Act.5-4
《
森の陰に車を隠し、庭園の茂みに身を隠しながら邸へと近づく。明かりの点いている窓は数部屋だけだった。《
一階の窓を破り、邸の中へ入る。廊下に照明は灯っていなかったけれど、大きく切られた窓から月の光が射し込んで、夜に慣れた目には充分な明るさだった。
警戒しながら、邸の中を進む。高級そうな調度品が、随所に飾られていた。元々資産家だった人間ではないそうだから、信者からの献金か。窓辺に置かれた繊細な彫刻の施されたウォールナットのキャビネット一台、あるいは、その上に飾られた極彩色の壺一個、それだけで、私のいたスラムの人間なら百人くらい、十年は生きられるんじゃないかなと、それらを目の端に映しながら、頭の隅で思う。この教団の神様は、お金を積むほど、望む救いを与えてくれるのだろうか。
「……お金が沢山ある人は、どんなに悪いことをして死んでも、天国に裏口入国できるかもね」
小さく呟いた私に、ナキは肯定も否定もせず、ただ苦笑した。
人の気配がないことを確認し、階段を上がる。《
部屋の前には、護衛らしき男が二人。教団の信者らしく、胸に白い薔薇の刺繍の入ったローブのような制服を着ている。
「左に行くわ」
「了解」
私は右だね、とナキは
アイコンタクトを交わし、階段の陰から同時に飛び出す。私は左の男、ナキは右の男に向かって。相手が私たちを認識する前に、肉薄して、ナイフを一閃。驚愕や恐怖の叫び声も、苦悶や怨恨の
扉に耳を寄せ、室内の気配を
「くそっ……迎えはまだか……っ」
相当、焦っているらしい。時計を確認すると、予定時刻よりも早く仕事を進めることができていた。ここまでは順調だ。ナイフから銃に持ち替えて、ドアに左手を掛ける。ナキと呼吸を合わせて、一気にひらく。
「……なっ……⁉」
男が振り向く。ウイスキーグラスが手から滑り落ちる。ナキが先に飛び掛かり、素早く組み敷く。グラスが床に砕ける。私の銃口が《
「……き……来たのか……第九機関……」
上擦った声。《
「うん。来たよ。貴方に訊きたいことがあってね」
ナキが不敵に笑ってみせる。《
「何を訊かれても……っ、私は……神に誓って、何も
「そっか。貴方に命令していた人から、喋れば殺すって言われてるのね」
さらりとナキが返すと、《
「でもね、考えてみて? 私たちが来た時点で、喋らずに長生きできる選択肢は、もうないんだよ。今、貴方が取れる行動は、残念だけど、ふたつだけ。喋って楽に即死するか、喋るまで痛めつけられながら死んでいくか」
拷問は好きじゃないんだけどね、とナキは肩をすくめる。
「亡命先が天国なら、悪くないでしょ?」
そう言って、ナキは、にこりと笑う。《
「私たちが聞きたいのは、貴方に命令していた人の、名前と居場所」
低めた声で、そう言って、私は右手で銃を突きつけながら、左手でナイフを取り出し、《
「まっ……待ってくれ……っ! 確かに、何も喋るなとは言われた……! でも、私は本当に知らないんだ! 〝救世主〟の名前も、どこにいるのかも……っ!」
「救世主?」
私は眉根を寄せる。
「あぁ……私たちは、ただ、救世主様と呼んでいた……だから名前は知らない……五年前……教祖様が連れてきたんだ。その頃、教団は、今とは名前も違って、比べものにならないほど小さくて、信者もおらず、資金も底をついていた……教祖様のご病気も判明して、いよいよ終わりかと思っていたとき、救世主様が現れたんだ。あれは……本当に救世主だった……救世主様の
「……どんな奴なの? その救世主って」
「詳しいことは、本当に何も知らない……ただ、身なりが良く、美しい所作をしておられたから、どこかの富豪のご子息だろうと思っていた……お若くて……初めてお会いしたときは、まだ十代半ばと思しき少年であられた……」
「十代……?」
私は思わず瞠目した。その救世主と呼ばれる人間は、一体、何年前から、今回の計画を立てていたのか。まだ子どもと言える年齢で、たったひとりで、教団を使い、第九機関に牙を剥いた……?
「……私たちの組織なら、《
銃を握り直す。ちらりと時間を確認すると、まだ余裕があった。
「救世主の外見を言って。髪は? 瞳は? 体格は?」
質問を続ける。ここまでに得られた情報だけでも、機関に持ち帰れば、調査対象をかなり絞り込むことができるだろう。そこに身体的特徴が加われば、一気に大手に
「外見……?」
私の問いかけに、《
「そうだ……救世主様の髪は……美しいプラチナブロンドで……その瞳は……夜の闇にも
《
毒ガスだ――直感する。ただ、痛みや吐き気はなく、心拍や呼吸は正常……多分、無力化剤の一種……でも、一体、いつ
「……窓……」
声が聞こえたのは、そのときだった。
「タイムアップだ」
背後のドアの先から、声がした。穏やかな、若い、男の声だった。続いて複数の足音が、近づいてくる。
上質なスーツに身を包んだ、すらりと背の高い男が一人。そして、その男の周りを囲む、教団の制服を
「……どういうこと……?」
私は言葉を取り落とす。さっき、《
「……ナキ……?」
似ていた。その男は、何もかも、ナキと似通いすぎていた。柔らかなウェーブを描き輝くプラチナブロンドの髪も、色の白く透けるような肌も、澄んで
曇りひとつなく磨かれた革靴が、この部屋の絨毯を踏む。優雅ともいえる歩調で、静かに歩いてくる。
どうして平気なの……? 私は床に膝をついたまま、驚いてその男を見上げた。彼は私を
「この部屋のドアに、ひらけば室内に薬が散布されるよう、細工を施しておいた。無色無臭の気体だから、気づかなかったよね。毒ガスといっても、軽い無力化剤で、後遺症も残らないタイプだから、心配いらないよ。何より便利なのは、吸い込んでから効果が現れるまでの時間と、空気に触れて分解して無毒化するまでの時間が、ほぼ同じってところ。君たちに効果が現れたのを確認してから部屋に入れば、何の危険もない」
流麗な発音。話し方はフランクでも、生粋の上流階級の人間と分かる。
この男が、〝救世主〟……。
「薬の効果が切れる前に、手早く済ませよう」
そう言って、男は力の入らない私の手から銃とナイフを取り上げると、部屋の隅に放った。そして早々に私から視線を外し、窓の傍に――ナキのほうに、向かう。男と信者に囲まれて、ナキの姿は見えない。ナキの顔は、見えない。
「救い出しに来たよ。遅くなって、ごめんね」
男の声が、響く。優しく、穏やかで、けれど、どこか
「十三年振りだね……会いたかった……ずっと……」
「やっと会えた……姉さん」
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