第06話 二つの名前

「覚えてないの?」


「うん。なんかこう、夜掴やつかに対してイライラしたのは覚えてるんだけど……その後何やったか覚えてないし、なんでイライラしたのかも分かんないんだよね……。お守りは……なんだかんだで綺麗になって返って来たし……」



 お互いの間に沈黙が走る。


 早稀さきは、前々から明心あけみのことを変な子だと思っていた。初日に夜掴やつか帆澄ほすみに対して打倒宣言をしたこともそうだが、それ以上に彼女が出現させたに興味を抱いた。周囲は毛玉を見て、単にうまく〈幻身うつしみ〉を現界させられていないだけだと嘲けたが、早稀さきは実体化の失敗に意図的なものを感じた。明心あけみのなかにストッパーのようなものがあって、それが邪魔しているのだ。


 そのストッパーが一時的にとはいえ、今朝、外れかけた。しかも、そうして明心あけみから飛び出してきたものは、早稀さきにとってはだった。だから、明心あけみに対してさらなる興味を覚えた。一体、あなたは何者なの? そしてなぜ力を隠しているのか。何が力の開放を引き起こしたのか。それに迫れるかもしれないと思い、探りを入れたつもりだった。


 だが、当の本人は何も分かっていない。どうして、大学部生でも使用に難を覚える高難度技〈幻身うつしみまとい〉が使えたのかと訊いたところで、「それ何?」と逆に説明をさせられる羽目になるどころの話ではない。今朝、夜掴やつか帆澄ほすみと対面したところからの記憶がまるっきり欠落しているのでは、話のとっかかりすら無かった。



「……」


「……」



 見つめ合う二人。


 そのうち明心あけみは、早稀さきに対して本当に綺麗な人だななんて思い始める。整った顔つきだけではない。制服姿でも分かってしまう無駄のない身体つきは、女子の明心あけみから見ても魅力を感じずにはいられなかった。


(でも……、どこかで見たことあるような?)


 同時に既視感にも襲われる。――よく、有名人に似てるって言われない? 二言目にはそんなことを口にしそうになる。とはいえ、誰だったか……。



「……あ!」


「?」



 頭のなかで、早稀さきを不覚にも競泳水着に着せ替えしたところで思い出した。水泳選手の久珂ひさか乃渚のなという人物に似ているのだ。天ノ峰あまのみね学園に在学しており、高校一年生でありながら全国大会に出場したことでニュースになっていた。その実績も凄いが、美人すぎることから、メディアの注目度も高かった。



「えっとさぁ、全然話は変わるんだけど、七穂ななほさんって水泳とか得意そうだよね」


「うん?」


「よく似てるって言われない? 久珂ひさか乃渚のなさんに」



 そこまで言ったところで、またしばらくの沈黙が生まれた。早稀さきは涼し気な笑顔のまま、顔を硬直させているが、「コイツは何を言っているんだろう」と言いたげであることが隠しきれていない。他方で、そんな感情の機微を見逃すほど、明心あけみも馬鹿ではない。


 訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうか。視線を逸らして謝ろうとしたところで、早稀さきはクスっと笑った。


 そして、居心地が悪そうに頬をかく。



「うーん。そっか。意外と分かんないもんなんだね」


「?」


「似てるも何も……、ね。……あはは」


「?????」



 

  ―― NANAHO七穂 SAKI早稀 ――

  ―― HISAKA久珂 NONA乃渚 ――




「もしかして、明心あけみちゃんって、本名と術師名を分けてなかったりする?」




 *****




 〈幻身うつしみ使つかい〉たちが術師名を使い始めたきっかけは諸説ある――と、早稀さきは説明する。一つに、〈幻身うつしみ使つかい〉がまだ一般に知れ渡っていなかったころに、一般人に異能力者だと悟らせないために、術師専用の名前を作ったという説。他には、術師と一般人が結ばれた際に、その子どもが二つの名前を持つことになり、広まっていったという説。あるいは、〈暁鴉あけがらす〉の残党が、素性を悟らせないように偽名を使い出したところ、〈幻身うつしみ使つかい〉たちもまた真似をし始めて、二つ名前を持つようになったという説もある。


