでしょ? むしろ、急に手放すと力を暴走させかねないから、危ないって言ってたと思うけど?」


「で、でも! あんな言い方しなくたって……」


「私には、かなり真摯に向き合ってもらってるように思えたよ? 手放すのが嫌なら、作り直すとも言ってたし」


「そういうところが、腹立つんじゃん! なんで、アイツに作り直されなきゃいけないわけ? それに、私がいつまでもヌイグルミを手放せないお子さまだって言いたいみたいじゃん!」


「いやいや、そんなことは……」



 それは、流石に被害者妄想すぎる。と、奏瑚かこは思った。それを指摘しようと口を開きかける。けれども、その必要はなかった。ちょうどそこで、明心あけみは表情を曇らせては俯いたからだ。


 いまの帆澄ほすみは、決して明心あけみのことを馬鹿にはしていないし、多くの点で、明心あけみに寄り添いつつ選択肢を与えようとしている。むしろ、帆澄ほすみのことを頭ごなしに否定しているのは明心あけみの方。そのことにも、明心あけみは気が付いていた。



「ごめん……。やっぱおかしいよね私。分かっちゃいるんだ。夜掴やつかさんが、私のために色々やってくれようとしていることくらい……」



 ボロボロになったお守りは、綺麗になって返ってきた。〈幻身うつしみ〉が上手く発現できない理由も教えてくれた。その上で、特訓に付き合うとも言ってくれたし、場合によってはお守りを作り直すとも言ってくれた。思えば、「帰れ」と言われた初日に見せた夜掴やつかの顔は、決して明心あけみを茶化すようなものではなく、冷淡ながらも真剣そのものだった。


 帆澄ほすみ明心あけみを目のかたきになどしていない。むしろ、しているのは明心あけみの方だ。放課後の体育館裏では、「なんでお前は、そういつも喧嘩腰なんだ?」と言われたが、いまになればその通りだと思う。



「自分でも分かんないの。なんで、こんなにイラついてるのか」


「……」


「やっぱり、夜掴やつかさんが、月雲つくもさんのことを馬鹿にするからなのかな?」


「? なる……ほど?」



 根本的に明心あけみは、重大な思い違いをしている。それを、正すべきだろうか。そんなふうに悩み始めた奏瑚かこだったが、気が付けば、明心あけみの話は変な方向へ進み出してしまっていた。



「決めた! 私、確かめる!」


「な、何を?」


「どうして、夜掴やつかさんが月雲つくもさんのことを嫌ってるのか、知ろうと思う! 今日話してみて分かったよ。きっと、夜掴やつかさんも根は悪い人じゃない。月雲つくもさんとも、何か誤解があるんだよ!」



 そして、ついに明心あけみは、「夜掴やつかさんに月雲つくもさんのこと分かってもらうんだ!」と言い始めて、もう聞かなかった。


 深い溜息を吐く奏瑚かこ。だが、それが帆澄ほすみに会いに行く理由になれば、なんでもいいかと――明心あけみが進む一歩になればいいかと、天を仰いだ。




 *****




「――って、昨日の私の馬鹿ーっ!」


「黙れ。いいから集中しろ」



 翌日、放課後の体育館裏で明心あけみを待っていたのは、猛特訓だった。


 まるで、水晶で占いをする時のようなポーズで、自らの〈幻身うつしみ〉に念を送り、形態をキープさせる明心あけみ。本当はそんなポーズなどせずに、やれと言われたが、無理なものは無理だと、目の前の毛玉に足が生えた奇妙な存在に意識を集中する。


 とにかく、精神力と体力の消耗が激しい。明心あけみは足枷をされながら、無限に続く平均台を走らされるような気分だった。先ほどから額から汗が止まらないが、ぬぐいでもすれば平均台から滑り落ちてしまいそうで不快感に堪える。息も荒く、どんな無様な顔になっているのか想像もしたくない。加えて、そんな状況を異性に見られている羞恥心にも堪えねばならず、本当に辛かった。



