第3話 登校初日

『――貴意に沿えるお返事とならず、大変心苦しく思います』


 今晩だけで幾度となく書いてきた結びの言葉まで書き終え、一枚仕上げた俺は伸びをした。

 いただいたお手紙は、まだまだまだまだたくさんある。帰宅してからかかりっきりだけど、いかんせん宿題が多い。時計に視線を向けると、時刻は8時を回ったところ。

 これは……ちょっと長期戦になりそうだ。

 いつ頃寝るか、どれだけ進められるか。少しグラグラする頭の中で算段を巡らせながら、俺は立ち上がった。


 借りている部屋は……俺が言うのも何だけど、殺風景なものだった。一人で住むには広すぎる部屋を宛てがわれ、隙間を家具で埋めるような気も起きない。

 もう少し安い部屋を用意すればよかっただろうに……と思う。

「会社」曰く、セキュリティの懸念から、部屋に求めるグレードというものがあるそうだけど。まぁ、見栄もあるだろう。

 何であれ、俺としては自分の部屋とは言いづらいくらいに、なんだか居心地の悪さを覚えてしまう。

 あるいは、初日からこんな宿題に頭を悩ませているから、帰った気がしないのかもしれないけど。


 冷蔵庫からコーラを取り出し、俺は再び壁際の机に向き直った。手紙の山の他にあるのは、何冊かのマナー本。マックでタ食を取った後、駅構内の本屋で買ったものだ。

 まさか、お小遣いで買う最初のまとまった出費が、こういう本になるとは。


 レシートもあることだし、これは会社に請求してやろうか。


 そんな憂さ晴らしも、まずはこの手紙の山を片付けないことには、だけど。

 気が進まないながらも、次の一通に手を伸ばし、のそのそと開けて読み進めていく。

 今のところ、どの手紙も全部手書きだ。きれいな、あるいは可愛らしい字で、俺の入学を祝う言葉だとか、お茶やお食事等の誘いだとか、そういうのが書き連ねられている。

 俺と娘さんが仲良くなったら、あわよくば親同士も……ってことなんだろう。

 同業他社に出し抜かれるよりは――という心理も働いているのかもしれない。


 でなければ、会ったこともない相手から、こうもお手紙をもらういわれなんてない。

 いま開けた一通も、ご多分に漏れない一通だった。ため息が出る。

 でも、読まないって選択肢はなかった。


 俺に手紙を送ってきた女の子たち――というか先輩方だって、本当はこんなの書きたくなかっただろう。でも、いいとこに生まれた責務を果たそうとしているのだと思う。

 だからこそ、軽く扱いたくはなかった。きちんと読んだ上で、こちらからも、きちんとしたお返事を返さないと。

 そうすれば、今後は少しくらい恐縮して遠慮してくれるかも……という、淡い打算もあるし、単に意固地になってる部分もだいぶある。


 ともあれ、きちんと読んできちんと返事を返そうというのは、最初から心に決めていたことだ。

 気が滅入っても、一通仕上げるたびにコーラを飲んでリフレッシュして……いつの間にかコーラが切れたら、冷蔵庫へと足を運んで、字や文が乱れそうになる前に、意識してリフレッシュして、ふとした拍子に時計が目に入って、ため息をついて――


 高校生最初の夜が更けていく。



「よっすよっす~」


 入学2日目の朝、最初に声をかけてきたのは新田だった。明るく声をかけてきてくれたものの、その顔がすぐ、なんだか怪訝けげんそうなものになっていく。


「あんま寝てなさそーだけど……もしかして、全部読んだとか?」


「読んで、返事まで書いた」


 結局、寝床に入ったのは午前2時だった。お義理は果たした、と思いたい。

 その引き換えに、体調不良というほどではないけど、自覚できる程度には寝不足だった。眠りが浅かったというのもあるかもしれない。


 実のところ、初日のアレら・・・、結局は飛び道具でしかないと思うんだよな。

――ご本人が直接お越しになるのに比べれば、まだ……って感じはある。


 俺たちの会話に気づいたようで、今度はメガネの同級生が近づいてきた。「おはよう」と声をかけてきた相川が、俺の顔を目にしてさっそく渋い顔になる。

「大丈夫か?」という端的な問いに、俺は苦笑いでうなずいた。

 まあ……コーヒーを何杯か飲んできたから、大丈夫だろう、たぶん。


 そうして、チャイムの音が鳴り渡り、担任の先生が教壇についた。

 玉城誠司たまきせいじ先生。メガネをかけた、30代前半ぐらいのサッパリした印象の先生だ。教科は数学。

 こういう学校でクラスを任されるとなると、相当なプレッシャーがあるだろうに、まだまだお若いながらもこなれた余裕を感じさせる。

 実のところ、ここで受け持つクラスは3つ目とのこと。もっと若い頃から経験を積んでいらっしゃる優秀な方のようだ。


 この白桜はくおう学園の制度というか慣行として、1年から3年までクラスがそのまま進級していくというものがある。玉城先生は、3年間面倒を見たクラスがすでに2つ、というわけだ。