 色んな説があるよと、ポカンとしたままの明心あけみに説明する早稀さき。まだ、表の世界で水泳美少女として活躍する久珂ひさか乃渚のなと、裏の世界で天才術師としての才能を持つ七穂ななほ早稀さきが同一人物であることを受け入れられていないようだ。



「じゃ、じゃあ私も? 早稀さきちゃんは二つ目の名前をいつ誰にもらったの?」


「うーん。私は代々〈幻身うつしみ使つかい〉の家系の出だから、生れた時に二つ持ってたけど、そうじゃなかったら入学する時じゃない?」


「だ、誰につけてもらうの?」


「基本的には自己申告だと思うけど……」



 そんなの私、知らないよ!

 そう言おうとした時だった。



「――いや、アンタが何でもいいって言ったんでしょ」



 気だるげな口調で、ぬっとその場に藤生ふじょう奏瑚かこが姿を現した。いつの間に、と驚く明心あけみをよそに、奏瑚かこは入学前のことを思い出しながら語る。



「入学手続き手伝った時に、明心あけみが分かんないっていうから、適当に書いたんだよ」


「そ、そんな!」


「術師名? ……とか言われても一般人の私はよく分かんないし。明心あけみ明心あけみで、ニックネームみたいなもんだって言うから。まぁ、本名と一緒でいいかなって」


「私、そんなこと言ってた? いやいやいや、私は本名とニックネーム分けたいタイプなんだけどぉ……」



 二人の掛け合いが面白かったのだろうか。様子を見ていた早稀さきはくすくすと笑う。いいや、所属している科が異能力科だとはいえ、女子高生としてのいまは久珂ひさか乃渚のなだ。容姿端麗で、勉強もできる水泳部のエース。明心あけみはそんな存在と隣にいることを、同級生と楽し気にバレーをしていた奏瑚かこに対して、誇りたくなってしまった。



「じゃーん! これ子、誰だと思う?」


久珂ひさか乃渚のな? ……にしか見えないけど?」


「なっ! なんで知ってんの?」


「そうとしか見えないでしょ。ついに目でも腐った?」


「ち、ちがうもん! えっと……そうじゃなくて……」


「術師名と本名が違ったから、別人だと思ってた。違う?」


「違くないですけどぉ……」



 まずは、久珂ひさかさんへの失礼を詫びなさい。そんなふうに、奏瑚かこ明心あけみの頭を掴んでは、一緒に頭を下げる。その様子を、「あはは」と半分苦笑いで眺める早稀さき。本当に、〈幻身うつしみ使つかい〉のことは何も知らないんだなと感じるとともに、実は奏瑚かこの方が、色々と分かっているんじゃないかとも思う。



「じゃあ、やっぱみんな術師名を使ってるのかなぁ?」


「この感じだと、使ってないの、アンタくらいでしょ」


「うぐっ」


 

 そこへ、早稀さきは、「ちょっと、ちょっと」と制止に入る。



「あんまり言ったら可哀想じゃん」


早稀さきちゃん……」


明心あけみちゃんは、分かってないみたいだから、サービスね。例えば、明心あけみちゃんが目のかたきにしてる夜掴やつかさんだって、世間で知られている名前は――」


「ちょっと待って! いまの聞き捨てなんない。違うよ! 私が目の敵にしてるんじゃないくて、アイツが目の敵にしてんの!」



 ぷぅ、と頬を膨らませて抗議する明心あけみ


 ちょうどそこで予鈴が鳴り、三人は解散することとなった。




 *****




 その日の夜。


 寮へと戻った明心あけみは、昼休みのことを夕食時の話題に出した。



「それにしても安心したよー。奏瑚かこってば普通科のみんなとうまくやってるんだね。ホントびっくりしたー」


「こっちは、ヒヤヒヤしたんだけど。超有名人と知り合いになってるし……本当にやっていけるの?」



 大丈夫だよーと、満面の笑みを浮かべる明心あけみ。そのまま、目の前の夕飯に夢中になってしまう。この楽観的な思考は、一体どこから来るのだろう。奏瑚かこは深いため息を吐き、頭を抱えるしかなかった。




「(アンタ。私が久珂ひさか乃渚のななら、昼休みだけで十回は殺されてるよ?)」









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