「おい。〈幻身うつしみ〉が大きくなりかけてる。その状況でキープだ」


「な、なんでですかっ! 別に、ちゃんとした形にするんなら――」


「あと十分。我慢しろ」


「お、鬼っ! 悪魔っ!」



 明心あけみにできたのは、帆澄ほすみを睨みつけることだけだった。目に見えない足枷をしているのは帆澄ほすみ。お守りによって、明心あけみが使える力の量を限定した状態で、〈幻身うつしみ〉を制御させるトレーニングをしていた。


 こんなトレーニングは、まず通常はやらない。こんなことを、普通の〈幻身うつしみ使つかい〉がやればどうなるか。手足を縛られた状態で走れと言っているのと同じで、そもそも〈幻身うつしみ〉を生み出すことができない。乃渚のなのような複数体の〈幻身うつしみ〉を使役できる天才は分からないが、侑生ゆうですら形をキープさせることに苦心するだろう。


 だから、毛玉としての形を保てている時点で異常だった。



「……すごいな。お前」



 思わず帆澄ほすみは、小さく声に出していた。

 

 封印をほんの少しだけ緩めたから、毛玉に足が生えるのは分かっていた。それでも、今日は足を形成させることができたら御の字。それくらいの気持ちで、特訓を始めた。だが、「こうですか?」と一発でやられてしまったものだから驚いた。


 当然褒めたが、そこで問題が発生した。発現させた足の形を、いまいち思い出せないというのである。やはり、〈幻身うつしみ〉を生み出している時は、記憶の乱れが見られる。どうも、〈幻身うつしみ〉に乗っ取りかけられているようだ。


 だから、いまやっているのは、一週間後にやる予定だった内容を先取りしている状態。だから、を上げても帆澄ほすみとしては、全く問題はなかった。それなのに、音を上げるどころか、明らかになるのは明心あけみの力のコントロールの精度の高さと、飲み込みの良さだ。ふとした瞬間に、嫉妬さえしそうになる自分がいることに帆澄ほすみは気付いた。


 そうこうしていると、明心あけみはついに、地獄のメニューを完走してしまった。途端に崩れ落ちる明心あけみだが、これには帆澄ほすみの腕も自然と伸びていた。そうして、倒れそうになる明心あけみを支えてやる。



「もう……無理……」


「よくやったな。ちゃんと、発現させている間のことは覚えてるか?」


「こんなつらい目にあったのに……、忘れるわけないでしょーがぁ……!」 



 その言葉に、帆澄ほすみは安堵するとともに、同時に感心して嘆息する。



「まさかとは……思いますけど……これを……毎日? いつまでさせるつもりですか?」


「いや、上出来だ。この調子なら……」



 一週間。と言いかけて帆澄ほすみは、口をつぐんだ。明心あけみなら二日や三日で、もしかしたら物にしてしまうかもしれないとの考えが、頭によぎったということもある。


 たが、それ以上に、目に涙を浮かべては表情を歪ませている明心あけみを見て、帆澄ほすみは胸が苦しくなる。明心あけみは、人が苦しまなくていいことで思い苦しまなければならない。こんなにひたむきで、努力家で、一生懸命な子が、だ。


 同時に、焦りもあった。封印は、ほとんど解けかけている。本来なら、時間をかけておこなうトレーニングでも、駆け足でやる理由は、お守りが壊れてしまうタイムリミットがいつか分からないからだ。もしかしたら、明日にでも力が暴発して、明心あけみを飲み込んでしまうかもしれない。


 それも全ては、過去の自分が蒔いた種だ。そんなふうに、帆澄ほすみは奥歯を噛みしめる。いまもそうだ。


 いつも自分が苦しめてばかりだ。



相村さがむら、ごめん」



 顔を伏せて座り、肩で息をしている明心あけみ帆澄ほすみはその隣に座り、虚空を見つめた。いつも自分のせいで、こんなにいい子が苦しまなければならない。本当なら、隣に立つ資格すらないのではないかと思える。


 と、明心あけみは勢いよく真っ赤な顔をあげると、帆澄ほすみを睨みつけた。



「……ハァ……ハァ……そういうの、いいです」


「?」


「いままでの恨みは、全部、強くなった時に、晴らさせてもらいますからっ! 言ったでしょ、倒すって!」


「――!」



 帆澄ほすみは、目を見開いた。その眼前には、あまりにも真っ直ぐな目をした少女が座っている。


 お守りを捨てる覚悟が、決まってるわけでもない。〈幻身うつしみ使つかい〉としての技量を持ち合わせているわけでもない。それなのに、無根拠にも、間違いなく帝都では最強格の夜掴やつか帆澄ほすみを、倒せると信じている。


