第08話 放課後の体育館裏1

奏瑚かこぉ……。なんか、夜掴やつかに呼び出されたよぉ……」


「……」




 翌日の放課後。


 明心あけみは、部活へ向かおうとする奏瑚かこを捕まえることに成功した。奏瑚かこは嫌そうな顔を浮かべたが、すがりつくような明心あけみの姿に、ただ事ではないと感じ取ると、気だるげに溜息を一つ吐いて向き直った。



「で? 私にどうしろと?」


「実は、一緒に来て欲しくて……」


「今度は何やらかしたの? 私も一緒に怒られるとか、意味わかんないんだけど」


「それが……。そうじゃなくて……」


「?」



 話を聞けば、放課後に体育館裏に来るように呼び出されたとのこと。業間休みのふとした瞬間に、兎の姿をした〈幻身うつしみ〉が現れては、この言伝を残して去っていったと言う。だから、呼び出しの理由が分からなければ、拒否権も無かったと言う。


 それを聞いた奏瑚かこは、「いやいや、体育館裏って……」と困惑の表情を浮かべたが、明心あけみはそれどころではない。奏瑚かこが「分かった行くよ」と返答すると、明心あけみの表情はぱぁっと明るくなった。



「で? 本当に心辺りは無いわけ?」


「……多すぎて」


「……訊いた私が馬鹿だった」



 体育館裏へと向かいながら、呼び出された理由を考える。明心あけみは、目を付けられている時点で、どんな理由だったとしても不思議ではないと半ば考えるのをやめていたが、奏瑚かこは文字通り第三者の視点に立っていた。


 明心あけみは目のかたきにしているだけあって、冷静に夜掴やつか帆澄ほすみのことを分析できていないが、彼は優秀な〈幻身うつしみ使つかい〉だ。だから、相村さがむら明心あけみなんていう毛玉モドキしか生み出せない奴に時間を割くこと自体、よっぽどの理由がなければありえない。憂さ晴らしに呼び出すなんて、しょうもない理由で呼び出すわけがない。


 なら、昨日の出来事がきっかけか?


 奏瑚かこは、一対一を挑まれたという話を思い出す。明心あけみは「あまり覚えていない」と言ったため、ほとんど参考にならなかったが、何か夜掴やつか帆澄ほすみの考えを改めさせるようなことをしたのではないか? そこまで考えた奏瑚かこは、何があったのかを思い出すように明心あけみに促した。



「って言われても、覚えてないものは覚えてなくて……」


「……」


「〈幻身うつしみ〉を使ったら、なんか自分が別人みたいになったところまでは思い出せるんだけど……。その先が……うーん……」


「なるほど? ――まぁ、その調子だと、呼び出された理由は、なんとなく察しがついたよ」


「えっ?」



 教えて、教えて、と迫る明心あけみ。他方で、自分で言ってて気が付かないのかと奏瑚かこは天を仰ぐ。


 力を発動させたはいいが、記憶を飛ばしているのだ。そんな危なっかしい力の使い方をする人物を、放置しておくわけにはいかない。きっと、特別訓練かなにかが待っているんだろう。そう告げようとした奏瑚かこだったが、すでに体育館裏近くまで来ていたため、言い出すのをやめた。



「まぁ、直接訊きなよ。悪いようにはされないでしょ」



 奏瑚かこは、先に来て待っていた人物を顎で指す。



「……え?」



 そこで、明心あけみは息を呑んだ。


 目に飛び込んできたのは、予想だにしない人物。鍛えられた身体、凛とした顔立ち、アッシュの髪に、春の陽気のような眼差し。その人物は、明心あけみがよく知っている人だった。



月雲つくも……さん?」




 *****




 気が付けば、明心あけみは駆けだしていた。なんで? どうして? そんな疑問よりも早く、衝動のままに走り出す。ずっと、会いたかった。胸の高鳴りだけを理由に、明心あけみは駆け寄った。



月雲つくもさ――ッ!」



 だが、あと数歩のところで、目の前の男が全くの別人であることに気が付く。――夜掴やつか帆澄ほすみ。先ほどまでアッシュに見えていたはずの髪は夜闇のように黒く、春の陽気のような瞳は獰猛な肉食獣のような瞳に変わる。



夜掴やつか! どうして、アンタがここに?」


「何言ってる? 呼び出したからに決まってるだろ?」


「それは……そう……ですけども?」



 おかしい。見間違えたのか? 明心あけみはすっかり困惑して、周囲をキョロキョロと見渡す。だが、この場にいるのは、どう見ても明心あけみ帆澄ほすみ奏瑚かこの三人だけだ。


 どうして、見間違いなんてしてしまったのだろう。あろうことか、月雲つくもさんと夜掴やつかを間違えるなんて、と明心あけみは頭を抱える。いったいどうしたと逆に困惑し始めたのは帆澄ほすみ。そんな二人を見ながら、後方で、奏瑚かこは見ていられないと片手で顔を覆った。



「で? 一体何の用ですか?」


「あのなぁ……。なんでお前は、そういつも喧嘩腰なんだ?」


「そ、それは……ッ! アンタがいちいち癪に障ることするからでしょッ? 私を晒し物にしたり、弱い者いじめしてきたり……それに私の大切な物をガラクタ呼ばわりしたじゃないですか!」



 明心あけみは、ぎゅっと両手でお守りを握る。もうそうなると、帆澄ほすみのことを怖がってるのが、見え見えだった。瞳はすでに潤んでいて、いまにも泣き出しそうなのに、意地だけで踏ん張って立っている。こんな状況の女の子に、特別訓練などと言い出せるはずがない。


