Act.1-3

 足の治療を終えて帰宅すると、空はすっかり白んでいた。初夏の夜明けは早い。

 スーツを脱ぎ捨て、シャワーを浴びる。タンクトップとホットパンツに着替えて、軽くストレッチをすると、控えめな音量でレコードをかけた。このアパートメントに住人は少ない。この部屋の上も下も、左も右も、空室だ。これくらいの音量なら、この時間でも大丈夫だろう。異国の女性ヴォーカルが歌う、アップテンポのロックミュージック。有名ではないけれど私は好き。自分の心に正直に、自分の足で歩くことを歌う曲。

 ミネラルウォーターのボトルを手に、ベランダに出る。旧市街に程近い、新市街の外れ。運河に面したアパートメントは西寄りの南向きで、朝陽に照らされ薔薇ばら色に染まる旧市街の街並みを一望することができた。視線を移せば、金のうろこいたように、まばゆく輝く水面みなも。プロムナードをジョギングする人の姿も見える。

 平和な朝の風景を眺めるのも、私は好きだ。夜をまたひとつ生き延びられたのだという実感が湧く。

 喉をうるおし、振り返れば、部屋の棚には沢山のレコード。壁にはバンドのポスター。カーテンもブランケットも食器も全部、私の選んだ、私の好きなもの。私が仕事で稼いだお金で、手に入れたもの。銃のトリガを引いて、誰かの命と引き換えにして。誰かが生きたかった明日を、私は生きている。

 それを、正しいことだとは思わない。けれど、裁かれることもない。今は、まだ。この国は私の仕事を裁かないし、私も私を裁くことはない。もし、裁かれることがあるとすれば、それは私が仕事の最中さなかに、敵に撃たれて死ぬときだろう。世界でも、神様でも、なんでもいい。私に罰を下したいなら、凄惨な死に方をさせればいい。犯されてなぶられて、血と涙にまみれて、真冬の用水路に投げ込まれるよりも、酷い死に方を。ポルノもスプラッタも、世界や神様は見飽きていると思うけれど。

 アウトローでインモラルな、正義や良心の天秤から外された場所。それが舞台。自分の感情をオフにして、《削除人デリータ》の役になりきって、舞台に立つ。それが仕事。それは、生き延びるためにすることであって、生きがいにすることじゃない。人を殺すことなんて、好きでもないし、楽しくもない。

 だから、好きなものや、楽しいことで、仕事以外の時間を埋める。役を終えて、私が私に戻るために。私が私を、忘れないために。

 いつか舞台から落ちて、生き延びられなくなるときまで。

 どこかからパンの焼ける匂いがして、私の体が空腹を思い出す。少し眠ったら、お気に入りのカフェに、モーニングを食べに行こう。

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