 気付けば、帆澄ほすみは小さく笑っていた。「根比べでは、とっくの昔にお前が勝ってんだよ」と。



「な、何笑ってるんですかっ! い、いまに見ててください! 絶対に夜掴やつかさんを――」


相村さがむらになら、できるよ」


「です! ……ん? ……ふぇ?」


相村さがむらは、飲み込みが早いし、センスがいいから教え甲斐がある。俺なんかと違って根性あるし――相村さがむらは、俺に無いものをたくさん持ってる」


「……」


「今日のトレーニングでは、もう言うことないよ。おつかれさま」


「お……おつかれさま……です」



 立ち上がって、校舎の方へ向かっていく帆澄ほすみ。初めて明心あけみの前で見せた微笑んだ顔の帆澄ほすみ。それが、憧れの人のものに似ている気がして、明心あけみは、よろよろと立ち上がると、無意識にてちてちと追いかけていた。


 ふと、帆澄ほすみが立ち止まったのは、自動販売機の前だった。何を買うのだろうと、ぼんやりと眺める明心あけみ。そうこうしていふと、不意に「どれ?」と訊かれた。



「いいよ。好きなの選んで」


「?」


「頑張ったからさ。ささやかながら、どうぞ」


「そ、そんな。いいです!」



 断る明心あけみだが、待っていたのは沈黙と、微笑んだまま選ぶように促す帆澄ほすみ。睨み合いならいざ知らず、優しく接されると、明心あけみは根負けしてしまう。結局、桃のジュースを選ぶことにした。


 ゴトンと落ちる缶。


 拾い上げて、手渡す帆澄ほすみ。大きな手だと思った。小さくお礼を言って、受け取ろうとする明心あけみだったが、指と指が触れてしまって、思わず手を引っ込めた。



「す、すいません……」


「?」



 他方で、帆澄ほすみは何を謝られたのか、よく分からなかった。半分、明心あけみが脱水のような症状になりかけていたし、現にふらついていたから、水分補給にと買ってあげただけの話。受け取ってくれればいいだけの話だ。


 それが、明心あけみには余裕そうにしているように見えて、自分でもよく分からない苛立ちを覚える。


 今度は、ややひったくるように缶を受け取り、勢いのままに栓を開けて、喉に流し込んで――せた。



「大丈夫か? 急にどうした?」


「な、なんでも……ケホッ、ケホッ……ないです!」


「疲れてんだから、ゆっくりな。……まぁ、疲れるようなことさせたのは俺なんだけど。今日は、しっかり休めよ」



 それから、ポンと頭に置かれる手。「好きな人に、ちゃんと近づけてるよ」と言い残すと、帆澄ほすみはそのまま去っていった。




 *****




 夜になると、明心あけみの部屋では、例によって夜掴やつか帆澄ほすみに対する愚痴大会が始まった。



奏瑚かこ、聞いてよ! やっぱ、アイツ意味分かんないんだけど!」


「なに?」


「『好きな人に、ちゃんと近づけてるよ』だってさ!」


「? 褒められたんじゃないの?」


「全っ然、分かってない! 別に月雲つくもさんは、あくまで憧れの人であって、好きな人じゃないから! なのに……」



 今度こそ奏瑚かこは、明心あけみが何に対して怒っているのか、まったく分からなかった。おおよそ、好きな人がいることを茶化されているみたいで、それが嫌だったのだろうか? いずれにせよ、理解不能な思考回路に、奏瑚かこは頬杖をついて話半分に聞くことにした。


 しかし、明心あけみは、顔を机に突っ伏す。そうするくらいだから、彼女にとっては地雷だったのだろうか? 素直に褒め言葉として受け取っておけばいいのにと、奏瑚かこは溜息を吐こうとする。が、そこで、明心あけみの顔が妙に赤くなっていることに気がついた。



「ねぇ、奏瑚かこぉ……」


「ん?」


って、なんなのかなぁ?」


「………………はぁ?」









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