第16話 花に風

 全部、壊してしまおう。

 全部、焼き尽くしてしまおう。

 全部、黒く染め上げてしまおう。



燼滅じんめつときだ」





 *****




 一条の紅蓮が空を刺す。


 壱條いちじょう邸の塀の向こう側から、火柱が上がったのは深夜に差し掛かった頃。南中する満月に向かって、宣戦布告するように赤い柱が突き上げられる様は、暁鴉あけがらす月雲つくもを誘い出しているようだった。



「なッ!」



 声にならない声を上げる侑生ゆう。治安維持隊の集まる、いわば本丸の中心から炎が上がったのだ。途端に、炎を噴き出す建物の方からは、怒号や叫び声が聞こえて来る。当然、事態には対応しきれておらず、混乱の渦のなかにあっては、部隊の再編成など出来ている筈もなかった。


 直近にいて稼働できるのは。


 月雲つくも絢志あやし久珂ひさか乃渚のなのバディ。



「……行くか」



 おもむろに立ち上がる絢志あやし。だが、その面持ちは先ほどまでとは別人。例えるなら、学園内で見せる顔――夜掴やつか帆澄ほすみだ。「じゃあ、一緒に行きましょっか」と腕に絡みつこうとする乃渚のな。そんな彼女を「一人で十分だ」と跳ねのける。わざとらしく頬を膨らませて追いかける乃渚のなだが、帆澄ほすみはまったく相手にしていない。



「そうやってまた仮面をかぶるんですか?」



 背後から投げかけられる奏瑚かこの声。

 帆澄ほすみは立ち止まると、視線だけを返す。



「仮面だと思う?」


「……」


「悪いね。アイツとの時間が長いのは、の方なんだ。打倒宣言されたのも。――明心あけみを放っておけないって思ったのもの方なんだけど?」



 フッと微笑む帆澄ほすみ。背後で燃え上がる炎で、陰になった彼の顔。その表情は、悪戯イタズラ好きの無邪気な少年だ。瞳の輝きは、さながら獅子座α星レグルス。舞い込んできた風が、帆澄ほすみを包むと、一匹の獅子の姿をした〈幻身うつしみ〉が姿を現す。


 帆澄ほすみが進む理由は、明心あけみから未来を奪ってしまった罪悪感ではない。見ていると、危なっかしくて仕方がないのだ。思えば、出会った初日から、振り回されて、毎日がハラハラドキドキの日々だった。久珂ひさか乃渚のな明心あけみに接近を図るたびに、何度ヒヤヒヤさせられたことか。


 この世界に明心あけみの居場所はない。〈幻身うつしみ使つかい〉になるには、技量も足らなければ、知識も足らなければ、何もかもが足りていない。立ち振る舞いに関しては最悪だ。久珂ひさかだけではない。誰が相手でも、一瞬で踏みつぶされてしまうだろう。


 こんなくだらないところで潰させない!

 始まったばかりなのに、終わらせてたまるか!

 まだ春学期が半分終わっただけだ。


 帰れと言われてもへこたれず、毛玉と呼ばれてもめげず、朝は一番早く来て、夜は一番遅くまで残っている。そんな子が、こんなところで終わっていいはずがない。一生懸命な奴が、絶望するような世界であっていいはずがない。一人で戦わせていいはずがない。これから先、楽しいことがたくさんあるのに、ハラハラドキドキだけでエンドロールなんてあんまりだ。


 明るい未来を掴まえよう。

 きっとこの夜の向こう側にある。



「失礼しました。――ご武運を」


「うん。行ってくるよ」





 *****





「は、ハァ? 先輩、マジで何考えて……って、ギャアアアアアアァァァァァァァァァァァッ! 火が飛び移ってるううぅぅぅぅぅッ!」



 塀を飛び越えていった二人を追いかけようとした時、侑生ゆうは絶叫した。庭まで飛び出したところで目に入ってきたのは、火の手が回り始めた離れの姿だった。



「ヤバい、ヤバい、ヤバい!」



 侑生ゆうは頭を抱えて、激しくかきむしったが、すぐにここも危険だと察した。母屋のほうに残ったままの奏瑚かこの方に叫びながら知らせる。



「逃げよう、奏瑚かこちゃん。ここは危ない!」


「――っ! 壱條いちじょうさん、後ろ!」



 一方で、奏瑚かこも叫ぶ。奏瑚かこが目にしていたのは、侵入してきた黒ローブの集団だった。視認できるのは三人だが、実際には屋敷を取り囲むようにして計八人が二人に迫っていた。昼の時点では取り逃がしてしまった、犯人の残りだ。


 その中心にいるのは、紫煙をくゆらせている男――スカーレットだ。



「なんで? くそっ、なんでこんな時に!」


「悪く思うな。久珂やっこさんは、壱條おまえのことを相当虐めたいらしい」



 それじゃあ、お昼の続きだ、と。


 スカーレットは、周遊していた火鼠を捕まえると、炎の刃へと変形させる。この場所は、侑生ゆうにとっては文字通りホーム。スカーレットらにとってはアウェイ。もし、負けるようなことがあれば? 壱條いちじょう家の没落は決定的なものとなる。


