第16話 幼馴染は別れさせたい

 身支度を済ませ、家を出ようとしたタイミングで、姫奈も玄関前までやってくる。


「……ん? は? え? お兄ちゃん、そいつ誰?」


 制服姿の姫奈が、隣に立つ純恋を見て僕に訊いてくる。


「お前……僕だけじゃなくて姫奈にも黙ってたのか……」


 純恋を見ながら、僕はため息を吐いた。報連相ちゃんとしてよね!


「ヒメち~! わたしだよ~! 純恋だよ~! 元気してた~?」


 純恋は姫奈の方へ駆け寄って行き、ぎゅ~、と抱き締める。


「その声、その呼び方……。もしかして、スミレお姉ちゃん!?」


「そうだよ~! 純恋お姉ちゃんだよ~! わたし、帰ってきたんだよ~!」


「そんな……」


 がくっ、と姫奈が膝から崩れ落ちる。その様子は、久しぶりの再会を喜んでいるようには見えなかった。


「あの女の次は……スミレお姉ちゃんかよ……。あーあ、アタシの人生ってもう終わったんだな……。はあ、もう死ぬかぁ。もういいや、こんな世界。つまんな」


 姫奈はよろよろと立ち上がり、まるでこの世の終わりを体験したかのようにふらふらと歩き始める。


「お、おい姫奈……」


 今にも消えてしまいそうな彼女の姿に、僕は思わず声をかける。


「ヒメち、安心して。まだ死ぬには早いよ」


 と、姫奈を呼び止めたのは純恋だった。リビングに向かおうとしていた姫奈は足を止め、純恋の方に振り返る。


「ヒメちの気持ちは察してる。原因は重叶愛純とかいう女だよね?」


「そうだよ。だからどうした? もうアタシに勝ち目はない。なら、アタシは死ぬしかないんだよ。今日まで生きてこれたのが奇跡なんだよ」


「まだ諦めるのは早いよ。わたしはあなたの敵だけど、今は利害が一致している。ヒメち、わたしがなんとかするから、信じてくれないかな?」


「………………」


 その時、姫奈の目に、わずかな光が宿る。今は藁にも縋りたい。そんな想いが、見て取れた。


「あの女は手強い。たった一ヶ月でお兄ちゃんの心を完全に掌握した。お兄ちゃんの元ストーカーでありながら、今はお兄ちゃんの彼女になっている。アタシはそのことを知らず、いつの間にか二人は恋仲になっていた。アタシは手も足も出なかった。邪魔する隙さえ与えてくれなかった……。スミレお姉ちゃんでも勝てっこないよ……」


「それは、これから起こる展開を見てから判断してもらえないかな?」


「……なんで。アタシが死んだって、スミレお姉ちゃんには関係ないじゃん……」


「関係あるよ。あなたはムーちゃんの妹だ。あなたが死ねば、ムーちゃんは悲しむ。そんなムーちゃんの姿を、わたしは絶対に見たくない。あなたには、妹としての役目を生涯に渡って全うしてもらう必要がある。だから、こんなところで死ぬのはわたしが許さない。ヒメちには絶対に生きてもらう」


「妹としての役目……? それって、結局アタシが負けることは確定してるじゃねえか。はー、もうヤダこんな人生。なんで妹なんだよ。なんでだよ、なんでだよ、なんでだよ。最近こんなことばっか考えてるよ。もうヤダよ……」


「いや、ヒメちにも勝ち目はあるよ」


 二人は真剣な声音で、僕には理解の及ばないことについて話をしていた。


(なんだ……? 姫奈が死ぬとかなんとか、一体どういうことだ? まさか……姫奈は自殺を考えていたとでもいうのか?)


