第21話 姫奈バッドエンド
純恋との話が終わった後、僕は予定通り愛純の家へ向かう。
愛純の家は僕の家を通り過ぎた先にあるようだ。そのため、僕はとりあえず自分の家へ帰宅するような形で歩いて行く。すると、
「――お兄ちゃん!」
後ろから姫奈の声と、全速力で駆けてくる足音が聞こえてくる。
僕が振り向くと、姫奈は足を止めて、ぜえぜえと息を上げながら膝に手をついた。
「良かった……。追いついた……」
何事だと思い、僕は姫奈の方へ近づいていく。
「そんなに慌ててどうした? 大丈夫か?」
息を切らす姫奈に、僕は自分用に買っておいた水を手渡す。
「ありがと。これ飲みかけ?」
「まあな。飲みかけは嫌か?」
「ううん、全然。むしろ超回復する。ありがと」
そう言って、姫奈は受け取った水を勢いよく飲み始める。それから、姫奈の息が整うまで待つと、彼女はようやく話し始める。
「今から帰り?」
「いや、帰るわけじゃない。これから愛純の家に行くつもりだ」
「そうなんだ……。じゃあ、せめて途中まで、一緒に帰っていい?」
「まあ、家は通り道だしな。一緒でもいいが、愛純の家まではついてくるなよ? 僕一人で行くって約束なんだ」
「そんな野暮なことしないって」
「どうだかな……」
やりかねないとは思っているんだが。ここは、妹の言葉を素直に信じておくとしようか。
そういうわけで、僕と姫奈は一緒に歩き始めた。
あまり言葉は交わさなかった。どうして突然彼女が一緒に帰ろうと言い出したのか疑問に思ったが、訊ねることは出来なかった。
それはきっと、直前に純恋からあんな話を聞いたせいだ。彼女の話によれば、姫奈は僕に恋をしているらしい。家族としてでなく、僕のことを一人の男として意識しているらしい。
そんなことを聞かされたせいで、僕は姫奈にどう接していいのかわからなくなっていた。
普段ならなんてことない無言の時間も、なんだか今は気まずかった。
結局、僕たちは無言のまま、家まで帰ってきてしまった。
「着いたな」
僕は家を見上げて、そんなことを呟く。
「うん」
姫奈はそっけなく答える。さっきからやたらと、髪の毛先を弄っていた。
「それじゃ、僕は愛純の家行くから」
それ以上話すこともなく、僕は姫奈を置いて愛純の家へ向かうため歩き出す。
「あ……」
姫奈が何か言いたげな声を漏らすが、僕は歩みを止めない。
「ま……」
こつ、こつと音を鳴らしながら、僕は歩いて行く。
姫奈と僕の距離が、徐々に広がっていく。
「――待って‼」
いつの間にか、姫奈が僕の袖を強く掴んでいた。あまりに強く掴まれたものだから、僕は足を止めざるを得なくなる。
「あの人……愛純さんの家に行く前に、どうしても伝えたいことがあるのっ‼」
その声は、とにかく必死だった。
姫奈が愛純の名を口にしたのは、それが初めてな気がした。今までずっと、愛純のことは「あの女」だとか「アイツ」だとか言っていたから。
愛純の名を口にしたことには、何か意味がある気がした。
だから僕は、姫奈の話を聞くために彼女を見る。
「伝えたいことって、なんだよ?」
僕と姫奈は向き合う。
「あ、あの……さ……」
言い淀んでいるのか、姫奈は指をもじもじとして口ごもる。
「アタシ、今から超キモいこと言うかも……」
キモいこと……か。その言葉だけで、彼女の言おうとしていることが何となく察せられる。
だとしたら、僕に出来ることは、兄として彼女の言葉を受け止めること。
「今からアタシが言うこと聞いたら、お兄ちゃんドン引きするかも……。アタシのこと嫌いになるかも……」
「嫌いになんてならないよ。だから、伝えたいことがあるなら、言ってみ? 姫奈の勇気が出るまで、どれだけでも待ってやるから」
僕は兄として、姫奈に優しい言葉をかける。でも、それは結局、兄としての言葉でしかない。
そう。僕は姫奈の兄だ。そこを逸脱した関係には、なれないんだ。
「アタシ……ずっと、お兄ちゃんに隠してたことがあって……」
