Act.5-4

 《標的ターゲット》となった教団幹部の別荘は、針葉樹の森に囲まれた、丘の上にあった。元はこの地方を治めていた貴族のカントリーハウスだった建物を買い取ったらしい。石と木で造られた、三階建ての大きなやしきだった。

 森の陰に車を隠し、庭園の茂みに身を隠しながら邸へと近づく。明かりの点いている窓は数部屋だけだった。《伝達人メッセンジャ》から受け取った資料によれば、護衛をはじめとする手下の数は、それほど多くはない。邸の図面も頭に入れている。《標的ターゲット》の私室まで、手下たちに気づかれることなく進むことができれば、比較的スムーズに仕事を終えられるはずだ。派手な大立ち回りは、せずに済むに越したことはない。

 一階の窓を破り、邸の中へ入る。廊下に照明は灯っていなかったけれど、大きく切られた窓から月の光が射し込んで、夜に慣れた目には充分な明るさだった。

 警戒しながら、邸の中を進む。高級そうな調度品が、随所に飾られていた。元々資産家だった人間ではないそうだから、信者からの献金か。窓辺に置かれた繊細な彫刻の施されたウォールナットのキャビネット一台、あるいは、その上に飾られた極彩色の壺一個、それだけで、私のいたスラムの人間なら百人くらい、十年は生きられるんじゃないかなと、それらを目の端に映しながら、頭の隅で思う。この教団の神様は、お金を積むほど、望む救いを与えてくれるのだろうか。

「……お金が沢山ある人は、どんなに悪いことをして死んでも、天国に裏口入国できるかもね」

 小さく呟いた私に、ナキは肯定も否定もせず、ただ苦笑した。

 人の気配がないことを確認し、階段を上がる。《標的ターゲット》の私室は、二階の中央。さっき外から確認したときに、明かりの点いていた部屋のひとつだ。一階とは違い、二階の廊下には照明が灯っている。この邸が建設された当時のままの燭台が、点々と炎を揺らめかせている。

 部屋の前には、護衛らしき男が二人。教団の信者らしく、胸に白い薔薇の刺繍の入ったローブのような制服を着ている。

「左に行くわ」

「了解」

 私は右だね、とナキはうなずく。

 アイコンタクトを交わし、階段の陰から同時に飛び出す。私は左の男、ナキは右の男に向かって。相手が私たちを認識する前に、肉薄して、ナイフを一閃。驚愕や恐怖の叫び声も、苦悶や怨恨のうめき声も、上げさせてやらない。

 扉に耳を寄せ、室内の気配をうかがう。ぐるぐるとせわしなく歩き回る一人分の足音と、ぼそぼそと苛立たしげに呟く声が漏れ聞こえた。

「くそっ……迎えはまだか……っ」

 相当、焦っているらしい。時計を確認すると、予定時刻よりも早く仕事を進めることができていた。ここまでは順調だ。ナイフから銃に持ち替えて、ドアに左手を掛ける。ナキと呼吸を合わせて、一気にひらく。

「……なっ……⁉」

 男が振り向く。ウイスキーグラスが手から滑り落ちる。ナキが先に飛び掛かり、素早く組み敷く。グラスが床に砕ける。私の銃口が《標的ターゲット》をとらえる。絨毯にウイスキーの染みが広がり、アルコールの匂いが立つ。開いたドアが反動で閉まる。

「……き……来たのか……第九機関……」

 上擦った声。《標的ターゲット》は目を見開いて、私たちを見た。

「うん。来たよ。貴方に訊きたいことがあってね」

 ナキが不敵に笑ってみせる。《標的ターゲット》の喉が、ごくりと鳴った。

「何を訊かれても……っ、私は……神に誓って、何もしゃべらないぞ……!」

「そっか。貴方に命令していた人から、喋れば殺すって言われてるのね」

 さらりとナキが返すと、《標的ターゲット》は、ぐっと言葉に詰まった。分かりやすい反応だ。

「でもね、考えてみて? 私たちが来た時点で、喋らずに長生きできる選択肢は、もうないんだよ。今、貴方が取れる行動は、残念だけど、ふたつだけ。喋って楽に即死するか、喋るまで痛めつけられながら死んでいくか」

 拷問は好きじゃないんだけどね、とナキは肩をすくめる。

「亡命先が天国なら、悪くないでしょ?」

 そう言って、ナキは、にこりと笑う。《標的ターゲット》の顔から、さっと血の気が引き、体の震えが一気に増す。畳みかけるように、私も口をひらいた。

「私たちが聞きたいのは、貴方に命令していた人の、名前と居場所」

 低めた声で、そう言って、私は右手で銃を突きつけながら、左手でナイフを取り出し、《標的ターゲット》の眼球に近づけた。《標的ターゲット》の喉から、引きった悲鳴が漏れる。

