第9話 一週間が終わって

 金曜の夕方。高校生としての最初の一週間が終わろうとしている。

 この休日に、さっそく友達と遊ぼうと、約束しているような弾んだ声もそこかしこから聞こえてくる。

 そんな軽やかで明るい空気とは裏腹に、俺はすっかり疲れて気分が沈んでいた。


「へ~い、継森ィ、大丈夫か?」


 いつもの新田が声をかけに来ているけど、俺の内心を察してくれてか、普段よりも気遣わしげだ。続く連中も、割と真面目そうな顔でこちらを見ている。

 俺が今日もアプローチを仕掛けられたことを知ってるからだ。

 初週で3回、別々の相手から、お付き合いだとか茶のお誘いだとかそういう話を受けた。


「序盤」だから、出し抜かれないようにと動き出したのかもしれない。

 とはいえ、これからもああいうのは続く気がしてならないし……アプローチの仕掛け方が変わる可能性だって考えられる。

 気が滅入る。

 そうした俺の実情を知っていて、新田たちが声をかけに来たってわけだ。


「明日ヒマ?」


「暇は暇だけど……」


「だったら遊ばね?」


 何か予定は決めているのか尋ねると、特に考えはなくて、その場のノリで決める様子だ。

――でも、あまり気乗りはしない。

 人間不信みたいだけど、こいつらにまで・・・・・・・迷惑がかかるんじゃないかと思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。


「ちょっと気分が乗らないっていうか……」


「ま、それはそうか」


「途中参加でもいいんじゃね?」


「だよな」


 そういうわけで、適当に融通を利かせてくれるということで話がまとまった。

 で、一緒に帰ろうぜという流れなんだけど、俺は小さく首を横に振った。


「ちょっとこう……用事があって」


「ふーん」


 もしかすると、また呼び出しかなんかかもしれないと思ったのだろう。みんな、深く追及せずにいてくれた。「じゃ、また明日」と相川が冗談交じりに言って、それに他の連中が続く。

 気のいい奴らだ。


 連中と別れて俺は、カバンから教科書とノートを取り出した。広げて自習を装うものの、これは単なるヒマつぶしだ。

 校内にはまだまだ生徒が残っていて、こういう中で動きたくはない。人気ひとけが減った方が、俺を監視・観察というか……俺目当てで動く人も、やりづらくなるだろう。下校時間も、ランダムにズラしてバラつかせたい。

 それにどれだけの意味があるかはともかくとして。


 教室から同級生がほとんど去り、それを見計らって俺も動き出した。校舎の外を見ると、まだ生徒はチラホラいる。もう少し時間を潰すか。

 向かったのは図書室だ。あまり頻繁に使うと、使いづらくなるんじゃないかという懸念があって、とりあえず週一か二回ぐらいに留めようとは思っている。

 何かあれば、読書のために来ている生徒に悪いと思うし。


 さすがに、露骨に追ってくる人もいなければ、ここで待ち構えている人も――まだ――いない。

 安全地帯だと思いつつ、ついつい周囲に気を配ってしまうのが、我ながらどうしようもないんだけど。

 適当に本を見繕うも、やはり身が入らない読書で、パラパラとページをめくっていく。


 ふと顔を上げてみると、ほんの少し離れたところの女子生徒に目が留まった。手を伸ばして高いところにある本を取ろうとしているようだ。悪戦苦闘している棚から少し離れたところには踏み台が見える。