姫奈は何度も瞬きを繰り返した。その瞳は、今にも泣き出しそうなほど潤んでいる。
僕はそんな姫奈に一歩近づいて、ぽんぽんと優しく頭を撫でてやる。
「大丈夫だ。僕は姫奈を嫌いにならない。お前が何を言っても、な」
「ごめんなさい、時間かけちゃって、ごめんなさい。愛純さんの所に、行かなきゃいけないのに……ごめんなさい……」
「大丈夫だ。いつまでも待つよ。大丈夫」
「……あの、あのね。アタシ、ね……」
「うん」
姫奈の指先は震えている。僕に拒絶されるのを、恐れているんだ。
彼女にとってそれは、ずっと隠し続けてきた秘密のはずだ。きっと、墓場まで持って行くつもりだっただろう。
それを今、彼女は告白しようとしている。成長しようとしているんだ。
「言うから。ちゃんと、言うから……。言わなきゃ、ダメだから……」
姫奈は深呼吸を繰り返し、息を整える。それから、決意が固まったように僕を見る。そんな姫奈の真っ直ぐな瞳を、僕も見つめる。
「――アタシ、ずっとお兄ちゃんのことが好きだった。今でも、好き。家族としてじゃなくて、異性として、お兄ちゃんのことが好き。お兄ちゃんのことを、ずっと一人の男として見てた」
今まで溜め込んできた全ての想いを、彼女は一気に吐き出した。
「こんなこと伝えたら、絶対キモいと思われると思って言えなかった。嫌われると思ってた。アタシがいつもお兄ちゃんに冷たく当たってたのは、この恋心を隠すため! どうせお兄ちゃんってモテないし、一生独身だろうと思って、だから将来はアタシとお兄ちゃんの独身同士で二人暮らし……結婚はしてないけど、事実婚みたいな生活になることを想像してた……」
きっと何度も妄想したのだろう。僕と二人で暮らすその景色を。結婚は出来なくても、実質夫婦のような関係性になっている僕たちを。
何度も何度も想像して、夢見て、溜め込んで。それが叶うと信じて。
――だけど彼女のその願いは、叶わない。
僕には、大切な人が出来てしまった。
「幼馴染のスミレお姉ちゃんだってもう戻ってこないだろうし、絶対そうなるって思ってた。でも、お兄ちゃんは恋人を作ってしまった……。アタシはそれが耐えられなくて、その事実を受け入れられなくて……。最近のアタシが精神を病んでたのは、それが理由。愛純さんにひどい言葉をかけちゃったのも、全部嫉妬なんだよ」
話しながら、姫奈は泣き出してしまった。それでも、彼女は必死に言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい。こんな妹で……ごめんなさい。でも、お兄ちゃんのことが大好きなのぉ……。他の男の子になんて、全然興味持てないんだよ……。自分でもおかしいってわかってるんだよ。だから隠してたんだよ。だから普通の妹みたいに、お兄ちゃんに冷たく当たったりしてたんだよ。でも、お兄ちゃんに彼女が出来るのなんて、やっぱり嫌だよぉ……」
流した涙を隠すように、彼女は僕の胸に顔を埋めた。
「スミレお姉ちゃんがね、教えてくれたの。お兄ちゃんに好きになってもらえるように努力したら、それをお兄ちゃんはちゃんと見ててくれるって……。お兄ちゃんなら、アタシの気持ちも受け止めてくれるって……。だからアタシ、伝えなきゃって思って……! 怖かったけど、伝えなきゃって思って……!」
「うん。姫奈の気持ち、ちゃんと受け取ったよ。頑張ったな、姫奈。辛かっただろうに、頑張ったな」
僕は姫奈に優しく声をかけ、その頭を撫でる。
「アタシ、お兄ちゃんを何回もオカズにした……! 妹なのに、妹なのに……!」
「いいんだよ、姫奈。そこまで好きになってくれて、ありがとな」
「うぅぅ……‼」
それからしばらく、姫奈は泣いていた。一生分の涙を流してるんじゃないかってくらい、泣いていた。
世間一般から見たら、どれだけおかしかったとしても。人を好きになる気持ちは、止められない。本人にすら、止められないんだ。
(ここでもし、僕が姫奈と付き合う選択をすれば、彼女を救えるのか……)
それは果たして、救いなのか?
