第19話 病み上がりの日

 目を覚ますと、あまり見覚えのない天井が視界に広がっていて、少し困惑してしまった。それからすぐに、これまでの事を思い出したけど。

 俺の目覚めに気づいた先生が、「具合はどう?」と尋ねてくる。

 授業中に感じていたような苦しい感じはない。「大丈夫です」と答えると、先生は微笑を浮かべて口を開いた。


「最近、食事が不安定だったとか、心当たりはあるかな?」


「……はい」


「食事のバランスには気を付けてね。また同じような目に遭うのは嫌でしょ?」


 実際、ああいうのが繰り返し起きたり、もっとひどい症状になったりしたら……

「気を付けます」と殊勝な気持ちになって答えた。


「放課後だけど、歩けそう?」


 問われて俺は、べッドの上で半身を起こした。身動きに支障はなく、先生に見守られたまま立ち上がってみても、そんなに気になる感じはない。


「大丈夫です」


「だったらいいけど、辛くなったら無理しないように。長い横断歩道とか階段とか、避けられそうなら避けて」


「はい」


 幸い通学路にそこまでのものはないけど……気を付けるに越したことはないか。

「ありがとうございました」と頭を下げると、先生はにこやかに「また来ちゃダメだぞ~」と言った。

 入りびたりになる子たちにも、普段から言ってそうだな……


 保健室を出ると、放課後の雰囲気はいつも通りだった。ただ、今まで寝て過ごしてしまったという事実に、落ち着かなさを覚えはする。

 それに……「出待ち」されてたらどうしよう、とも。


 部屋を出る前から懸念はあったものの、少なくとも目に付く範囲にそういう人影はなかった。

 さっさと帰るか。


 教室へ戻ると誰もいなかったけど、確か広げたまま出ていったはずの教科書とノートは、丁寧に閉じて積んであった。誰か気を利かせてくれたのかな。

 名乗りのない気遣いに感謝しつつ、俺は諸々をカバンへとしまって教室を出た。

 帰る前に、職員室には寄っておくか。

 ご心配させてしまった件について、先生方にご報告に向かうと、「律義だな~」と笑われてしまったけど。


 それから、本当に幸いなことに、何事もなく自分の部屋に帰り――

 冷蔵庫の前で、ふとため息をつく。

 ちゃんと食べろ、と。そういうアドバイスをいただいたものの……


 この近辺は、もう怪しい・・・と思って、外食する気にはならない。デリバリーの注文も、なんだか抵抗があって、食事はもっぱら帰り道のコンビニで買ったものだ。そんなんだから栄養バランスが偏るのかもしれないけど……

 さらにその上、気分が沈むようなことがあれば、食事量が減るという自覚はある。

 たぶん、これが体調不良の原因なんだろう。気は進まなくても、意識してきちんと食べるべきか。



 翌日、教室に入ると、気づいた友人たちから「よ~う」と軽い挨拶が飛んできた。


「体調は?」


「大丈夫」


「そうか、ならいいんだけど」


 あまり深刻そうな感じがないのは、俺としても気が楽だった。勝手な話だとは思うけど、あまり真剣に気遣われても、かえって気が重くなってしまうだろうし。

 席に着くと、今度は隣の月島さんが話しかけてきた。


「おはよ~。今日は大丈夫そう?」


「まあ、今のところは」


「変な含みを持たせちゃって~」


 そうは言われても、昨日も朝は別に何ともなかったわけで……ただ、考えなしな返答だったとは思う。

「特に深い意味はないよ」と言うと、「そっか~」と微笑んで、他の子との会話に混ざっていった。

 やっぱり、これぐらいの感じの子が一番気楽だ。こういう子ばっかりだったら――

 ああ、いや。言い寄ってくる先輩方にこういう感じの子がいたら、それはそれで厄介か。


 病み上がり翌日の身に、結局何かが起きることはなかった。昼食は普段通りに取り、午後の授業に。

 数学の時間で、花村さんの出番だ。カツカツと小気味良い音を立てて、黒板に並んでいく数式。いつもと変わらない、恐れ入るぐらいの滑らかさだ。

 問題を解き終え、ポニーテールを軽くたなびかせてこちらに向き直る。

 しかし……いつもにこやかな花村さんだけど、今日はあまりそういう感じがなかった。



 病み上がりの身ではあるけど、そんな事実も、クラス外の人にはまるで無関係のようだ。

 今日も今日とてお呼び出しを受け、いつものようにお断りを告げた。先方が立ち去るまで待って、空を見上げてため息ついて――

 そのうち、声かけられなくなるんだろうかと、ふと思う。学年が変わればそうなって……

 まあ、補充・・が入るだけか。


 気づけばため息が出てしまう。

 一応、いいニュースと考えられなくもない材料もある。俺が体調不良で昨日ダウンしたって知ってれば、こういうお呼び出しは避けたことだろう。

 ということは、そういう速報までは出回ってないものと思われる。


 ああ、いや。自分で考えてても、希望的観測にしては苦しいな。

 さっさと帰って、早く寝るか。


 ちょうど良い木々に囲まれた告白スポットから歩を進め……昇降口の方を見て足が止まった。

 そこにいたのは、同じクラスの花村さんだ。明らかに俺の方を見ていて、用事があるんだろうとわかる。

 ただ、今さっきのをじっくり監視してたとか、覗いていたとか、そういうのではないと思う。だったら、もう少しコソコソしてるだろうし。

 もっとも、ここで何かあったのは察しがついていることだろう。

 果たして、どういうつもりなんだろうか。俺を見ている花村さんも、どことなく緊張した面持ちで……

 やがて、意を決したような顔を向けて話しかけてきた。


「つ、継森君!」


「は、はい?」


「この後、ちょっといい?」

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