Act.1-4

 先の任務から僅か二日後の朝、ナキは私の住まうアパートメントに引越してきた。荷解きを手伝おうかと部屋を訪ねたら、荷物は小さなスーツケースがひとつだけ。まるで一泊二日の旅行だ。身軽にも程があると、私は目をみはった。

「家具とか、一通りのものは備え付けられてるもん」

「ずっと備品だけで生活してたの? お気に入りのカーテンとかは?」

「ないよぉ」

 へらり、とナキは笑った。

「前はあったかもしれないんだけどねぇ、いつのまにか忘れちゃった。何が好きかとか、何がいいかとか、今は、なんにもないんだよ」

 ふわふわと、つかみどころのない口調で、ナキは言った。どうでもいい、なんでもいい、そんなうつろが、曖昧な笑顔の向こうで、からからと、乾いた音を立てている。そんな気がした。冬の道端を、破れて穴のあいた紙袋が、こがらしに吹かれて転がり舞っていくように。

「……ねぇ、ナキ」

 胸の奥が、冷たい痛みとともに、鈍く響くのを感じた。無意識に両手を握り込み、低まる声で問いを重ねる。

「休みの日は、何してるの?」

「うん? ……トレーニングかな」

「トレーニングが趣味なの?」

「んーん、全然」

「なら、それ以外で」

「えー……じゃあ、寝てる、かな」

「眠るのが好き?」

「んーん、別に。したいこととか、ないから。休息しとけばいいかなって」

「……普段の食事は?」

「オートミールとサプリ。眠いときは缶コーヒーも飲むけど」

「それも、別に好きだからじゃなく?」

「うん。とりあえず、お腹が満たせて栄養を摂れて、目が覚めたらいいかなって」

 どうして、そんなことを訊くの? と、ナキが首を傾ける。きょとんと、心底、不思議そうに。

「え、っと……」

 私は、はっと、言葉に詰まる。

 本当だ。どうしてだろう、私……。

「ごめん……不躾ぶしつけにいろいろ尋ねて……不愉快だったよね」

「んーん。それは全然、構わないけど」

 不思議そうな色を浮かべたまま、ナキの瞳が瞬きを打つ。朝陽を受けて、琥珀の瞳が、硝子のように透き通る。髪と同じ色の長いまつげが、瞬きに合わせてプラチナの光を散らす。

 数秒の沈黙。私が居たたまれなさにうつむく前に、ナキが先に口を開いた。

 軽やかな口調で、小さく笑って。

「ルイは、何してるの? 休みのとき」

「あ……っ、えっと、レコードを聴いたり、カフェに行ったり、かな」

 答えながら、胸の奥が、微かに跳ねる。冷たい痛みが、滲むような熱に変わっていく。

「レコードとカフェが好きなの?」

「うん……」

 胸の拍が速くなる。アンダンテからアレグロに。

 衝動が、喉の奥で、うずいている。

 迷惑かもしれない。でも……。

 逡巡しゅんじゅんを、私は振り切った。はやる勢いのまま、私は切り出す。

「よかったら、一緒に、ランチに行かない? 近くに美味しいカフェがあるから」

 言った。じわりと、手に汗が滲む。どうして私は、こんなに必死になっているのだろう。こんなに、ナキに、関わろうとしているのだろう。

「一緒に……?」

 ナキの瞳が、ぱちり、と大きく瞬きを打つ。澄んだ琥珀に、内側から光が灯る。

「うん。行く。誘ってくれて、ありがと、嬉しい」

 朝陽の中、ナキのひらいた笑顔は、まるで、金色の花が咲くみたいだった。

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