Act.2-2

 三日後の夜。時間通りに、《運搬人ポータ》の車が私たちを迎えに来た。身に馴染んだ黒のスーツに身を包んで、私たちは後部座席に乗り込む。

 今回の《運搬人ポータ》は、私たちよりも一回りは年上だろう女の人だった。

「全く……あんたたちサラブレッドは、そろいも揃って相変わらず葬式みたいな黒いスーツを着てるのね」

 仕事前の緊張を和ませようとしてくれたのか、《運搬人ポータ》が軽口を叩く。

 サラブレッドというのは、いつの頃からか、養成所スクールを卒業して第九機関に入った私たちのような《キャスト》に対して付けられた呼び名だ。機関に勧誘されるルートは、養成所スクールだけじゃない。元・殺し屋、元・運び屋、元・詐欺師……そういう人たちが、ヘッドハンティングのように〝転職〟してくることもある。

「好きな服は仕事では着ない主義なの」

 ルイが真面目に返答する。投げた会話のボールが外れて、《運搬人ポータ》は苦笑した。

 この国のエリートである第一から第八の機関と違って、第九機関に、服装規定はない。潜入任務では、その場に合わせた装いをするけれど、それ以外では基本的に何を着ても自由だ。タンクトップ一枚で狙撃銃をかつぐ《削除人デリータ》もいれば、ミニのワンピースで飛び回る《伝達人メッセンジャ》もいる。ちなみに今、私たちを任地へ運んでいる《運搬人ポータ》はロリィタドレスだ。仕事ができれば構わない。

 それでも、私やルイをはじめ、養成所スクールで育った《キャスト》は、仕事着として、黒のスーツをまとうことが多い。理由は皆それぞれだろうけど……私の場合は、養成所スクールに私服はなくて、ずっと制服だったから。黒のスーツが一番、制服の感覚に近くて、自然と訓練通りに体が動くような気がするから。

 そういえば……と、私は窓外の景色を見るともなしに眺めながら思う。

 私のクローゼットの中身は、ミドルティーンの頃で止まっている。養成所スクールを卒業して、私服を着られるのが嬉しくて、はしゃいで買って、それきり。新しい私服は、今もまだ選べないままだ。

 窓の外から、硝子に映るルイの横顔へ、瞳のピントを変える。

 今の私の私服を一緒に選んでほしいと、ルイに言ったら、付き合ってくれるかな。そんなことを考えた自分に、苦笑する。生き残ることが前提の未来を考えるなんて、いつ以来かな。笑っちゃうね。数時間後には死んでいるかもしれないのに。明日の朝に生きているのは、保障された予定じゃなくて、今日の夜に死ななかった結果でしかないのに。

「それにしても、とうとうあんたを投入することになるとはねぇ……〝狼の眼ウルフ・アイ〟」

 ハンドルを切りながら、《運搬人ポータ》が肩をすくめて、バックミラー越しに私を見る。

 今回の《標的ターゲット》は、元・《削除人デリータ》だ。組織を裏切って逃亡したのだという。追手として放たれた《削除人デリータ》が二人、返り討ちにされたらしい。

「切り札の無駄遣いで済むことを祈るわ」

「ご期待どーも。でも、私ひとりじゃないから、買い被らないでね」

 ねぇ、ルイ? と視線を向ければ、ルイは小さく嘆息まじりにうなずく。

「精々、貴女の足手まといにならないように善処するわ」

「えぇ……ルイ、もしかしてねてる?」

「事実でしょ」

 ルイが、ぷいと窓の外に目をらす。

 初めて見た。ルイの負けず嫌いな一面。ちょっと可愛いかも、なんて、これから命の遣り取りをするのに場違いな、暢気のんきで平和な空気を味わう。仕事の度、それが最後の会話になるかもしれないことを知っているから、努めて楽しい会話をする。

 幕が上がって、銃を抜いて、《削除人デリータ》の役になりきって、舞台に上がるまでの、ほんの刹那のひとときでも。

 指定されたポイントに着いて、車を降りる。旧市街の外れ、再開発の途中で放棄された廃ビルが建ち並ぶエリア。《標的ターゲット》を乗せた運び屋が、この先の路地を通る予定らしい。

 街路の陰にルイ、そして、その対角にそびえる廃ビルの非常階段に私がひそむ。

 作戦は、先手必勝。相手が臨戦態勢になる前に、奇襲によって片を付ける。

 銃を手に、街路の先を注視する。

 車のヘッドライトが、角を曲がった。スピードを上げて、近づいてくる。

 ナンバープレートを確認。間違いない。あの車だ。

 いつでも出られるように、私は軸足に力を込める。

 先陣を切るのはルイだ。

 銃声が二発。

 ルイの放った銃弾が、運転手とタイヤをとらえる。

 車の進路が大きく曲がり、崩れかけた煉瓦れんが造りの廃ビルに激突して止まる。

 私のひそむビルだ。ルイのコントロールは抜群に上手い。

 非常階段から、私は、ひらりと飛び降りる。

 ボンネットに着地するより早く、助手席に向かってトリガを引く。銃を抜く間も与えずに、喉に一発。即死が一番、苦しまなくていいよね。運び屋に罪はないって? 武装しても、運ぶ仕事をしただけだから? そっか、でもね、それをいうなら私も、殺す仕事をしただけだよ。

