第6話 ファーストコンタクト

 ひとつ上の先輩に連れてこられたのは、校舎裏だった。

 校舎の脇には植え込みが並んでいる。木の密度はさほどでもないけど、もともと人通りが少ないエリアではあるらしい。校舎側も教室はなく、人の気配は感じられない。

 もともと感づいていたことだけど、やはりそういうこと・・・・・・だろう。


「いきなりでごめんなさい」と先輩が軽く頭を下げてくる。

 つややかで長い黒髪の、かなり品のいい感じの方だ。同時に、堂々として芯のある感じも。

 俺が新入生で――色々と・・・人目を気にしているからこそ、なおさらそのように感じるのかもしれない。

 思わず気を張る俺に、先輩が穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。


「継森君は、付き合っている人とかいませんか?」


「……いません」


 だいたい予想通りの話の流れではあった。


「でしたら、私とお付き合いしませんか?」


 しとやかな顔で、ものすごい直球を投げ込まれたことには、つい面食らってしまったけど。


「すみませんが、そういう話は……」


 どうにか断りの文句を入れるも、先輩は平静を保っている。続いて「申し遅れましたが……」と、ある意味では本題の自己紹介が。

 先輩は、俺でも名前を知っている国際病院の、院長令嬢だそうだ。


「――我が家と継森君のお父様のご事業とで手を取り合うことができれば、この国……いえ、世界の医療にとって意義あることと思いますが……いかがでしょう?」


 先輩が本当に言いたかったのが、これだ。俺たち・・・が付き合うとかなんとかっていうのは、このための手段でしかないわけで。

 口からため息が出そうになる。

 でも、先輩に失礼と思ってこらえ、俺は目の前の女性をまっすぐ見据えた。


「先輩は誤解されているようですが、俺は親の事業には何も関与していません」


 実のところ、無関係と言いづらい部分はある。俺にはその気がないし、あの男・・・もそうだろうと思う。ただ、会社の人たちがどう思ってるかまではわからない。

 もっとも、俺の立場としては、こうとしか言いようがない。


 この返答は、先輩にしてみれば、大前提を崩されるようなものだったのだろう。穏やかな自信を感じさせるたたずまいに、ちょっとした綻びが入ったように見える。

 それでも、強くうろたえるようなことがないあたりは、生まれ育ちだとか気位を感じられるけど……ちょうど良い返事がなくて、言葉に迷っているようではあった。

 しかし、ご自分から「では、なかったことに」とは言いだせないだろう。


――俺個人には目もくれてないなんて、そう取られかねない言葉は。


 でも、先輩が何も言わない限り、沈黙がそれを肯定してしまう。

 だから、俺の方からお断りを入れることにした。


「身に余るお誘いを受けた上で大変恐縮ですが、先程も申し上げましたように、自分の一存で決められる案件ではありません。どうかお引き取りを」


 頭を下げる俺に、先輩が「私こそ」と声をかけてきた。自己紹介の時に比べ、かすかに沈んで聞こえる声音で。


「お気を遣わせてしまったみたいで、こちらこそ申し訳なく思います」


 それから、先輩は「本当にごめんなさい」とだけ言って、その場を後にした。


 振ったのは俺だ。でも……何かしら汲んでいただいて、「ごめんなさい」と言っていただけたのは、あの先輩一個人の人柄によるものだと思う。

 人気のない場所にひとり残り、俺は上を向いて深くため息をついた。木々と校舎に挟まれた青空は、どこまでも突き抜けるように清々しいけど、あいにくと気分はどんよりというしかなかった。


