Act.2

Act.2-1

 運河沿いのプロムナードを、ルイと並んで歩いていく。雲ひとつない晴天。燦々さんさんと降り注ぐ陽射しのシャワーを浴びて、ライラックの並木が甘い香りを振りいていく。からりと乾いた初夏の風が、涼やかに吹き抜けて気持ちがいい。

 ルイの横顔を縁取るのは、まばゆ水面みなも。陽の光を反射した川面が、プリズムを敷き詰めたように輝いている。ルイの真直ぐな長い黒髪が、風にかれて、さらさらと背中を流れていく。頭の高い位置ですっきりとまとめたポニーテールは、ルイの凛とした雰囲気を際立たせている。私より高い背。すらりとした長い手足。グラフィティ・アートに似たロゴの入ったタンクトップに、程良くテイストを抑えた前開きのシックなショートパーカー。ブーツカットのジーンズを合わせているのは、足の包帯を隠すためだろうか。

「怪我の具合は、どう?」

 少し迷いながらも、私は尋ねた。仕事で敵に怪我を負わされたとき、そのことに触れてほしくない《削除人デリータ》は多い。その気持ちは、私にも分かる。自分自身、不覚だと思ってしまうから。力不足のくやしさを感じてしまうから。

「そんなに深い傷じゃないから、大丈夫」

 次の仕事に支障はないわ、とルイは答えた。ビジネスライクな口調だったけれど、声に拒絶の響きはなくて、ほのかに甘くて、私はほころぶ心のまま、言葉を重ねる。

「仕事じゃなくて……ルイの心配をしたの」

「…………うん、知ってる」

 ルイの瞳が、私を映す。どこまでも青を深くして彩られたような、澄んだ夜空の色の瞳。

「ありがと、ナキ。心配してくれて」

 ルイは微笑んだ。微笑んでくれた。偽りじゃない、つくろいでもない、嬉しいという気持ちを真直ぐに表して、伝えてくれた微笑みだった。だから私も、笑顔をひらく。差し出した心を受け取ってもらえた嬉しさを、キャンディみたいに頬張って。

「ナキが応急処置をしてくれていたのも、幸いだったと思う」

「マニュアル通りのことしかできてないよ。でも良かった、役に立てて」

 肩を並べて、歩いていく。陽の光に満ちた真昼の底を。

 ほんの数日前には血と銃弾の降り注ぐ夜のいただきにいたなんて、嘘みたいに。



 カフェに着く。プロムナードに面したオープンカフェだ。晴れ渡った空の青に、ビビッドカラーのパラソルが映え、ミルキーホワイトのテーブルが眩しい。

「どれにする?」

 ルイが私に、見開きのメニューを正面に向けてくれる。ランチセットが、三種類。パスタと、キッシュと、ドリア。

「んー……選べないから、ルイと同じのにする」

「了解。食べられないものはある?」

「ないよぉ」

「了解」

 あっさりと、てきぱきと、ルイはリードしてくれる。ありがたいなぁ、と思う。嬉しいなぁ、とも、思う。

 カフェなんて、私ひとりじゃ行かないから。

 ひとりきりでは、どうやって楽しんだらいいのか分からない。自分で自分を楽しませる方法が分からない。ルイは、ちゃんとそれができるのだろう。ひとりでも、楽しめることを、ちゃんと見つけて、好きなものを選び取ることができるのだろう。

 いいなぁ、と思う。すてきだなぁ、と思う。そんなルイが、自分の好きな場所に、私を連れてきてくれた。誘ってくれた。私は、それが、とても嬉しい。

「お待たせしました、Aランチです」

 ふわり、と、まろやかで甘い香りが立つ。アボカドとトマトのクリームパスタ。木のトレイの上に、サラダとパスタとバゲットが並ぶ。

 いつ以来かなぁ、と思う。体を動かすための食料じゃなくて、楽しむための食事をするの。

 ストアに行っても、食べたいものを選べなくなったのは、いつからだろう。仕事が休みでも、したいことが思いつかなくなったのは、いつからだろう。分からない。もう忘れてしまった。

 仕事のことなら、いくらでも判断できるのに、仕事以外のことは全部、どうでも良くて、なんでも良くなった。世界が私に求めるのは、私の《キャスト》としての働きだけ。仕事の舞台の外で、私と関わろうとする人は、これまで一人もいなかった。

「いただき、ます」

 おずおずと、口に運ぶ。瑞々みずみずしいレタスとラディッシュ。とろりと甘いアボカドとクリームを、程良く引き締めるトマトの酸味。焼き立てでサクサクのバゲット。

「……美味しい……」

「でしょ?」

 ルイが片目をつむる。こころなしか、ほっとしたような、嬉しそうな色。

 良かった、と私も安堵する。ちゃんと美味しい。ちゃんと楽しい。味わえること、感じられること、その機能が私の中からなくなったわけじゃなかった。忘れていただけで、消えたわけじゃなかった。錆びついてはいても、壊れたわけじゃなかった。どうでもいい、なんでもいい、って、不用品のラベルを貼って、スクラップにする前に、物置の中から見つけ出して、再び動かしてくれたのはルイだった。

 ルイが私に関わってくれて嬉しい。私に関わってくれたのが、ルイで嬉しい。

 ルイといると、私は楽しい。

「ナキ」

 呼んでくれる、私の名前。私が望んだ呼び名。どうでもいい、なんでもいいって、放り出していったものの中で、これだけは手放さなかった、私の意志。

 本名と決別する、私の望み。

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