第3話 冷血皇子の噂と婚約

 「ど、どどどどどどうしよう! わ、わ、わ、私を殺しに来たんだ!」


 想像だけで心底恐怖した私は、歯と体をガタガタと震わせる。


 「お、落ち着いてください、姫様。あくまで噂じゃないですか。それに、なぜ殺される前提なんです? マイナス思考過ぎますよ」


 恐らく血の気が引いているであろう顔を、宥めてくるリリカナへと向けた。


 「だだだだ、だ、だって、だって、冷血皇子!」


 「いや、だからって、すぐには殺さないですよ」


 「な、なな、なんでわかるのよ!」


 「なんでって……はぁ、いいですか? 使者として来て、相手国の姫君をいきなり容赦なく斬り捨てるとか、それはもう、冷血を通り越してイカれてしまってます。そんな人間、さすがの帝国でも使者どころか、野放しにはしないと思いますけど?」


 「ま、まぁ、そ、それはそうだろうけどさ……」


 「それにですね、わたくしが思うにですよ?」


 「な、な、なに?」


 「もしかしてなんですけど、これって婚約のお話なのではないかなぁ、って」


 私は彼女の言葉がぜんぜん理解出来なくて、くちポカーンで数秒固まる。


 「は? 誰と……誰が?」


 「え、誰って、ランスロー王子と姫様がですよ」


 え? 姫様って誰のこと? 私、お姉様も妹もいないのだけれども。


 「な、何姫のこと?」


 「いやいや、何姫って……この国に姫様って、あなた様しかおられませんけど? シャルターユ姫」


 一体何を言っているのだ、この可愛い系黒髪メイドは。


 冗談は、その存在感だけが取り柄の大きな胸だけにして欲しい。と言うか、よりにもよってなんでこの私が、誰もが恐れる武力大国の冷血王子と、婚約なんか……


 「……リリカナは、なんで婚約だと思ったの?」


 ふと、そのことを疑問に思った。


 「え? 何でって……ん~、そうですねぇ。ええっとぉ、確かな情報ではないですよ? それに、わたくしの妄想が入りますけど、いいですか?」


 「うん、いいよ」


 「わ、わかりました。それでは……」


 そう返事を返すと、リリカナは「コホン」とワザとらしい咳ばらいをした。その仕草がなんだか可愛くて、何だか心がほわっとなる。


 「えっとですね。つい先日、デイム帝国から訪れた行商人たちから聞いた話です。昨年、病気で伏せられた現皇帝に代わって、ランスロー様の兄上であられる摂政のグェイン様が政治を取り仕切っておられるのですが、以来帝国は武力よりも経済を重視する政策へと舵を切っているそうなのです」


 「は、はぁ……?」


 なんか、いきなりよく分からない話が始まった。


 「今まで我が国と帝国とは、ほぼ断交状態で二か国間の出入国はとても厳しかったのですが、半年ほど前からかなり改善される事となりました。それにより、行商人の彼らも儲けが大きいドライオンに仕入れや商売に来ているのだとか。この事から、今回訪れた使者の目的は、行商の要所であるリルハント共和国の今後についてと、我が国との交易路の確保の為なのではないか、と思われます」


 とりあえず、分かったフリしてうんうんと適当に頷いておく。


 だって、政治とか経済とか興味ないし、私はお父様やお兄様達みたいに頭は良くないので聞き流すのが吉だ。


 「確かに、他国との貿易に於いて、安全、且つ時間短縮の出来る交易路の確保はとても重要な事ではあります。それは分かるのですが……しかし、要人である第二皇子までもがわざわざ来るほどの事でしょうか?」


 リリカナは自分の指先を私の鼻先へとビシッと突きつけてくる。私は「さぁ?」と首を傾げておいた。


 「それに最近では、ドライオン王国内でも帝国との関係を見直そうという気運が、貴族や民衆の間でもかなり高まってきています。ですから、19歳とお年頃になったランスロー様が使者の一団と一緒に来られたのは、表向きはリルハントを経た交易路の確保ですが、その実は王国との友好関係をより深める為に、シャルターユ姫とのご婚約の話に来られたのではないのかなぁ~って……妄想しました」


 私は話の十分の九をシカトして『シャルターユ姫とのご婚約の話に来られたのではないのかなぁ~って』ところだけを頭の中へと刻み込む。


 「そ、それ、本当なの!?」


 「あ、いえ……ですから、私の妄想が多分に入ると言いましたよ」


 言い淀むリリカナに、私は”ある事”を確かめ様と彼女の瞳をジッと見つめた。


 「なんですか、姫様? そ、そんな真剣な眼差しで」


 リリカナは首を傾けながら、そのまま数歩ほど後ろへとさがった。


 「ね、ねぇ、リリカナ。ランスロー皇子ってさ……」


 「はい?」


 「その、カ、カカ、カッコイイの?」


 今日一番気になった私の質問に、彼女は一瞬キョトンとした表情をする。だが、すぐに「ふふっ」と笑いながら顔を綻ばせた。


 【姫様も、年頃の女の子なんですねぇ♪】


 彼女の心の声に、一気に恥ずかしさが込み上げてきた。


 「い、いいでしょ、別に! それよりも、心で語り掛けてこないで! いいから教えてよ、とっても重要な事なの! 一体どっちなの? カッコイイの!? カッコ悪いの?!」


 私は恥ずかしさを紛らわせようと、早口でリリカナを畳かける。すると、彼女は一呼吸置いてから返事を返してきた。


 「そうですね。姫様が絶対にお城から出ないと駄々こねられた去年のリルハント建国祭。そこでお見掛けしましたけど、背はすっごく高くて、サラサラの金髪と端正なお顔立ちのとてもカッコいい方でしたよ」


 その言葉に、私の心臓がトクトクと脈打つ。


 「そ、そうなんだ、そんなにカッコイイんだ……へ、へへへ、えへへへへへへへ」


 妄想をパンパンに膨らませながら、私はリズミカルに笑う。


 「シャルル様。綺麗なお顔が、酷く歪んでおられます。それと、よだれ」


 「へへへ、むりぃ。なんかニヤけちゃう」


 私はまだ何一つ確定もしていない話に心を躍らせる。カッコいい皇子と婚約するかもという話で、すでに恐怖の冷血皇子の噂は頭の中からすっかり消えていた。


 「えへへ。早くお昼を済ませて、着替えなくっちゃ」


 もう片方のサンドイッチもペロリと平らげると、私は椅子から立ち上がって螺旋階段へとスキップしながら向かう。あれほど憂鬱だった午後からの仕事が、とても楽しみでしょうがなかった。


 「シャルル様ぁ、お足元にご注意してくださいねぇ」


 階段の一段目に豪快に躓いた私は、そのままズッコケて冷たい石階段とキスをした。

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