 こうした慣習には、次世代を担う人材同士、早い段階から関係性を強化してスタートダッシュを――という意図があるそうで。

 まぁ、お子さんにかこつけて、親同士仲良くするための土壌でもあるんだろうけど。


「よほどのことがない限り、担任も持ち上がる仕組みでね。君らに嫌われないように頑張ります」


 と、少し冗談交じりに先生が言って、教室が控えめな笑い声で満ちる。


 それから、話の主役が生徒の方に移り、まずは自己紹介に。3年間、苦楽を共にするクラスメイトへの、最初のご挨拶だ。自己紹介ということで、名前の他に何かひとつ。趣味とか特技とか、上京してきているなら出身県とか。

 まだお互いに様子見の段階なのは明らかで、あまり受け狙いっぽいことは言わず、当たり障りのない自己紹介が続いていく。

 こういう学校だからこそ、お互いに慎重になっているという面もあると思う。

 まぁ、新田はさっそくおちゃらけてくれたんだけど、後は続かなかった。


 そうして、自分の番が刻一刻と近づき、緊張が高まっていく。

――これで、少なくともクラスのみんなには、名前と顔を一致される。クラスの外についても、もはや時間の問題だろう。

 名前の他に何かもうひとつ、紹介すべきものにも頭を悩ませ……

 俺の番がやってきた。


「次、継森つぎもり君」


 先生が俺の名を呼ぶと、教室中がザワっとした……気がした。

 気のせいであってくれ。


――んなわきゃねーだろ。


 虚しい祈りに、自分でツッコんでしまう。「はい」と応じる自分の声が、平静を装ったつもりでも、どこか上ずって聞こえてしまう。

 落ち着かない気持ちを胸に俺は、決して好んではいない、自分の名を口にした。


「継森千秋です」


 名乗りの後、妙に緊迫感のある静寂が続く。当たり前だ。俺が話す番なんだから、俺が何か言わないと静かになるに決まってる。

 結局、自分の番に何を言うか、思考がまとまらずにここまで来たわけだけど……ふと思いついたものがあったのは幸いだった。


「趣味というほどのものじゃないんですが、筋トレは割とやってます」


「へ~」


 先生が意外そうな目でこちらを見てきた。


「ジムに通ったり、そういうのかな?」


「いえ、自分の部屋で、いわゆる自重トレを……昨日はサボってしまいましたけど」


「ある程度は曜日を決めて、習慣づけている……ってところか」


「はい」


 手紙のお返事でそれどころじゃなかったのは確かだけど、今回のザボりは割りと気にしていたところだった。一種の強迫観念に近い何かが、トレーニングの継続に向かわせている部分はある。

 ともあれ、最初の懸念よりもずっと楽に自己紹介を済ませることはできた。たぶん、先生のおかげもあったと思う。俺以外にも、緊張や照れで話しづらそうにしているクラスメイトに、うまく相槌を入れて話を促していたし。

 それに、継森という名字について、深く触れないでいただけた。


 安心しながら、続く同級生の自己紹介に耳を傾け……終わりが近づくと、徐々に緊張が高まっていく。

 自己紹介の後はクラスの役員決めの予定だ。一番大きいのは学級委員。自意識過剰かもしれないけど……

 俺が変に注目されるんじゃないかとか、そういう心配はある。


 ここ白桜学園は、いいところの子女や、あるいは高いハードルを越えてきた天才・秀才が集まる学校だ。学級委員というのは、それだけで一つのステータスになるんじゃないかと思う。

 それだけに、ここまでの自己紹介が前哨戦でしかないように、教室の中が張り詰めた緊張で満ちていく。

 一方で先生は軽くて気さくな感じを崩さない。


「自己紹介の次は、役職を決めていこう。まずは、学級委員から。立候補はあるかな?」


 先生の問いかけと同時に、互いを探り合うような視線が教室中に飛び交う。今回のHRホームルームは2限続きだ。決まり切らないってことは、たぶんないんだろうけど……

 単なる様子見で、当てどなく交わされるはずの視線。それがどういうわけか、少しずつだけど、俺の方になんとなく寄ってきているように感じないでもない。

 気のせいだろうが、そうでなかろうが、居心地が悪いのには変わりない。


 そんな時間は幸いにして長くは続かなかった。

 無言の牽制合戦が始まってから少しして、スッと挙がった手に視線が集中する。「おっ」と嬉しそうに先生が口を開いた。


「藤原玲香さん」


「はい」


 落ち着いた声を返して立ち上がったのは、サラリと長い黒髪の女の子だった。

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