第10話 バナナを食べてるだけ

 重叶さんを見送った後、僕は帰宅し、姫奈の部屋をノックした。


「姫奈、ちょっといいか?」


「……お兄ちゃん一人?」


 部屋の中から、ぼそぼそとした声が聞こえてくる。また隣に重叶さんがいるのではないかと危惧しているようだ。


「もう重叶さんは帰ったよ。今は僕一人だ」


 そう伝えると、控えめに目の前の扉が開いた。


「なに?」


「少しは落ち着いたか?」


「………………」


「傷は深そうだな……」


 それは、姫奈の表情を見ていれば分かった。


「部屋、入っていいか?」


「まあ、お兄ちゃんだけなら……」


 そう言って、姫奈は僕を部屋に招き入れてくれる。


 部屋の中に入った僕は、バナナとスポーツドリンクを彼女に手渡す。


「今日学校帰りに買ってきて、渡そうと思ってたんだけどな。タイミングがなかった」


 そんなわけで、重叶さんが帰宅した今、渡そうと思ったわけだ。


「姫奈、バナナ好きだろ?」


「ありがとう。もうアタシのことなんてどうでもいいんだと思ってた……」


 やはりまだ体調が優れないのか、いつにも増してネガティブだ。


「どうでもいいわけないだろ。大切な妹なんだから」


「はいはい。正しくは『あの女の次に大切な妹』でしょ。はあ……。ホント無理」


「……………………」


 正直、否定は出来ない。


 姫奈と重叶さんのどちらを優先するかと聞かれた時、きっと今の僕なら、重叶さんの方を優先してしまうからだ。


「それでも、姫奈のことがどうでも良くなったりはしない」


 そこだけははっきりと、断言して伝えておく。


「じゃあ――」


 僕の言葉を聞いた姫奈が、タンと足を踏み込んで距離を詰めてくる。


「絶賛傷心中のアタシのために、一つお願い聞いてくれる?」


 上目遣いで僕を見つめて、瞳をうるうるさせながら頼み込んでくる。


「もちろん」


 僕は首肯し、彼女のお願いとやらを聞いてあげることにした。


「ただ、無理難題はやめてくれよ?」


 一応、釘を刺しておく。重叶さんと別れてくれ、なんて言われても無理だからな。


「…………ちっ」


 うん。今、この子舌打ちしたね? 絶対無理難題吹っ掛けてくるつもりだったよね?


「わかってるよ。アタシのお願いは、本当にささやかなものだから……」


 少しだけ悲しそうな声で、姫奈は呟いた。


「アタシ、今あんまり食欲なくて……。お兄ちゃんがせっかく買ってきてくれたバナナ、一人だと食べられそうにないから、食べさせてくれない?」


 彼女のお願いは、本当にささやかなものだった。


「なんだ。それくらい、構わないよ」


「ありがと」


 そう言って、姫奈はベッドの方へ歩いて行く。ボスっとベッドに腰かけると、こちらへ来るように手招いてくる。


 僕もベッドへ近づいて行くと、彼女は先ほど渡したバナナを、僕に差し出してくる。


「はい、食べさせて!」


「わかってるよ」


 僕は袋に入ったバナナを受け取ると、そこから一本取り出して、皮を剥こうとする。


「待って! やっぱりもう少しだけわがまま言ってもいい?」


「なんだよ?」


 皮を剥こうとした手を止め、訊き返す。


「やりたいことがあって……」


「おう。言うだけ言ってみ? 無理なことじゃなければ付き合うぞ」


 途端に姫奈は恥ずかしそうに頬を染め、両手で顔を隠す。


「言ったら嫌われるかも……」


「今更何言われても嫌わねーよ」


 嫌われるかもしれないお願いってなんだろうか。僕は無性に興味が湧いてきた。


「こ……」


「こ?」


 こ……? こ、から始まるお願いってなんだ。全く見当がつかない。


 姫奈はすぅーっと大きく息を吸うと、意を決したように叫んだ。


「――股間にバナナを挟んでほしいです‼」


「はい!?」


 予想外のお願いをされ、上擦った声が出てしまう。


「ただバナナを食べさせるだけじゃなくて、お兄ちゃんの股間にバナナを挟んでくれないかな!? お願いお願いお願いします‼」


「いや、それ汚くないか?」


「服越しなら問題ない‼ 問題ないから‼ ちゃんと全部食べるから‼」


「…………」


 手を合わせて必死にお願いしてくる姫奈を見て、その真剣さを感じ取る。


「……本気なんだな?」


「本気に決まってる。恥を惜しんで頼んでる」


「本当はやりたくないけど、特別だぞ……」


 大切な実の妹のお願いだ。仕方ない。


 それに、今日の姫奈はかなり精神的に参っているみたいだし、むしろ、これで精神が安定してくれるなら、お安い御用だ。


「皮はアタシが剥くから、そのまま挟んで」


「わかった……」


 僕も覚悟を決めて、手に持ったバナナを股間に挟んだ。


(いや、なんだこの状況……)