 帆澄ほすみは、怖がられ、嫌われていることを理解していた。意図的にそうされるように振る舞ってきたのだ。当然の結果だった。あとは、夜掴やつか帆澄ほすみを悪者にして、真っすぐ田舎に帰ってくれれば、全て解決することだった。


 だが、状況が変わった。明心あけみの持つお守りは、力を封じ込めることで彼女を守ってきた。しかし、すでにかなり経年劣化しており、応急的な修理でこの先いつまでもつか分からない。


 だから、力を封じ込めるのではなく、明心あけみ自身に力の制御を覚えさせるしかない。帆澄ほすみの考え方は、大きく変わっていた。



相村さがむら明心あけみ


「な、なんですか!」


「お前には本当に申し訳ないことをした。謝罪する」


「……ふぇ?」



 帆澄ほすみが、頭を下げる。意表を突かれてしまった明心あけみは、途端に慌て始める。



「あ、謝ったところで――」


「お前がこれまでに被った不利益や、精神的苦痛については、全面的に俺に非がある。許せと言うつもりもないし、許されるとも思ってない。これからは、しっかりとお前の気持ちを汲んでいくつもりだ。もしお前が、消えろと言うなら消えるし、死ねと言えば死ぬ」


「……そこまでは……言ってないです」



 冗談だよ。と、もし目の前の相手がルームメイトの壱條いちじょう侑生ゆうなら茶化していただろう。だが、喉まで出かかった言葉を、帆澄ほすみは飲み込む。明心あけみを目の前にすると、真剣に向き合わなければならない気がしてくるから不思議だった。



「だから、お前の気持ちを確認しておきたい、相村さがむら明心あけみ。お前はどうなりたいんだ?」


「それは、最初っから言ってるじゃないですか! 私は月雲つくも絢志あやしさんに憧れてここまで来たんです。このお守りをくれたのもそう。会ってお礼もしなきゃって……。でも、それ以上に、あの人みたいに困ってる子を優しく助けてあげられるような人になりたいんです!」



 真っすぐに明心あけみに見つめられる帆澄ほすみ。目を逸らしてはいけないと思えば思うほど、口元が歪な形になる。表情が緩んで、変な顔になっていないだろうか。そんなふうに思う帆澄ほすみだったが、それと同時に月雲つくも絢志あやしを英雄視する明心あけみに不快感を覚えてしまう。羞恥心と不快感。混じり合う感情は、あざけりにも似た苦笑になった。



「ふーん」


「ふ、ふーんって! 馬鹿にするんですかっ?」



 帆澄ほすみは馬鹿にしているわけではない。むしろ、抱いてしまうのは嫌悪感だ。月雲つくも絢志あやしのどこが良いわけ? あんなの外面だけの偽善者だろ? 世間に求められて演じてる仮面じゃないか。しかも、明心あけみが追いかけているのは十五歳のころの月雲つくも絢志あやし――六年前の自分。一番イタいころの自分だ。あんなガキの何がいいのか、帆澄ほすみは理解に苦しんだ。


 それまで、冷静に向き合おうとしていた帆澄ほすみだったが、だんだんイライラしてきてしまう。



「最低です! アンタなんか、月雲つくも絢志あやしと比べれば――」


「比べれば? 何?」



 迫る帆澄ほすみ。苛立ち混じりの口調に、明心あけみは威圧されてしまう。けれど、帆澄ほすみは問い詰めたいわけでも、論破したいわけでもない。


 こんなくだらないことで揉めている場合ではない。それは、明心あけみが握りしめているお守りを見れば分かる。昨日、修復したばかりだというのに、もう悲鳴を上げ始めている。明心あけみの力を抑えきれていないのだ。このまま、お守りが壊れれば、力を暴発させてしまうだろう。その前に、なんとしてでも力の扱いを覚えさせなければならない。


 時は一刻を争う状況だ。



「――悪い。俺が大人気なかった。なんにせよ、目標があることはいいことだ」


「私こそ、すいません。でも、なんで夜掴やつかさんは、月雲つくもさんの名前を出すと怒るんですか? 同じ勲章を持ってるし……やっぱりライバルなんですか?」


「ライバルなんかじゃない。単純にムカつく奴だよ」


「どういうところがですか?」



 明心あけみが訊くと、帆澄ほすみは握りしめられているお守りを指さす。明心あけみがずっと大切にしてきた宝物。本当は、帆澄ほすみは嬉しかった。ずっと大切にしてきてくれたんだと。



「昨日も言ったように、それはお前の力を封じ込めてる呪符だ。お前の本来の力は強力すぎるから、そのお守りは、力に飲み込まれないように、お前のことを守ってる」


「そのどこがムカつくんですか?」


「分からないか? それを持ってる限り、お前は毛玉しか作り出せない」



 つまり。


 大切な人に近づくためには、宝物を捨てなければならない。それは残酷なことだと、帆澄ほすみは思った。



「すぐに捨てろとは言わない。むしろそれは、危ないから全力で止める。もちろん、お前が望むんなら、そのお守りを作り直すこともできるし、力の制御の仕方を知りたいなら教えることもできる」



 そう言って、帆澄ほすみはその場を後にする。去り際に、ポンと明心あけみの頭に手を乗せたが、それは帆澄ほすみができた最低限の後押しだった。



「明日もこの時間に待ってる」









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