 本当に、最悪だった。


 ああいうお断りの言い回しに、違和感を覚えないくらい、早くも馴染んでしまってる自分がいる。

 今回の一件の背景がどういうものなのかは、さすがにわからない。もしかすると先輩が自発的に動いたのかもしれないし、親や周囲の大人からの希望があったのかもしれない。

 いずれにしても、先輩が自分の生まれ育ちや、親御さんを誇りに思っているようには感じられたし――

 そのことに、羨望よりも嫉妬のようなものを感じている自分がいた。

 本当に最悪だった。


 うつむき加減な顔を上げても気持ちは晴れず、ただただため息ばかり出る。

 昼食を取ろうにも、教室に戻りづらい気持ちはあって、かといって学食や購買へ行く気も……

 さりとてこのままというわけにもいかず、この場から逃げたいという気持ちに背を押され、俺はトボトボと歩き出した。


 幸い、周囲には誰もいない。変に目立たないよう、今の内に上っ面だけは元に戻しておかないと。何か楽しいことを、と考えたところ――


「ジャジャーン!」


 人気ひとけのない校舎の玄関口、柱の影から人影が飛び出てきた。驚きの余り後ずさって、尻もちをついてしまう。

 飛び出してきたバカは新田だった。その後ろから、また別の男子生徒が「何やってんだよ」と呆れながら口にする。

 たぶん……教室からけてたっぽいな、二人とも。


 一応、「聞いてたか?」と問うと、新田が「あんまし」と悪びれもせず即答。

 まぁ、何があったのかはお察しってところか。


「いい趣味してるな」


「そ~ゆ~なって~」


 などと言って、最初は朗らかにしていた新田だけど、顔がだんだん真面目なものになっていく。


「昨日あんな感じだったからさあ、『今日はどうなるんじゃろ?』ってさあ、普通気になるだろ?」


「だからって、盗み聞きまでするか?」


「いやあ、ハハハ。あんま聞こえてなかったって」


 笑ってごまかそうとする新田に、こっちは呆れた笑みが浮かんでくる。

 とはいえ、別に本気でとがめようって程の気持ちは沸いてこない。先輩の名誉とか、そういうのはあるけども……俺個人としては、まぁ別に……ってところだ。

 新田と一緒に盗み聞きしていた奴はというと、「つい気になって」と端的に言ってきた。


「別にまぁ、それはいいよ。でも、変な噂は立てるなよ?」


「もちろん。というか……俺らが噂しなくても、色々と噂になってるぞ」


 何やら聞き捨てならない新情報に、耳が自然と動いた。「なんだって?」

 すると、事情通な同級生は辺りを見回し、誰もいないことを確認した上で色々と教えてくれた。


 この白桜学園に通う生徒は大きく分けて2つに分けられる。

 まず、親や家系が持つ経済力等のパワーで審査を通過する、「持つ」側の生徒。それと、受験を介して入学してくる、一般家庭の生徒。

 で……何でも、この学校に生徒を通わせようという富裕層、財界人、著名人の間では、俺がこの学校に通う予定になっているという情報が早々に出回っていたらしい。出どころは定かじゃないけど、入学等を管理している部署からのリークじゃないか、とのことだ。

 それだけでも気分が再び曇りそうになる。願わくば、担任の玉城先生ぐらいは無関係であってほしい。


 で、俺という大物――正確に言えば、鯛を釣るための海老――が入学するということで、俺を巡る争奪戦に動き出す勢力もあるとかないとか。

 そうしたゴシップは、今までは話半分に聞く程度のものだったろうけど……


「しっかし、まさかここまでとは……」


 胡散臭い噂が現実のものになっている事実に、言葉もないようだ。

 俺としても、思っていた以上に話が出回っているようで、もはやため息しかでてこない。

 すると、「ま、元気出せって!」と新田が笑って話しかけてきた。


「気晴らしにさ、なんかおごってやるから」


「……わかった。見物料な」


 言ってて、俺だけが徴収するのもどうかと思ったけど、それを自分で指摘するのも……

 ああ、今日はダメだ。どんどんドツボにハマる。

 今日はダメで、じゃあ、明日はどうかって言うと――


 本当にダメダメだな、まったく。

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