 後部座席の人影が私に銃口を向ける。穴のあいた血まみれのフロントガラスが、とうとう砕ける。けれど、その銃弾は、一発も私に当たらない。

 人影が驚愕する気配がする。この距離で、どうして銃弾をけられるのかって? できるんだよねぇ、これが。呼ばれるのは好きじゃないけど、〝狼の眼ウルフ・アイ〟の称号は、伊達だてじゃないってこと。

 とん、とルーフをって、着地する。

 早くも追いついたルイがドアを壊し、男を車から引きずり出す。

 素早く顔を確認。《標的ターゲット》と断定。

「お前は……っ!」

 目が合って、聞いた言葉は、それだけ。即座に放った銃弾が、その先に続く言葉を断ち切る。

 話すことなんてない。遺言を聞く義理もない。恐怖する時間も、懇願する時間も、抵抗する時間も、あげない。

「お仕事完了っと」

 広がる血溜まりが靴の先を濡らす前に、私は死体となった男から離れる。後ろに控えていた《掃除人クリーナ》が、瞬く間に死体を袋に詰めて運び去っていった。

「知っている人が、またいなくなっちゃったなぁ」

 渡された資料で《標的ターゲット》の写真を見たとき、残念だなぁと思った。先月まで同じチームにいた人だ。どんな理由で組織を抜けようとしたのかは知らないし、興味もないけれど、もし、長生きしたくて逃げたのなら、組織にいたほうが永らえたんじゃないかな。すくなくとも、今日この瞬間に死ぬことはなかった。

 組織は――第九機関は、トップシークレットの塊だ。だから、ほころびを絶対に放置しない。なかでもヒトは最大の情報源だ。みすみす逃がすわけない。

「帰ろう、ルイ」

 軽くステップを踏んで、車へと向かう。ルイの靴音が、私のあとに続く。

「ルイには、いなくなってほしくないなぁ」

 無意識に、私の唇から言葉がこぼれていた。あっ、と気づいて口をつぐんだけど、声は既に、ルイに届いていた。

「すくなくとも、当分、死ぬ予定はないわ」

 ルイの歩調が速くなる。私の歩調はその逆で、ほんの数歩で、肩が並んだ。

「生きる予定も未定だけど」

「だよねぇ」

「……でも」

 ルイの握る銃の先が、私の指先をかすめる。ルイも私も右利きだ。手を繋ぐには、どちらかが銃を離さないといけない。

「いなくなりたくはないと、思ってはいるわ」

「……私の傍から?」

 雫のように、言葉が落ちた。胸の奥から、心拍に乗って、言葉が一滴、染み出て、こぼれる。

 ルイは抑えた表情のまま、私に視線を向けた。深黒の瞳。よく見ると僅かに青の色味のある深い黒は、まるで澄んだ夜空そのものみたい。夜をまとうルイは、とても綺麗。

「他に誰がいるのよ」

 ルイの言葉が、私の言葉を受けとめる。

 言葉は、心だった。

 冷たい涙になる前に、温かな手で、光に変えた雫を、空に帰すような。

「いつ死ぬか分からない仕事だから、一緒に生きる約束はできないけどね」

 ふっと目をらして、ルイが呟くように言う。白い頬に、淡いコーラルピンクを浮かべて。

「それでも」


「死ぬまで一緒にいる約束なら、できるわ」


 それは、律義で真面目なルイの、精一杯の甘い言葉だった。

 生きていけると希望に酔えるほどロマンチストにはなれなくて、どうせ死ぬよと絶望にひたれるほどリアリストにもなれない。私たちが見つめるのは、未来の幸せでも現在の不幸せでもない。今この瞬間、ふたりでいる幸せ、それだけだ。今、生きている、だから、一緒にいる。一緒にいられる。

 約束は、願いだった。

「私が傍にいる限り、簡単には死なせないよ。意地でも生かすから覚悟して」

「見くびらないで。逆に生かし返してやるから、離れるんじゃないわよ」

 勢い込んで、そう言って、ルイの頬のコーラルピンクが、コーラルレッドに熱を上げる。私の胸も、けそうに熱い。

「頼もしいパートナーで最高だよ」

 ステップを踏んで、ルイの一歩前に出る。向かい合って、ルイを見つめて。

「離さない限り、離れないよ」

 瞳と瞳を、結び合う。


 利き手の銃は手放せないから、手を繋いで歩くことはできないけれど。

 右手に銃を持ったままでも、左手同士で指切りをすることはできるね。

 背中を守り合うこともできるね。


 私が死んでも、貴女は生きて。

 貴女が死んでも、私は生きるから。

 だから、安心して、傍にいて。


 生きる理由にも、死ぬ理由にも、貴女を使ったりしないから。


――死ぬまで一緒にいる。


 約束が願いなら、それを守ることは何だろう。


 一緒に生きる約束を結べるほど、私たちは強くなくて。

 一緒に死ぬ約束を結ぶほど、私たちは弱くなかった。

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