 おかしなことをしている自覚はあったが、姫奈がそれを望んだのだから仕方ない。


 そう自分に言い聞かせ、僕は必死にこの状況を受け入れようとしていた。


「はあ、はあ、エッチだよぉ。はあ、はあ」


 股間に挟んだバナナを凝視して、姫奈は息を荒げていた。


「お兄ちゃん、こんなエッチな妹を許してね……」


 姫奈は右手をスカートの中に入れ、左手でバナナの表面を優しく撫でる。


「皮、剥かないのか?」


 表面を撫でまわすばかりで、全く皮を剥く気配のない彼女に、そう問いかける。


「うん。まだ早い……」


「は、早い……?」


 姫奈の中で、バナナの食べ方にはこだわりがあるようだった。


「お兄ちゃん、気持ちいい?」


「え……。いや気持ちいいも何もないけど」


 僕は股間にバナナを挟んで突っ立っているだけなので、気持ち良さなんて感じるわけがない。というか、この状況が恥ずかしいから、さっさと終わらせて欲しい。


 こんな場面を両親に見られたら僕たちはおしまいだ。


「そう……。うぅ……」


「えっ!?」


 何故か姫奈が泣き出しそうになったので、僕は慌てて口を開く。


「あー、なんか気持ち良くなってきたかも! うん、これ気持ちいいよ‼」


「そう? ふっふーん。アタシに任せて‼ もっと気持ち良くしてあげるから‼」


 これ以上、姫奈を悲しませるわけにはいかない。


 今、この状況での僕の役目ははっきりした。


 姫奈を悲しませないように、なるべく彼女の問いにはYESで答える。それが、今の僕に出来る最善の行動だ。


「はあ。はあ。じゃあ、そろそろ、皮を剥いていくね……」


 相変わらず右手はスカートの中に忍ばせたまま、左手でゆっくりとバナナの皮を剥き始める。


「おいしそう……。今まで食べたバナナの中で一番おいしそう……」


「そうなのか? 普通のバナナを買ってきたつもりなんだが、おいしそうなら良かったよ」


「大きくて、太くて、硬くて、最高だよ……。きっと、お兄ちゃんのだからだね」


(僕が買ってきたバナナだから……って意味だよな?)


 所々、姫奈の言葉遣いに違和感を覚えるが、それは今指摘すべきではないだろう。


 彼女の世界観に、思う存分浸らせてあげよう。


 皮を剥き終えた姫奈が、いよいよバナナを咥えようと口を開ける。


「いただきまーす♡」


 パクッとバナナを優しく口に含み、舌で舐め回す。


「ちゅっ、じゅる。じゅるる。はあ、はあ」


 妙な唾液音を鳴らしながら、バナナを舐めている。


「もう、こんなこと出来るの、最初で最後かもしれないから。一生の、思い出に……」


 姫奈はバナナを舐めながら、右手はスカートの中に、そして左手で自身の胸を触っていた。徐々に、右手の動きが激しくなっていくのがわかった。


「気持ちいい。気持ちいいよぉ……♡ お兄ちゃんのバナナ、おいしい……!」


(あれ……。こいつ、もしかして……)


 その時、流石の僕も気づいてしまった。これって……。


(姫奈はバナナを僕のアレに見立てた上で、自分を慰めている……?)


 気づいてしまってからは、もうそれにしか見えなかった。


 だが、僕はそれに気づいていないフリをする。


(今は、姫奈の好きにやらせてやろう……)


 そういう想いが強かったからだ。これで、姫奈が精神的に立ち直ってくれれば、それでいい。


 彼女は少しずつ、味わうようにバナナを食べて進めていく。


「んん……! ~~~~~~ッ‼」


 やがて、姫奈は声にならない声を上げる。


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」


 息を荒げながら、バナナを綺麗に食い尽くした。


「はあ、はあ。お兄ちゃん、ちゃんとアタシのこと見ててくれた?」


「ああ。目が離せなかった……」


 あんなの、目が離せるわけがない。


 だって、それは、僕にとって初めて見る、姫奈の姿だったから。


 少しだけ、僕の頬は熱に染まっている。


「良かった……。今、この瞬間だけは、お兄ちゃんはあの女よりアタシのことを考えてくれてたってことだよね? アタシのことで、頭がいっぱいだったってことだよね?」


「まあ、そうなるな……」


 僕が首肯すると、姫奈は蕩けたような笑みを浮かべた。すとん、とベッドに仰向けで寝ると、身体をくねくねと動かした。


「えへへ。今日のこと、一生オカズに出来る……。絶対に忘れない……」


 吐息混じりの声でそう呟くと、姫奈はまたスカートの中に右手を伸ばした。


「はあ、はあ、はあ。ああ、この瞬間がずっと続けばいいのに……」


 祈るように、姫奈は右手を動かしている。


「姫奈……」


 バナナの皮を手に持つ僕は、どうしていいかわからず立ち尽くす。


「お兄ちゃん好きぃ。あんな女は認めない。絶対アタシが破滅に導く。お兄ちゃん、それまで待ってて……。あぁん、またイっ……!」


 ぶつぶつと小声で呟きながら、彼女は何度も身体を痙攣させる。


「姫奈、お願いはもう済んだ……ってことでいいよな?」


 バナナは食べ終えたし、これ以上僕がここに残る意味はないように思う。


「ああ、行かないでぇ。お兄ちゃん、行かないで……。アタシから離れていかないで……」


「……ったく」


 僕はベッドにどすっと腰を下ろして、姫奈の左手を優しく握った。


「今日だけだぞ。今日だけは、好きなだけ僕に甘えていいから。だから――」


 姫奈の目をしっかりと見つめながら、僕は告げる。


「――明日には、いつも通りに戻ってくれよ?」


 すると、彼女は安堵したような笑みを浮かべて、


「うん。アタシ、頑張るから……」


 そのまますっーと目を閉じて、すやすやと寝息を立てる。


「世話の焼ける妹だよ、ホント」


 姫奈が眠りについたのを確認した後、僕は後処理に取りかかる。


「ったく、パンツびしょびしょにしやがって……」


 彼女のパンツを脱がせ、布団をかけた後、僕は部屋を後にした。

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