 逃げようと家から飛び出して来た奏瑚かこ。だが、背後から迫って来た黒ローブによって、喉元にナイフが突きつけられる。



「なッ!」


「さて、どちらを先にろうか」


「テメェッ!」



 突っ込む侑生ゆう。無策で無謀でしかない。それでも、実際に侑生ゆうにできることなど、圧倒的な力を前にしては、それくらいしかなかった。スカーレットは、昼間と同じかと呆れつつ、虫を払うかのように柄頭つかがしら侑生ゆうを叩き落とす。



「ガッ……!」


「寝てろ。女が先だ」



 スカーレットの声が遠くで響くような感覚がして、意識が遠のいていく。わずかに動かせる腕を、奏瑚かこのほうに伸ばすが当然届かない。家も焼かれ、テロリストの侵入を許し、さらには女の子も守れないのか。


 やめて、はなして、と抵抗する声が聞こえる。



「何が目的なんですかっ?」


「悪いな。このガキ以外は、殺すよう指示されてる」


「――ッ!」


「やれ」


 

 直後、何かが切り裂かれる音がし、続いてドサリと崩れ落ちる音がした。それが、侑生ゆうが最後に耳にしたものだった。



「ごめん………………ちゃん」



 そして、侑生ゆうは絶望のなか、意識を手放した。




 *****




 一体何が起きた?

 スカーレットは目の前で起きた光景に、呆気にとられた。



 崩れ落ちたのは、味方の一人。倒したのは、ベーカリーでずっと膝を抱えていたはずの少女だ。怯えて震えていただけの少女が、まるで別人になったかのような雰囲気を放っている。気だるげに肩に手を添えては、凝りをほぐす動作をする奏瑚かこ。足元に倒れた黒ローブに、ゴミでも見るような視線を向ける。



「どさくさで、どこ触ってんの? 殺されたいの?」


「お前――」



 黒ローブの一人が突っ込む。が、瞬時に弾き飛ばされた。さながら、奏瑚かこの周りにいるかのような弾かれ方に、残りの黒ローブは警戒する。


 いいや。


 黒ローブたちの目を引き付けたのは、奏瑚かこの姿の変化だった。髪の黒は空気に溶けるように色が失せていくと、雪よりも美しい白銀の髪へと変わる。目を開ければ煌めく紫水晶アメジストの瞳。そして、巨大な半透明の白蠍が、奏瑚かこに纏わりついていた。



「まさかとは思うけど――」



 発せられる透き通る声。

 それでいて芯のある声。



暁鴉あけがらす一族の正統な後継者の近くにいる人が、まさかとでも?」



 なぜ、暁鴉あけがらすが滅びなかったのか。千年の長い時を、息をひそめていられたのか。それは、常にそばにいて守り続けていた存在がいたからだ。それは、決して歴史には名を残さないが、常に影として支え続けていた存在。だが、その肩の荷もようやく下りる気がする。



「〈幻身うつしみまとい――携影けいえい鋏角白刃きょうかくはくじん〉」



 一瞬だった。


 黒ローブたちが、瞬きのうちに切り裂かれて、地に伏せる。何をされたのかは全く理解できていない。辛うじて攻撃を回避したのはスカーレットただ一人。だが、その彼でさえも、死神の大鎌が振るわれた程度の認識だった。


 スカーレットは恐怖した。目の前に居るのは一般人ではない――そんなことは分かっている! 問題は、ただの〈幻身うつしみ使つかい〉ですらないということだ。難易度が高く、危険度が高いとされている〈幻身うつしみまとい〉を、顔色一つ変えずに使いこなしていることは、目に見えている部分にすぎない。


 底なしの深淵を覗いている気分だ。


 昼間に本物の暁鴉あけがらすと相対した時にも感じたが、根本的に現代の〈幻身うつしみ使つかい〉たちとは格が違う。それは千年前に失われた秘術。そして、五大名家が必死になって滅ぼそうとした能力だ。


 千年前の神秘。

 悠久の時を越えて、牙を剥く。



「〈幻身うつしみまとい――携影けいえいこう……ッ?」


「〈――携影けいえい紅炎刃こうえんじん〉」



 もう見飽きたよ、それ。


 声がしたかと思えば、すでに奏瑚かこはスカーレットの背後。形成した炎の刃を斬り込んだあとだった。その技は、スカーレットの能力そのもの。再現度はもはや原型オリジナルをとの違いを全く感じさせないどころか、加えられたわずかなアレンジによって原型を遥かに凌ぐものに仕上がっていた。


 膝をつくスカーレット。

 勝敗は決した。

 背後で奏瑚かこは炎の刃を霧散させる。



「お店を返せ、赤見俊彦スカーレット


 







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