第8話 控室での一幕 ③

 「いっだーーーーーーい!」


 「だ、大丈夫ですか? 姫様?」


 「こ、ここれ、これは、ひ、ひざが、膝が死んだかも……」


 右膝の皿が割れてしまったのではないかと思うほどの激痛が私を襲う。ズキズキとバカみたいに痛む膝を押さえながら、ソファーへと寝ころんだ。


 「いだだだだだぁ……」


 今まで味わった事の無い絶望的な痛さに、膝を抱えて悶え苦しむ。


 「なんてことだ! 大丈夫かい、シャルル!」


 「これは大変だ! リリカナ! 王宮医師たちを今すぐ呼ぶのだ!」


 我を忘れたかの様に慌てふためく二人の声が、控室中に響き渡った。お父様、お兄様、大声出さないで下さい……膝に響きます……


 「落ち着いてください、陛下、それにガルド殿下も。確かに、膝をアホみたいに強烈にブツけられましたが、医師団を呼ぶほどではありません」


 リリカナ。確かに強烈にブツけたけど、アホみたいには余計だと思うの。


 「だが、しかし……」


 「もう、謁見の時間が迫っております。姫様のことは、わたくしにお任せ下さい」


 お父様はしばらく黙っていたが、仕方がないとばかりに溜息をついた。


 「……う、うむ。そうだな。リリカナ、可愛い我が娘の事を頼んだぞ」


 「はい。陛下」


 涙で滲んだ視界の向こうで、頭を垂れるリリカナが見える。使者が待つ謁見の間へと赴く為に、お父様は立派な狼の毛皮で拵えたマントを羽織った。


 「シャルル、お前を置いて行ってしまう父を許しておくれ」


 「大袈裟です……お父様」


 次々に溢れてくる涙で、部屋を後にするお父様とお兄様の姿が歪んで良く見えなかった。そんな二人の背中を見送った後、リリカナはソファーで膝を抱えて横たわる私の元へと近寄って来る。


 「とても痛そうなお顔をしてます」


 「とっても痛いよ……膝だけ先にお亡くなり……」


 「音、凄かったですからねぇ」


 「うん、世界が終った音だった……」


 リリカナは口元に手を当てて、クスクスと笑う。


 「ふふっ、それこそ大袈裟だと思います。世界じゃなくて、姫様の膝だけが終った音でしたよ」


 「うぅぅぅ……」


 「さぁ、手をどけてもらってもいいですか?」


 「う、うん……」


 言われた通りに、私は痛む膝を押さえていた手を恐る恐る離した。代わりにリリカナの手が添えられて、ピリッとした痛みが走る。


 「いつつ……」


 「すこ~しだけ、我慢してくださいね」


 「ん」


 私の膝に置かれたリリカナの細い指から、じんわりと温もりが伝わってくる。それと同時に心配してくれる彼女の優しい気持ちも、一緒に伝わってくるみたいだった。


 「痛いの痛いの、飛んでいけ~」


 転んだ幼子をあやす様な口調で、膝を優しく擦ってくれるリリカナ。彼女のに、バカみたいな痛みが徐々に和らいでいく気が……いや、気がするのではなくて、ジンジン、ズキズキと響いていた激痛が嘘みたいに引いて行く。さっき、石階段に顔をブツけてフェイスパウダーを塗って貰っている時みたいに。


 「姫様の、痛いの痛いの、飛んでいけ~」


 私の痛む膝を擦りながら、リリカナは柔らかい声で囁く様に続ける。大好きなお母様に抱かれている様な、不思議と安らぐ感覚に私は身を委ねていた。


 実は、昔から彼女にケガを診てもらうと不思議と痛みが引いて行くのだ。それが何故なのかは私には一切分からないけど、もしかしたら、リリカナの事をお父様が一目置いているのって、このことなのかもしれないと思った。私が他人の心を聞けるように、彼女も何かしら不思議な力を持っているのかも……


 「どうですか、姫様? まだ痛みますか?」


 「ううん、お亡くなりだった膝……生き返った」


 「ふふっ、良かったです。念のために、もう少し擦っておきますね」


 「うん……ありがと」


 私にお姉様がいたのならこんな感じだったのかなって思いながら、膝を擦ってくれているリリカナを見つめる。すると、その視線に気が付いた彼女が、私に向けて微笑みかけてくれた。


 「マ、ママ~」


 思わず口にした言葉がそれだった。


 「わたくしに、子供なんていませんよ」


 リリカナは少し拗ねた様に頬を膨らませると、擦ってくれていた手で膝をパンパンと叩いてきた。もう、全然痛くない。


 「ほら、もう大丈夫ですよね?」


 「……痛くない」


 痛めた膝を伸ばしたり閉じたりして確認する。


 「じゃあ、姫様も謁見の間へどうぞ」


 「そ、そうね、じゃない。そうだね、行かないと」


 私は体を起こすと、ソファーに腰かけたまま、ベレー帽の位置を調整する。そして、そのまま立ち上がって身だしなみも整えていく。


 「バッチリですよ」


 「うん」


 「それでは、シャルダ様。お仕事、頑張ってくださいね」


 「へ、へへ、任せて」


 私は彼女に向かって、指を閉じたままのピースサインを見せた。

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