第18話 女狐の思惑と姫の涙

 「まぁとにかく、今は私の出自はどうでもいいさ。それよりも、襲ってきた連中の正体の方が重要な話だと思うが?」


 ランスロー様の言葉に、ジャビは「あぁ」と返事を返した。


 「現在、ドライオン側が私を貶めて殺す理由と言うのが全く分からない以上、謁見の間で私たちを襲った衛兵は、サナリィの息のかかった者達である可能性もゼロではないとは言えるな。寧ろ、高いとさえ思える」


 眉を顰めながら、ジャビは板張りの床にドカッと腰を降ろして胡坐をかいた。もうちょっと、お行儀よく座れないのかしら。


 「そもそも、使者団と交渉は帝国側の提案だ。それをわざわざ刺客を忍び込ませてまで、ランスロー皇子をあの場で殺す理由は?」


 「恐らく、王国との友好関係を深めようとする私をあの場で殺すことで、王国側のせいに仕立て上げた挙句、使者団の代表に任命した摂政グェインの責任問題としても追究出来るとでも考えたのだろう。一石二鳥、どころか三鳥くらいの算段だったのかもしれないな」


 「おいおい、帝国はドライオンと戦争でもする気なのかよ」


 ジャビはテーブルに肘をついて、勢いよく身を乗り出した。


 ホント、さっきから行儀悪いわよ。


 「穏健派の兄上ではなく、タカ派率いるサナリィと一部の貴族たちが、だな。私の父をたらし込んで国の中枢へと入り込んで来たあの女狐は、事ある毎にデイム帝国こそがバナルダン大陸の覇者であるべきだと息巻いていてな。私が死ぬ事で仇をとると言う大義名分を手に入れたのなら、すぐにでもモルディッドを玉座に就かせ、リルハント、そしてドライオンへと攻め入るつもりだったのだろうさ」


 「そ、そんな恐ろしい謀略の一端が、あの場で起こっていたのですか?」


 私の問いかけに対して、ランスロー様は涼しい顔のまま、その長い足を組み直して静かに頷かれた。


 「あくまで想像の域は出ないよ。だが、大方そんなところだろうと思う。あの女の考えそうなことさ。しかし、丸腰の私たちなら、簡単にれると思ったのだろうが、詰めが甘いな。私に氷の加護があったことは、奴にも誤算だった様だ」


 あれって、帝国内でも知っている人が少ないんだ。でも、そんな大切な事を私たちに簡単にバラしちゃっていいものなのだろうか?


 「それで、皇子が生きてるってサナリィが知れば、奴はどう動くと考えてるの?」


 「さてな。だが、衛兵がサナリィの放った刺客だと証拠が挙がらない限り、ドライオン側が俺を襲ったと言う事実は消えまい。私が帝国へと無事に帰って、この件を正しく精査しないと、結局はそれを理由に侵攻もありえるかもしれないな」


 「なんてことだよ。サナリィとかいう女、俺の想像以上に面倒くさい奴みたいだな……」


 ジャビもランスロー様も、それっきり考え込むように黙り込んでしまった。


 しばし、ロッジの中に沈黙が流れる。


 あの謁見の場で繰り広げられた謀略の出来事。


 それはある思惑を持った人間達が仕掛けた陰謀だったらしいことが見えて来た。


 だがしかし、ランスロー様が話された内容は、私とっては正直どうでもよかった。


 帝国内の継承者問題とかも、妾の子であろうとか、女狐と噂される宰相のサナリィとか、何一つ興味がなかったから。


 私が唯一興味があることは、ランスロー様の今後の行動と身の振り方だ。


 彼の取るべき道の方が、私の一番気になる事だから。


 「ラ、ランスロー様は、この後……どうされるのですか?」


 沈黙を破った私はの声に、ランスロー様はテーブルを見つめていた視線を上げる。


 「うん、この後か。そうだな、あの侍女がレイドルたちを無事に救出してくれたのならば、彼らと一緒に国へと帰ろうと思う。先ほども述べた様に、あの衛兵がサナリィの刺客かどうかを調べなければならないし、何より私の命が狙われたのだ。兄上の身も、恐らく危ういだろうからな」


 「で、でも、その、ランスロー様ご自身が危険な目には……?」


 「まぁ、私が生きているのは、サナリィにとってはこの上なく都合が悪いからな。故に、デイム城に到着するまでに……いや、帝国領内に足を踏み入れれば、刺客によって命を狙われるだろうさ」


 「そ、そ、そんなにも危険なのであれば、その、私と一緒にこの国で……」


 『暮らしませんか?』と言う言葉を、紡ぐ事が出来なかった。今の私は、セルグリードの甥のシャルダであり、彼と婚約予定のシャルターユ姫ではないのだ。


 謁見の間であんな事が起きさえしなければ、本当なら婚約者として私と彼は出会うはずだった。結婚を前提とした、素敵な出会いを果たす予定だったのだ。


 だけど、それがなんの因果か、私の存在を彼はシャルダと言う架空の存在で認識したままになっている。


 なんだか、その事がとても切なくなった。


 「このまま国に帰って殺されるのが分かっているとしても、私は摂政の身が心配だ。血を分けた家族を、大好きな兄上をみすみす殺させやしない」


 「大切な、家族を……そ、そうですね」


 ランスロー様の言葉に、私は大好きな家族の顔を思い浮かべた。


 確かに、謁見の間に残してきたお父様とお兄様の事がとても気になる。無事であろうか、ケガをされていないだろうかと、気が気でならない。


 今すぐにでも、安否を確認したい気持ちはすごく理解出来る。


 ……でも、いくら大切な家族の為とは言え、ランスロー様が帝国に戻れば、自身の命が危ういかもしれなのだ。


 このまま何もせずにただ彼の背中を見送ったのなら、今生の別れになりかねない。


 その事に、私の胸の奥がギュッと締め付けられた。


 彼が私と言う人間を知らないまま去ってしまうこと、それとあの腕に抱かれた優しさと温もりを感じる事が出来なくなってしまう事が、たまらなく辛い……私と言う人間をもっと知って欲しいし、もっともっと彼と一緒にいたい。


 陽光を反射して煌めく湖を一緒に見たり、綺麗に咲き誇る花園を見たり、夜空いっぱいに輝く星を見たり、私のお気に入りの地下牢を教えてあげたり……彼と同じ時間を過ごして共有し合いたい。


 でも、そんなありきたりの出来事が、叶わぬ夢と消えてしまう。


 私のワガママを言えないってことも……分かってる、分かってるけど。そんなの嫌だから。このまま、さよならだなんて、絶対に嫌。


 イヤ、イヤイヤ! 彼と離れるなんて絶対にイヤ! 二度と会えなくなるかもしれないなんてもっとイヤ! 絶対に、絶対にイヤ! 


 私は! 私は彼と一緒にいたいだけなの! 国とか、争いとか、家族とか、そんなの全然関係なくて! ずっと、ずっと傍にいたいだけなの!


 私は彼と、結婚するんだもん! ずっと一緒にいるんだもん!


 「シャ、シャルダ殿?」


 「え?」


 私の赤みを帯びた擦りむいた頬に、温かい涙が伝っていく。次から次へと、目の奥から溢れ出て来る涙が傷口に触れて……とても染みて痛かった。

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