第22話 被ったネコは易燃性

「は~い、歯ァ食いしばってくださいね~」


 少し間延びした声をかけられ、私はうなずいた。靴も靴下も脱いだ素足が保険の先生に軽く捕まれ、それがなんだか少し恥ずかしい。膝のあたりには、今さっきできたばかりの擦り傷があって……

 蛇口から注がれる水が傷口に触れる。


「……沁みる?」


「いえ、そこまでは」


 別に強がりではないけど、しっかり強いとこ見せなくちゃは思う。

 金原さんが保険係として、見守ってくれているところだから。

 心配そうな眼差しを一瞥いちべつして、「やっちゃった」とも思っちゃう。


 ひとしきり傷口をきれいにした後、水分をふき取って、アルコールで消毒して……これはさすがに少し沁みる。

 でも、表情筋に力を入れて、金原さんには情けないところを見せないように。

――そんな私の意地っ張りも、先生には「無理しちゃって」と軽く見透かされてしまうのだけど。


「頑張るのはいいけど、ケガは感心しないね」


「いえ、それはその、致し方ない状況でしたので」


「へえ?」


 休憩時間を前にしての、2死満塁で飛んできたセンターフライ。飛び込んでつかまなければ、大量得点を献上した状態で休憩を迎えることになってしまう。それは何としても避けたくて、ダイビングキャッチ。

 なんとかお務めは果たしたのだけど、ちょっとした代償も……というわけだった。

 その辺の事情を口にすると、先生が呆れたような、でも優しい微笑を向けてこられた。


「そういうの、わからないこともないけどね。ま、今日はこれ以上走り回ったりしないで安静にすること」


「つまり、フィールドには出るなということですね……」


「監督業に専念すればよろしい。顔出して声出すのも仕事、でしょ?」


 私としては、プレイングで引っ張っていきたいのだけど、先生のおっしゃることはごもっともだった。負傷している私が変に頑張るのも、みんなに気を遣わせてしまうかもだし……

「今日は大人しくします」と応じると、先生には含み笑いを漏らされた。


「普段、大人しくないみたいね?」


 これは完全に言葉の綾だったのだけど、私の本質を見抜かれたようで狼狽ろうばいしてしまう。


「そ、それは誤解ですっ!」


 慌てて取り繕う私の頭に、先生がポンと軽く手を置いた。「可愛いんだから」と、お手の物って感じで。

 金原さんの目もあることだし、やっぱり恥ずかしい。


 一通り処置を済ませていただき、私は金原さんの肩を借りてグラウンドの方へと歩き出した。手前のグラウンドは他のクラスが使っていて、私たちが使っているのは一つ奥。

 ちょっと歩くことになる中、頭の中ではこの後のことについて思考が巡る。


 休憩明けは6回表から。できる限りの生徒に機会をという先生の方針があって、投手は3回交代になっている。

 さすがに、投手は球技慣れした子を配置していて、この調子ならそうそう崩れることもないと思うけど……問題は守備配置の方よね。

 私がセンターをやっているのは、それなりに足があって、全体を見渡せて、その気になれば声も大きいから。自惚うぬぼれかもしれないけど、私がやるならセンターか、あるいはキャッチャーが適していると思う。

 で、負傷退場でセンターを抜けるとなると、空いた穴に誰を入れるかということになって。そこはショートやってた七瀬さんにお願いするのが一番手っ取り早いとは思うのよね。足速いし、プレーに積極性があるし。

 でも、ショート抜くと、穴埋めに誰をって話になって――


 この授業において、私はチームリーダーとして、守備の方を強く意識している。

 私自身は負けず嫌いだという自覚はあるのだけど、勝つことよりもずっと、負けないことに重点をおいている。

 私のミスで得点されて負けるなら、それは悔しくはあるけど、そこまで後に引くものじゃない。

 でも、私以外の誰かが敗因になるようなら……そういうことでイヤな思いをさせたくない。だからこそ、互いにカバーし合えるようにと守備を意識しているのだけど……今日は少し厳しいかも……

 あ、でも、守備位置に穴が開いたのは私がケガしたせいだから、負けたらその点に言及して私が謝ればいいわね。うん、そうしましょう。


 と、今後の算段について思考を巡らせていると、「藤原さん」と声をかけられた。


「どうしました?」


「えっと……さっきからずっと静かだから、痛いの我慢しているのかもって」


……私、そんなに普段から口数多い方かしら? 言われて自省して、すぐに「そうね」と答えが出た。

 おとなしい子と二人だったら、私の方から話しかけて然るべきだわ、ええ。


「ごめんなさい、ちょっと考え事を。別に痛いわけではないですよ?」


「そう、ならいいけど……」


「心配かけてごめんなさいね」


 なんかこう……勝負事だからでしょうね。ケガも顧みずに飛び込んだこともそうだけど、ひとりで突っ走り気味になっているところはあるわ。

 蛇口で頭も冷やした方が良かったかも?

 なんて、また一人で考えこんじゃう自分に呆れつつ、私は口を開いた。


「実は、カッコつけで頑張ってみた部分もあったりして。『さっすが委員長~!』みたいなのを狙っていたのですが……無理な背伸びは良くないですね」


 自戒も込めての自嘲を口にする私だけど、「そ、そんなことないと思う」と、意外な言葉を真顔で投げかけられた。


「藤原さんのこと、私はカッコいいって思うし」


「えっ、私が……カッコいい?」


「うん、そう思う」


「そ、そうですか……」


 金原さんのことだし、世辞とか出任せとか、そういう感じじゃなくて、本当にそう感じてくれているみたい。嬉しくはあるのだけど……

 私、そんなにカッコよかったかしら? そう振る舞っているつもりはなくて、むしろ意識しているのは慎ましさなんだけど……

 こうなると、金原さんの中のカッコいい基準とか気になるところね。


「金原さんの中でカッコいい人って、どんなのですか?」


「えっ?」


「具体的な人物でもいいですよ。ちょっと気になったもので」


 軽い気持ちでの問いだったけど、金原さんは至極真面目に考え込んで……

 ここまで真剣に受け取ってくれるなら、私も静聴しなくちゃね。

 ややあって、金原さんは少しためらいながらも口を開いた。


「待たせちゃった割に、大した答えじゃないかもしれないけど……」


「いえいえ、いいんですよ」


「……私にとってカッコいい人は、お母さんとお姉ちゃんかな」


「お姉ちゃんというと、あの生徒会長の?」


 尋ねてみると、金原さんは無言でうなずいた。

 確かに、自慢のお姉さんなんでしょうとは思うけど……今の金原さんからは、照れとは少し違うような影を感じないでもない。

 それに、お父さんを挙げなかったのも気になる。


 まあ、こういう・・・・学校だし、ご家庭のことに首を突っ込むものではないわね。

 それはそれとして、私は自分の家族について話を引き寄せた。


「私の家は、そんなにカッコイイ人っていないですね」


「そうなの?」


「お母さんはイジワルで、お父さんは尻に敷かれてますし、弟はナマイキで……」


「じゃあ……玲香さんが、一番カッコいい人だったり?」


「やだあ、もう~~~、お上手なんだから~」


 我ながら、こう言ってもらえるように誘導した感じがなくもないけど……

 金原さんが笑ってくれて、それは何よりね。これがケガの功名ってモノかしら。

 これでまた調子に乗ってケガするようだと、いよいよ合わせる顔がないのだけど。

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