「まっ……待ってくれ……っ! 確かに、何も喋るなとは言われた……! でも、私は本当に知らないんだ! 〝救世主〟の名前も、どこにいるのかも……っ!」

「救世主?」

 私は眉根を寄せる。禿げた頭に汗を浮かべ、《標的ターゲット》はうなずいた。

「あぁ……私たちは、ただ、救世主様と呼んでいた……だから名前は知らない……五年前……教祖様が連れてきたんだ。その頃、教団は、今とは名前も違って、比べものにならないほど小さくて、信者もおらず、資金も底をついていた……教祖様のご病気も判明して、いよいよ終わりかと思っていたとき、救世主様が現れたんだ。あれは……本当に救世主だった……救世主様のおっしゃる通りにしたら、信者も献金も、みるみるうちに増えていった……教団が、ここまで大きくなれたのは、救世主様のおかげ……誰も救世主様には逆らえない……逆らわない……救世主様こそ正義……その救世主様が、第九機関は悪だと仰ったのだ……潰すべき悪の組織だと……」

「……どんな奴なの? その救世主って」

「詳しいことは、本当に何も知らない……ただ、身なりが良く、美しい所作をしておられたから、どこかの富豪のご子息だろうと思っていた……お若くて……初めてお会いしたときは、まだ十代半ばと思しき少年であられた……」

「十代……?」

 私は思わず瞠目した。その救世主と呼ばれる人間は、一体、何年前から、今回の計画を立てていたのか。まだ子どもと言える年齢で、たったひとりで、教団を使い、第九機関に牙を剥いた……?

「……私たちの組織なら、《調整人コーディネータ》の候補になれそうね」

 銃を握り直す。ちらりと時間を確認すると、まだ余裕があった。

「救世主の外見を言って。髪は? 瞳は? 体格は?」

 質問を続ける。ここまでに得られた情報だけでも、機関に持ち帰れば、調査対象をかなり絞り込むことができるだろう。そこに身体的特徴が加われば、一気に大手にせまることができる。救世主なる人物に掛けられたヴェールをがすことができる。

「外見……?」

 私の問いかけに、《標的ターゲット》の瞳が揺れた。そして、はっと思い出したように目を見開くと、途惑とまどうように、ナキを見上げた。

「そうだ……救世主様の髪は……美しいプラチナブロンドで……その瞳は……夜の闇にもきらめく琥珀……同じだ……さっき、笑った顔なんて、あまりにも似て――」

 《標的ターゲット》の言葉は、そこで途切れた。いや、掻き消えた。声が遠ざかり、耳鳴りが響き始める。視界がゆがみ、白くかすむ。手足の感覚が、曖昧あいまいになる。力が、ほどける。

 毒ガスだ――直感する。ただ、痛みや吐き気はなく、心拍や呼吸は正常……多分、無力化剤の一種……でも、一体、いつかれたの? この部屋には、突入してから今まで、私たちしかいないし、《標的ターゲット》にも、そんな素振りはなかったのに……。

「……窓……」

 くずおれそうな体を叱咤しったして、半ばうように窓に向かう。既にナキは辿り着いて、膝をつきながらも手を伸ばし、窓の一枚を開けようとしていた。

 声が聞こえたのは、そのときだった。

「タイムアップだ」

 背後のドアの先から、声がした。穏やかな、若い、男の声だった。続いて複数の足音が、近づいてくる。

 上質なスーツに身を包んだ、すらりと背の高い男が一人。そして、その男の周りを囲む、教団の制服をまとった人間が四人。

「……どういうこと……?」

 私は言葉を取り落とす。さっき、《標的ターゲット》がナキを見て、はっと思い出したように驚きと途惑とまどいの表情を浮かべた理由が、分かった。《標的ターゲット》が言いかけた言葉の先も。

「……ナキ……?」

 似ていた。その男は、何もかも、ナキと似通いすぎていた。柔らかなウェーブを描き輝くプラチナブロンドの髪も、色の白く透けるような肌も、澄んできらめく琥珀の瞳も。不敵に微笑んだ、その表情まで、ナキと同じだった。異なるのは性別と、彼は髪が長く、緩く後ろで束ねているところくらいだろうか。

 曇りひとつなく磨かれた革靴が、この部屋の絨毯を踏む。優雅ともいえる歩調で、静かに歩いてくる。

 どうして平気なの……? 私は床に膝をついたまま、驚いてその男を見上げた。彼は私を一瞥いちべつし、小さく笑って、疑問に答えた。

「この部屋のドアに、ひらけば室内に薬が散布されるよう、細工を施しておいた。無色無臭の気体だから、気づかなかったよね。毒ガスといっても、軽い無力化剤で、後遺症も残らないタイプだから、心配いらないよ。何より便利なのは、吸い込んでから効果が現れるまでの時間と、空気に触れて分解して無毒化するまでの時間が、ほぼ同じってところ。君たちに効果が現れたのを確認してから部屋に入れば、何の危険もない」

 流麗な発音。話し方はフランクでも、生粋の上流階級の人間と分かる。

 この男が、〝救世主〟……。

「薬の効果が切れる前に、手早く済ませよう」

 そう言って、男は力の入らない私の手から銃とナイフを取り上げると、部屋の隅に放った。そして早々に私から視線を外し、窓の傍に――ナキのほうに、向かう。男と信者に囲まれて、ナキの姿は見えない。ナキの顔は、見えない。

「救い出しに来たよ。遅くなって、ごめんね」

 男の声が、響く。優しく、穏やかで、けれど、どこかすがるような危うい弱々しさをはらんだ、震えた声で。

「十三年振りだね……会いたかった……ずっと……」


「やっと会えた……姉さん」

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