 あの子、同級生っぽいな。踏み台の存在を知らない感じがする。


 見てないで手伝うか。単に、本を読みに来たというだけの子だろうし。

 踏み台を例の棚の方へと運んでいくと、その子がちょうど本棚の間から歩いてくるところだった。ふと目が合う。

 ちょっと長めのボブカットで、涼やかというか、どことなくミステリアスな印象のある子だ。

 ただ、そういう神秘性はすぐに消え、バツが悪そうな顔に。

「……もしかして」と小声で恥ずかしそうに言う彼女に、俺はコクリとうなずいた。


「苦労しているみたいでしたので」


 向こうは俺が上級生だと思っている気がする。とりあえずは俺も合わせて敬語を使うことにした。

 俺が持ってきた踏み台を彼女が受け取ろうとするけど、せっかくここまで持ってきたってことで、そのまま運んでいった。

「ありがとうございます」と、抑えた声で小さく頭を下げてくる。踏み台を上がって、お目当ての本に指をかけて、再び俺の前に。


――実を言うと、この子が何の本を読もうとしていたのか、結構気になっていたってのもある。

 幸い、タイトルは短く、すぐ読めた。「蠅の王」とある。「蝿」って、確か「ハエ」だっけ? 変わったタイトルの本だけど、装丁は立派だ。


 と、本に気を取られている間、向こうは俺の顔をマジマジと見つめていたらしい。ふとした拍子に視線を上げると、「あの……」と声をかけられた。


「間違ってたらごめんなさい。1年3組の方ですか?」


「……そうだけど」


「……継森君?」


 言い当てられてドキッとした。嘘をつくのもどうかと思ってうなずくと、彼女が「やっぱり」と言った。

 彼女の様子から察するに、図書室へ来たのはあくまであの本が目的で、俺と会ったのは偶然だろう。

 しかし……早くも「普通そうな子」にまで顔と名前を憶えられているのが、あまり喜ばしく思えないのが、我ながらどうしようもない。

 同時に、彼女が持っている本がやっぱり気になる。視線を再びそちらへ向けると、それに気づいたらしい彼女が本をサッと後ろに隠す。


「きょ、今日はありがとね、継森君」


 なんとなく気まずそうに、取り繕った感のある笑みを浮かべている。

 それから、本を両腕で隠すように持ち直し、彼女は早歩きで去っていった。

 ますます気になる。



 結局、図書室から自分の部屋に帰るまで、特に何も起きなかった。放課後の出来事といえば、図書室で同級生らしき子の手助けをしたぐらいだ。

 そういえば……なんだっけ? ハエの王?

 気になったので調べてみようと、俺はスマホに指を伸ばし――


 ピンポーンと鳴るチャイム音に、全身がピクリと震えた。

 インターホンを見てみると、マンションのエントランスに女性がひとり。キチッとした黒いスーツ姿、髪をアップにまとめている、30代前半ぐらいの女性だ。


 知らない人じゃないけど、気は進まない。無視したいのは山々ながら、渋々とインターホンまで歩いていく。


「……もしもし」


『遅くに申し訳ありません、草壁です』


 秘書室長の草壁さんだ。ため息が出そうになるのを抑え、俺は端的に尋ねた。


「長くなりますか?」


 我ながら棘があるようには思う。でも、これが正直なスタンスではあった。

 わざわざこんなことを尋ねてくることを拒絶の意思表示と受け取ったのか、草壁さんは少し間を置いて『いえ』と返答した。


『ご入学の挨拶が遅れまして。この辺りで用事がありましたので、そのついでにと』


 それでも、わざわざ・・・・こちらへと足を運んできたように思えるんだけど。

 それに、「ご入学」って言葉も白々しく響く。受験戦争も経験させないまま、財力でねじ込んだだけだろうに。

 草壁さん一個人に非はないと承知しつつも、心の中では反発してしまう。そんなアンビバレンツを感じつつ、俺は一拍間を置いて言葉を選んだ。


「お忙しいところ、ありがとうございます」


 自ら発したこの言葉だって、白々しく響くし、向こうにどう感じられるか知れたものではないけど。

 結局、今日のところのご挨拶はその程度で終わった。『お邪魔いたしました、おやすみなさい』と言われ……

「おやすみなさい」と、ただそれだけの言葉を返すのに抵抗を覚えている間に、草壁さんの方から通話を切って去っていった。


 俺の方が、ヒトとして器が小さいというか、つまらない人間みたいな気がする。


 でも……あの草壁さんが味方かというと、そうは思えなかった。社長秘書が、あの男・・・に味方しないなんて、それこそあり得ない。

 こんな手短なご挨拶程度でも、なんとも言えない感情がさざめいて、俺はべッドに倒れ込んだ。硬いスプリングが音を立てて反発してくる。

 しばらく何するでもなく仰向けになって、青白い照明を見つめ――


 ふと思い出した。


 スマホを取り出し、検索窓に「蠅の王」と打ち込んでみる。

 どうやら文学作品らしい。

……で。相当有名な名著のようではあるんだけど、内容は陰惨なものだった。結構な人数の少年たちを乗せた船が無人島に漂着。当初は協力してサバイバル生活を営むも、派閥闘争が勃発。支配側派閥による暴力行為はエスカレートし、ついには殺人にまで発展……みたいな筋立てだ。


――あの子、人畜無害そうな顔して、こんなハードなやつを読むのか……

 俺のメンタルじゃ耐えられそうにない。

 色々な意味で、余計なことを調べてしまったようにも思いつつ、俺はのっそりと身を起こした。

 金曜だし、筋トレするか。

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