 僕は立ち上がり、二人の間に割って入った。


「おい、なんだよ今の話! よくわからないけど、姫奈が死ぬってどういうことだよ? そんなのは僕が許さないぞ。姫奈、死にたくなるくらい悩んでいたなら、僕にちゃんと相談してくれよ‼」


 僕は涙目になっていた。だって、そんなのって、耐えられないじゃないか。


 僕の知らないところで、妹が自殺を考えるほど思い詰めていたなんて。そんなの、耐えられないじゃないか。


「ムーちゃん、大丈夫。ヒメちは死なないよ。だって、ヒメちが死ぬ理由は、これからなくなるからね」


 僕を安心させるようにそう言って、純恋は僕の前に出た。そして、姫奈の肩を掴んで、彼女に訴える。


「ヒメちにも勝ち目はある。わたしがこれから、この戦いをフラットな状態に戻す」


「フラットって……二人を別れさせるってこと?」


 姫奈が小声で何かを呟いてけど、僕には聞こえなかった。


「そういうこと。そうなれば、後はヒメちの努力次第で勝ち目はある。もちろん、わたしも負ける気ないけどね。だけど、そう思えば、まだ死ぬのは惜しいって思わない?」


「その話が本当ならね……。言っとくけど、あの女は本当に手強いよ。フラットな状態に戻せるの?」


「えへへ。まあ、見ててよ。今すぐには無理だけど、一週間あれば余裕だから」


 ニコッと姫奈を励ますように笑うと、純恋は僕の腕に抱き着いてきた。


「えへへ、じゃあ行こっか! ムーちゃん!」


「……それより、姫奈はもう大丈夫なのか?」


 二人が何について話しているのか僕にはわからなかったが、とにかく僕は、姫奈のことが心配でならなかった。


「大丈夫。ね、ヒメち! もう大丈夫だよね?」


「それはこれからの結果次第だけど……まあ、今すぐに命を捨てるのはやめようかな……」


「ほら、ヒメちもこう言ってるし、ね?」


 僕にウインクしながら純恋がそう言った。僕は彼女のその言葉を信じることにした。


 だけど、学校に行く前に、姫奈には言っておきたいことがあった。


「姫奈、お前が何かで悩んでいることは、最近のお前を見ていれば僕にもわかる。だけど、お願いだから、死ぬのだけはやめてくれ。辛いことがあるなら、誰かに相談してくれ。僕じゃなくてもいいから。それだけは頼むよ……」


 僕は心の底から、そう懇願した。


「わかってる……」


 気まずそうに目を逸らしながら、姫奈は呟いた。まだ心配はあるが、とりあえずは純恋の言葉を信じてみることにしよう。


 もしかしたら、このタイミングで純恋が帰ってきてくれたのは正解だったのかもしれない。


 純恋が姫奈の心の支えになることで、姫奈の精神が安定した状態に戻ってくれるかもしれない。そうなってくれればいいのに。


「まあ、ヒメちがああなった原因は、ムーちゃんなんだけどね……」


「え?」


 純恋がぼそっと何か呟いたのが聞こえて、僕は首を傾げる。


「今、何か言ったか?」


「ただのひとりごとだよ。それより、早く行こうよ!」


「いや、ちょっと待って。行くのはいいけど、せめて離れてくれ。今の状態を愛純に見られるとまずい」


 未だに僕の腕に抱き着いている純恋に向かって、僕は抗議する。この状態で外に出れば、いらぬ誤解を生んでしまう。


「その程度で崩れる愛なら、別れた方がいいんじゃない?」


「そういう問題じゃなくてだな……。普通は、恋人以外とこういうことしてたら浮気を疑われるだろ! それくらいわかるだろ!」


「え~? わかんな~い。全くわかんな~い。二人が本当に愛し合っているなら、こんな状況を見られても誤解は生まないんじゃない?」


「お、お前なぁ……!」


 どうやら、僕が何を言っても離れる気がないらしい。


「仕方ない……」


 僕は家を出る前に、LINEで愛純に事情を説明することにした。


 幼馴染が突然帰ってきたことや、その幼馴染が今僕の家にいること。そして、何故か僕の腕に抱き着いて離れてくれないこと。だけど、僕は愛純のことを愛しており、決して浮気などではないということを懇切丁寧に説明した。


 そのメッセージにはすぐに既読が付き、返信がくる。


【詳しく話を聞きたいので、とりあえず家から出てきてください。家の前で待ってます】


 ……敬語になっているあたり、かなり怒っていそうな雰囲気だ。


 僕は大きなため息を吐いて、純恋と共に家を出た。後ろからは、姫奈も付いてきていた。

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