兄妹揃って地獄へ行くだけなんじゃないか。
(僕には姫奈を、救えない……)
彼女を救うのは、彼女自身だ。
姫奈自身が、この大恋愛を乗り越えていかなくちゃいけないんだ。
そして、姫奈がこの大恋愛を乗り越えるために、僕も伝えなくてはならない。
彼女にとっては受け入れがたい、残酷な真実を。
それを伝える責任が、僕にはある。
「姫奈。これから僕が言うことは、君を傷つけることになるかもしれない。それでも僕は、君に伝えなくちゃならないことがある」
姫奈も何を言われるか察しているのだろう。彼女は僕の腕を強く握りしめた。
聞きたくない。それでも、聞き届けなくては前に進めない。わかっていても、聞きたくない。そんな想いが、彼女の指先から伝わってくる。
「――僕は姫奈のことを、異性としては見れない」
やっぱり僕にとって、姫奈は妹でしかなくて。異性として彼女を見ることは出来ないんだ。
「きっと、姫奈がこれからどれだけ僕にアプローチを仕掛けてきても、僕が姫奈に靡くことはない。例え愛純と別れるようなことになっても、姫奈にだけは靡かない」
純恋なら、あるいは。そういう可能性はないとは言い切れない。だけど、姫奈に限っては、その可能性すら存在しない。
残酷だけど、そのことはちゃんと伝えなければならない。そうでないと、姫奈は僕への恋心を、呪いのように一生抱えることになる。
どうか。どうか――。
これは、兄としての願いだ。
姫奈には、僕以外の人と恋をしてほしい。
僕の言葉を受けた姫奈は、震える声で呟く。
「それは……アタシが妹だから……?」
「そうだ。姫奈は妹だから、異性として見れないんだ」
「うぅ……。もう死にたい……」
「僕は、姫奈が死ぬのを許さない。姫奈のことは異性として見れないし、姫奈の願いを叶えてやることは出来ない。だけど君は僕の大切な家族だから、死ぬなんて許さない。死なせない」
「そんなの我儘だ……!」
「ああ、我儘だよ。でもそれはお互い様だろ」
姫奈は僕の胸に顔を埋めている。
制服の胸元あたりが、見る見るうちに濡れていく。
「やっぱりアタシ、こんなの耐えられないよ……! 伝えなければ良かった……!」
告白したことを後悔するように、彼女は泣きじゃくる。
「僕は、嬉しかったんだ。姫奈が、僕に本音を伝えてくれて。僕は本当に、嬉しかったんだよ」
それだけは本当だと、そう伝える。
それが、彼女にとってせめてもの救いになればいい。
「うわぁああああああああああん‼ どうしてこんな想いにならなくちゃいけないのっ! 告白したのに、全然スッキリしない‼ やり切れない、こんなのやり切れないよぉ……」
「頑張れ……姫奈……」
もう、僕にしてやれることはない。
ここからは、彼女自身の問題。
彼女なりに折り合いをつけてもらうしかない。
(僕にはお前を、救えないんだ……)
やるせない気持ちになる。
これが何かの物語なら、最悪なバッドエンドだ。
僕と姫奈の物語は、救いようのないバッドエンドで幕を閉じる。
もしも、彼女を救える存在がいるとしたら、それは――。
「――ヒメち!!」
その時、遠くから叫び声が聞こえた。
姫奈は声の方に振り返る。その先には、紫鳥純恋が立っている。
「ヒメち! 伝えたんだね、やり切ったんだね……」
「スミレお姉ちゃん‼」
姫奈は純恋の方に駆け寄っていき、二人は抱き合う。
「ヒメち、今日はわたしと思いっ切り遊ぼう! 嫌なことなんて全部忘れちゃうくらい、楽しい遊びをたくさんしよう! 久しぶりに、わたしの家に泊まりなよ。どうせ、家は隣同士なんだしさ」
「スミレお姉ちゃん! うわぁああああああああああああああああん‼ アタシ、やっぱりダメだったぁ……! めっちゃ振られたぁ……!」
「頑張ったよ……。ヒメちは頑張ったよ……」
ここからはもう、僕の出る幕じゃない。
僕の存在は、邪魔になる。
「純恋、姫奈を頼んだ」
「任せてよっ」
僕は純恋にその一言だけを伝え、その場を去る。
僕は僕のやるべきことを、やりに行く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます