第9話 美しい皇子 ①

 笑顔のリリカナに見送られて、私は控室を後にした。そして、短い通路を歩いて、謁見の間へと続く扉を潜る。


 すでに、使者の人たちとの謁見は始まっている様で、お父様の低く威厳ある声が室内に響いていた。なにやら、遠方よりご苦労だとか長旅がどうとか、今まで何百回と聞いてきたお決まりの挨拶を言っている。


 それを邪魔しない様に、私は忍び足で控室の扉を隠す為に立てられた衝立ついたての近くまで移動する。そして、隙間からそっと部屋の様子を窺った。


 そこそこの広さと、柱や壁に施された派手な装飾品が窓から差し込んでくる陽光で輝く謁見の間。


 大理石の床に赤い絨毯が敷き詰められた部屋の中央辺りには、十数人ほどの見知らぬ人々、それに部屋の壁際に沿って等間隔で並んでいるドライオンの衛兵の姿が見える。そして壇上の下には、お兄様と宰相セルグリード、ついでに数人の宮廷貴族が左右に分かれて立っていた。


 壇上の玉座に腰かけるお父様に対して、立ったまま頭を垂れる黒い軍服に身を包んだ一団。どうやら彼らが、デイムから遣わされた使者の一団だと思われる。確か、お兄様は最前列の中央に、例の皇子様がいると言っていた。


 私は彼を探そうと、一団の最前列へと視線を移す。


 だが探すまでも無く、他の人たちとは一際違う金の刺繍を施された黒い軍服を纏う人物で目が止まった。しかし、今いる位置からでは、頭を垂れている彼の顔をしっかりと確認することが出来ない。もう少し、上げてはもらえないだろうかと願う。


 「デイム帝国よりの使者の代表者よ、発言を許す。顔を上げられよ」


 私の想いが届いたのか、お父様から発言を許された彼が顔を上げた。


 「はっ、お初にお目にかかります、ドライオン国王陛下。私はデイム帝国摂政グェインより使者団の代表に任命されました、ランスロー・ゴドウィンと申します。本日はお忙しい中、わざわざ謁見の機会を与えて頂き、恐悦至極に存じます」


 私の体の中を、ビリリっと鋭い何かが駆け巡った。それはもう、バッチバチに。


 白い肌に、指を通せばシルクの様な肌触りなのではないかと思えるほどの、サラサラとした金色の髪ブロンド。前髪は目にかかるぐらい、後ろ髪は背中まで伸ばし、赤い髪紐で一つ結びにして前へ垂らしている。二重で切れ長の目に、吸い込まれそうな空と同じ青色の瞳。鼻筋なんかもスッと通っていて、薄い唇はギュッと結ばれている。知的な印象と、噂通りの冷血さを窺い知れる表情に、私はしばし心を奪われていた。


 「なんて美しい人……」


 動けなかった。瞬きどころか、呼吸さえも出来ないでいた。目や耳、いや全神経が彼に集中して、微動だに出来なかった。無防備に近づけば斬られてしまいそうな危うい雰囲気と滲み出る妖艶な色気に、どうしようもなく惹かれてしまっている。


 そんな美しい彼を見ながら、ふつふつと湧き上がってくる想いがあった。


 『彼になら何をされたっていい。それこそ、殺されたって……』


 お父様や家族が聞けば卒倒し、リリカナからは何をバカな事をと言われるかもしれない。それでも、今の私は心の底からそう思っていたのだ。


 そんな、とても抗えない魅力を、彼は放っていた。


 「貴殿があの有名な、ランスロー皇子であるか。噂にたがわぬ、見目麗しい立派な青年であるな。遠路はるばる、ご苦労である」


 「はっ」


 彼はそう短く返事をすると、再び頭を垂れた。なにやら話は続いているが、すでに私の耳には彼らの会話は入ってきてはいなかった。何故なら、ランスロー皇子の顔と姿を目に焼き付ける作業でとても忙しかったから。


 想像以上に素敵な彼の姿を、もっと近くで見たいと思った私は、あまりの想いの強さに、心と体が前に出過ぎてしまい……な、何てことでしょう……


 ───バターン!


 と、姿を隠してくれていた衝立を豪快に倒してしまった。


 「え、あ……あ、あ」


 その音に驚いた人々の視線が、一斉に私へと向けられる。使者の方々はもちろんのこと、衛兵や貴族、お兄様やセルグリードまでも振り返っていた。


 誰一人言葉を発しない。


 謁見の間は、しばし時が止まったかと思うほどの沈黙に包まれた。


 「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 悲鳴じみた声をあげる私の事を、謁見の間に居る全員が見ていた。驚き、呆れ、不審、様々な思いを乗せているであろう視線を容赦なく私へと注いでくる。


 「あ、あわわ、あうあ……ど、どどど、どうしよう……」


 近づきたい思いが強すぎて起こってしまった突然のハプニング。私の全身から、一気に血の気が引いていく。それと同時に、私の唇や足がガタガタと震えだした。


 男装する事で明るく振る舞うことは出来る。だが、ただそれだけだ。中身はいつもの陰キャな私なのだから、大勢の視線を浴びるとかとても耐えきれない。


 この場をどう乗り切ろうとか、どう誤魔化そうとかそれどころじゃない。大勢の人に見られている恐怖と動揺で、頭の中が真っ白になって何も考えが浮かばなかった。


 もちろん例外なく、ランスロー皇子も私の事を冷ややかな瞳で見つめている。


 絶体絶命のこの場から、走って逃げだしたい気分だった。

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