第19話 フタリキリ
「あれ? え? なに……?」
私は、自分でも気づかない内に涙を流していた。胸の奥から込み上げてくる衝動に突き動かされるがまま、ボロボロ、ボロボロと涙が溢れ出てくる。
頬を伝って流れ落ちる涙の行方を追って下を向く。滴った雫は、床に敷かれた毛皮の絨毯に次々と吸い込まれる様に消えていった。
「な……なみだ?」
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! な、なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?
ちょ、ちょっと、なんで、私涙なんか流してるの!? ワケ分かんないんだけど!
「シャルダ殿。一体どうしたと言うのだ、急に」
「ひゃ、ひゃい!」
ランスロー様の少し驚かれた顔が、涙で滲む視界の向こうに見えた。
そんな顔をされるのも、当然のことだと納得できる。
なんの前触れも無く、目の前の人間がいきなり涙を流し始めたのだから、ビックリしないはずがない。なんなら、涙を流している私自身が一番驚いているまである。
「ぐすっ……きゅ、きゅきゅきゅ、急に涙なんか流して、ご、ごめんなさい!」
「いや、別にそれは構わないのだが」
とにかく、ランスロー様を困惑させるこの微妙な空気を、何とかしなければならない。そう考えた私は、頬を濡らした涙をゴシゴシと厚手のジュストコールの袖で拭って、鼻を啜りながら、誤魔化す様に笑顔で繕った。
「す、すみません。えへへ……」
「どうだろう? 少しは気持ちが落ち着いただろうか?」
「は、はい! その、少しだけ……」
「……」
「あ、そうだ! お、お水! お水継ぎますね」
未だ変わらない何とも言えない空気の中、私は彼のグラスに水を継ぎ足そうと、ソファーから立ち上がった……その時。
「あっと、シャルダ。俺、リリカナの様子見てくる」
「え?」
「わりぃけど、皇子のこと頼むわ」
いつもとは違って、至って真剣な表情をするジャビ。彼は床から立ち上がると、そのまま出入り口へと向かって歩きだした。
「ちょ、ちょっと、ジャビ……?」
「少し、長くなるかもな……」
そう言って彼は背中を向けたまま、右手をヒラヒラと振りながらロッジから出て行った。
────バタン!
と、重い木の扉が閉まる音だけが室内に響き渡る。
「……」
突然、静まり返った空間にランスロー様と二人っきりにさせられて、何事が起こったかのか理解出来ない。呆気に取られた私は、ジャビが出て行った扉を見つめた。
唐突な出来事に、頭の中には疑問符がいっぱい浮かんでいる。
え、なんで? え、えぇぇぇぇ! なんで? なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?
なんで、ランスロー様と二人きりに?!
どうしていいか分からずに数秒ほど悩んだあげく、とりあえずこの場は笑って誤魔化そうと考えた。
「へへへ……えへへへ……」
ゆっくりと視線をランスロー様へと移すと、再びその長い足を組み替えて、無表情のまま苦笑いする私のことをジッと見つめている。
さっきよりも微妙な空気が流れている事に、私は更なる気まずさを覚えた。
「……え、えっと、その、なんて言うか」
「ん?」
「ふ、二人きりですね。えへへ……」
「ああ、そうだな」
困惑する私と違い、冷静な返事をするランスロー様に、変わらない苦笑いで返すしかなかった。
って言うか、なんでジャビは突然出て行っちゃったの? もしかして、私が急に泣き出したから驚いちゃったのかな?
いや、それよりもこんな状況で私をランスロー様と二人っきりにするなんて、あいつ一体何を考えているのよ。
警護対象を放置するって、こんなの仕事放棄も同然じゃない。まったく。
はぁ、あいつもいなくなったこの気まずい空間で、私は何をどうしたら……ん、ちょっと待って。
まさかとは思うんだけど、ジャビったら私とランスロー様が二人きりになれるようにと、気を遣ってくれたってことなの? 邪魔な自分が消えることで、ランスロー様と私が本音で話し合ったり、胸の内を伝えあったり、二人だけの時間を過ごせる様にと……?
そこまで考えて、私は思わず鼻で『フッ』と笑った。
否、ジャビがそんな気を遣う奴とは到底思えない。
昨日だって、昼食のデザートに出されたフルーツ盛りのイチゴを最後の楽しみに残しておいたのに、
『あ、姫。これいらねぇの?』
とか言って、私の返事を待たずして自分の口に頬り込んだのだ。
あの時の満足げなジャビの顔があまりにも憎たらし過ぎて、怒りで悶々とする私は午後のお昼寝を全く出来なかった。
でも、お茶の時間に葡萄を持って来てくれたから許したけどさ。
そういう訳で、諸々の事情により、あいつに細かい気遣いなんてものは出来ないと断言できる。
ジャビの奴、この変な空気に耐えきれなくてひとり逃げ出したんだわ、きっと。うん、そうに違いない。いつになく、すんごい真剣な表情するもんだから、もう少し騙されるところだったじゃない。
まぁ、出て行ったジャビの考えなんて、私がどれほど考えても分かるはずもない。
今はそれよりも、ランスロー様と二人っきりだというピンチに……いや、寧ろこのチャンスを利用して、彼の説得を試みるのはどうだろうか……と考える。
「ラ、ランスロー様……」
「なんだろうか?」
「そ、その、帝国に帰るって言う気持ちは……やはり、変わりませんか?」
「ああ、変わらない。兄上の身が心配だ。レイドルさえも待たずに、今すぐにでもこの場を発ちたい気持ちだ」
「そう、ですか」
すでに、ランスロー様の気持ちは固まっている。
彼は自身の危険も顧みずに、今すぐにでもお兄様の元へと帰えりたいと思っている。だけど、私はそんな彼を危険な目に遭わせたくはないし、離れたくない。
自分でもビックリしたけど、さっき流した涙は、私のそういう気持ちが強すぎて表に出た証だったのだと思う。
ただ、このままランスロー様の説得を続けても、彼の固い決意を変える事は出来ないだろう。その為には、彼の心を揺さぶる余程の何か、理由が必要だと考える。
その理由の一つとして、私が実はシャルターユ姫であり、彼の婚約者だと言う事実……と言うのはどうだろうか。
もしかしたら、婚約者の言葉であるならば、彼は聞き届けてくれるかもしれない。うっすい可能性ではあるけれど、物は試しだ。とりあえず、やってみるだけやってみないと。
そうと決まれば、まずは謁見の間での事を謝罪しよう。その次に、シャルターユだと正体をバラした後、ランスロー様の事が好き好きだって想いを伝える。そして、ドライオンに残って貰えるように熱く説得する。
うん、我ながら完璧ではないかな。流石は、聡明なガルド兄様の妹よ、シャルル。
この計画とも呼べない計画を胸に秘め、私はグラスに残った水を煽るランスロー様へと再び視線を移した。
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