第13話 お隣さんにはかなわない

 助けられたのは確かだけど、半ば押し付けられた感もあって、少し困惑してしまう。

 いったい、どういうつもりなんだろう。

 周囲には俺たちのやり取りが気づかれないまま、学級委員の号令で古文の授業が始まった。

 教壇に立つのは、教科担の大崎先生。40代ぐらいの、なんとも上品なおばさまといった風情の女性だ。

 先生が何か話し始めるその前に、月島さんがスッと手を挙げる。


「すみません、教科書忘れました」


 これに対し、先生は予想通り、「仕方ないわねえ」と柔らかな感じで返した。


「お隣さん、見せてあげてね」


「はい」


 言われて机を寄せ合うも、周囲の女子から視線が集まっているように思えてならない。「その手があった」みたいな。

 ひとりそんなことを考えていると、月島さんが何やら話し出した。


「ちょっとばかり弁明があって~、聞いてもらえませんか、先生~」


「手短にね」


 とは言いつつも、優しげに笑う先生は興味を惹かれているようで。


「昨日も古文あって、今日忘れちゃったってことは、家に帰ってからカバンを開けて勉強したってことですよ~」


「なるほど。そこは認めないとね」


「そうですそうです」


「忘れ物で台無しだけど」


 笑顔でバッサリと切り捨てる先生だけど、月島さんを悪く思っているわけではなさそうだ。教室の至る所からクスクス笑い声が生じ、「えへへ~」と月島さんが笑う。


 こうして程よく空気がほぐれた中、授業が始まった。

 全く関係のない教科のノートを広げ、さもキチンとしてます感を装う俺。先生と月島さんの間の会話が、俺の身に突き刺さる。ひとり恥ずかしく思いながらも、黒板とノートで視線を行き来させる。

 ふと気がつくと、俺の机に新たな付箋がついていた。


『貸し① :)』


 実際、どういうつもりで俺の身代わりになったんだろう?

 お近づきになろうとか、そういう考えはない様子だけど、何も考えてないってことはないと思う。


「この部分だけど……せっかくだし、勉強家な月島さんに任せましょうか」


 授業開始直後の一件を持ち出し、先生がにこやかに言った。


「弁明しますけど、デキが悪いのを補うために勉強してるんですよ~」


「口は達者なんだから、自信持ちなさいな」


 軽い感じのやり取りに、再び教室に笑い声が生じる。

 ただ、月島さんの解答は問題のないものだった。彼女への後ろめたさに、ホッと安堵する俺。


「よろしい。今度は教科書忘れないでね」


「はあい」


 なんということもなさそうに、お役目を果たして着席する月島さん。

 俺は、なんとも言えないほのかな敗北感を味わっていた。


 俺では、こういう風には振る舞えない。



 放課後。教科書は、まだ借りたままだ。早く返さないとバツが悪い。俺は意を決して、月島さんに声をかけた。


「ちょっと」


「何~?」


 用件はわかってるだろう。ただ、彼女はニコニコとしているだけだ。

 そして……話しかけたのはいいけど、どう言ったものか迷う。周囲からも視線を寄せられているのを感じる。

 とりあえず、この場を離れるのが先決か。


「忘れ物の件だけど」


 そう言うと、「あっ、ごめ~ん!」と、さも今思い出したかのように、彼女が申し訳なさそうな顔になった。


「借り、返さないとね。ジュース1本でいいんだっけ?」


「ん? ああ、うん……」


 そんな約束はしていないし、そもそも、借りを返すのは俺だ。

 でも、今は口裏を合わせるべきだと思い、俺は彼女に合わせた。

「じゃ、いこっか」と立ち上がる月島さん。まだ教室に残って談笑している同級生たちに、「まったね~」と声をかけていく。


 廊下に出ると、やっぱり視線が気になった。どこからともなく、誰かに見られているような感覚が。

 平然を装う俺の横で月島さんはというと、いつもどおり朗らかな感じを保ったままでいる。


 特にこれといった会話がないまま、俺たちは学校の外に出た。しばらくそのまま、言葉を交わさず歩いていって……

 同じ制服の姿が見えなくなったあたりで、俺は彼女に話しかけた。


「忘れ物の件だけど」


「うん」


「助かったよ、ありがとう」


「どういたしまして」


「貸し①」と念押ししてきた彼女だけど、強く恩を着せようというところはない。とりあえず、忘れない内に返そうと、俺はカバンから例の物を取り出した。


「……それで、貸してくれた理由があれば、聞いておきたいんだけど」


「迷惑だった?」


 教科書を手に取る彼女は、にこやかな感じはそのままだけど、目は少し真剣だった。


「いや、単に気になっただけ」


 すると、彼女は「う~ん」と考え込む様子を見せた。ほどなくして、「ま、いっか」と口にし、本題に入っていく。


「継森君てさ、なんかモテモテじゃん?」


「……まあ、うん」


 素直に認めたくはないけど、認めざるを得ないというか。言葉を足して訂正するのも、何かためらわれる。


「で、なんだかみんなから注目されてるみたいだし、人前で恥をかくのは嫌かな~って」


 実際、どうなんだろう? 恥をかくのは、確かにイヤではあるんだけど、それは俺の立場とは無関係のような……


「人並み程度には困るかな」


「人並み、ね」


 俺の返答に納得したらしい月島さんは、ニコッと笑った。


「私はね、先生次第だけど、忘れ物なんかじゃ困らないかな。今日のも、まぁ、ちょっとしたアピールになったかな~って感じだし、教室の空気があったまったし」


「たくましいなぁ……」


 それから、「痛むのは継森君の財布だけかな?」とニヤリ。すぐ近くには自販機があって、催促されているのは明白だった。

 とはいえ、渋ろうって気は全く起きない。むしろ、ちょっとした勉強代というか、快く払えるぐらいだ。


「それで、どれがいい?」


 尋ねるも答えはなく、なんだかニヤニヤしている。


「代わりに、継森君が選んでよ」


「は?」


「ちゃんと飲むから~」


 こういうのが一番困る。でも、断るのも、ちょっとなぁ。

 何やら俺で遊んでるというか、楽しそうな彼女の視線に、顔が少しばかり引きつるのを感じつつ自販機へ向き直る。自分で飲むならコーラだけど……少し迷った後、俺はレモンティーを選んだ。

 音を立てて出てきたペットボトルを彼女に手渡すと、「『めんどくさい奴~』とか思ってるでしょ?」と、笑いながら言ってきた。


「ちょうど今思ったよ」


「ほほう」


 まあ、俺に言い寄ろうって方々に比べれば、なんてことはない。むしろ可愛らしくさえあるんだけど……

 言えば余計面倒になるな、うん。

 貸し借りはこれで解消され、俺は帰り道の方へと目を向けた。


「じゃ、帰ろうか」


「ん」


 と、その時。首筋に冷たいものが触れて、俺は飛びのいた。


「?!??」


「隙アリ~」


「こ、コイツ……」


 明らかに楽しんでやがる。「めんごめんご~~」と軽い感じで言いながら、ペットボトルを開栓して一口。

 軽く息を吐いて気を取り直し、「それでよかった?」と念のために問うと、「おいしいよ」と微笑んで返してきた。口に合わなければ正直に言いそうな子だし、これで良かったかな。

「愉悦の味がする」と言い出した時には、思わず顔が引きつり、それを見てもっと愉しそうにされてしまったけど。


 他の子とは全然違う方向性で、手強い子に目をつけられてしまったかもしれない。

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