Act.1-2

 車に戻ると、助手席で私たちを待つ人影があった。

「……《伝達人メッセンジャ》」

 ナキが呟く。

「おつかれさま、《削除人デリータ》」

 栗色の巻き毛が印象的な男だった。ナキに向かって微笑みかけてから、私の足をちらりと見て、

「病院へ向かう道すがら話そう」

 そう言って、後部座席を視線で示し、私をうながした。

「君は、あっちの車で《調整人コーディネータ》のもとへ向かって。君に用があるそうだから」

「……はぁい」

 ナキが心なしか不服そうに、くぐもった声でうなずく。

 栗毛の男が苦笑した。

「付き添いたかったの? 珍しいね。ペアを組むこの子のこと、そんなに気に入ったんだ?」

「まぁね」

 後部座席のドアを開け、私を介助してくれながら、ナキは小さく肩をすくめた。

「ルイはねぇ、命がけで守った仲間に見殺しにされても、うらんでなかったんだよね。ただ独りで傷ついてただけで」


「そういう絶望って、愛しいよねぇ。共鳴して、ひとめ惚れしちゃうよ」


 そう言って、笑みのかたちに細められた琥珀の瞳は、硝子のように透明だった。

 私がその言葉とまなざしの意味を咀嚼そしゃくする前に、ナキは「じゃあ、またね」と、ドアを閉め、くるりときびすを返した。夜風に揺れるプラチナの髪が、黎明のせまる群青の空に、きらきらと、星を集めたように輝く。

 踏まれるアクセル。ナキの背中が遠ざかる。一人で敵を殲滅せんめつしながら、返り血を一滴も浴びていない、綺麗なままの黒いスーツ。

「……狼の眼ウルフ・アイ

 その二つ名を口にして、《伝達人メッセンジャ》が私に水を向けた。窓の外から視線を移すと、バックミラー越しに目が合った。

「彼女の瞳、ちょっと珍しい色をしているだろう。琥珀色って、狼の眼の色と同じなんだってさ。加えて、あの戦闘力だ。君も間近に見て、驚いただろう? 最初に誰が呼び始めたのかは知らないけど、養成所スクールにいた頃からの渾名あだななんだ」

「……養成所スクール……」

 そうか、彼女も……。私は目を伏せる。運営するおとなたちには孤児院ハウスと呼ばれ、育成された子どもたちには養成所スクールと呼ばれる、私たちの属する組織が運営する施設。それはこの国の各地に密かに存在し、〝見込みがある〟と判断された子どもが全国から勧誘され、収容され、数多あまたの技術を叩き込まれる。いくつもの言語も、あらゆる武器も、自在に使いこなせるように。

 私を含め、施設に集められた子どものほとんどが、戸籍のない、スラム生まれの孤児だ。もっとも、たとえ戸籍を持っていたとしても、施設に入ると同時に抹消されている。全ては、この国のために在れと。

 存在しない人間たちによる、存在しないはずの組織。

 第九機関――それが、私たちの属する組織だ。

 この国の中枢は、八つの機関から成り立っている。法務を司る第一機関、外交を司る第二機関、財務を司る第三機関、そして、公安を司る第四機関というように。そして近年、秘密裏に発足したのが、おおやけには存在しない九番目の組織――粛清を司るといわれる第九機関だ。あらゆる違法行為――殺人さえも、第九機関が〝執行〟すれば、それは〝超法規的措置〟の扱いになる。この国で、最強にして最凶の組織とうたわれる存在。元々はクーデターの阻止が主だったようだけれど、組織は確実に拡大を進め、活動の幅も広く、そして深くなった。第九機関を、この国の浄化装置だと言う人間もいる。おもての八つの機関からは完全に独立しているため、腐敗や癒着によって表の機関が手を出せない案件も、何の忖度そんたくも容赦もなく切り込めるのだと。

 それゆえに、敵も多い。既得権益をむさぼっていた人間ほど、第九機関は潰したくてたまらない、忌々いまいましい存在らしい。

「……それで、話って何?」

 私に伝達事項があるんでしょう? と、話を戻してうながすと、彼は「あっ、うん、そうだね……」と、急いで鞄から封筒を取り出した。受け取って、開く。次の《標的ターゲット》の写真とプロフィール、作戦決行の日時と場所など、詳細が記されていた。

「これが、次に君と彼女で当たってもらう仕事。ちなみに、明日付けで……って、もう日付が変わったから今日だけど……彼女とペアを組むのに合わせて、彼女が今ついている《調整人コーディネータ》のもとに、君も異動することになったから」

「了解」

 私はうなずいた。第九機関の構成員は皆、《キャスト》と呼ばれ、個々の適性に応じて様々な役割をになっている。《調整人コーディネータ》は、いわゆる指揮官に相当するけれど、単に作戦の立案や采配を振るだけじゃない。必要に応じてみずから調査や外部との交渉も行う。《調整人コーディネータ》を中心にしたチームで、私たちは動く。

「それから……彼女の住まいを、君の隣の部屋に移すことになったから。ちょうど今、空室だし、ペアを組むなら、そのほうが都合がいいだろうって」

「……了解」

 私たち《キャスト》の住居は、全て機関が手配している。勝手に転居することはできないし、ある程度の希望は考慮されるものの基本的に機関が決めた場所にしか住むことができない。《キャスト》の居所を確実に把握するためとか、理由は様々あるようだけれど、元々スラムの道端で寝起きしていた身だ。今の衣食住に、私は何の不満もない。温かい服を着て、温かいものを食べて、温かいベッドで眠る。怪我をすれば治療を受けられて、仕事をすれば暮らせるだけのお金が貰える。そういう生活に、幼い私は憧れた。汚水さえも凍てつく真冬のスラムの路地裏で、第九機関の《勧誘人スカウトマン》が私に提示した一丁の銃。それは、人生を変えるチケットだった。私は、ちゃんとトリガを引けた。手にしたチケットを、ちゃんと使えた。だから今、ここにいる。空っぽの腹に男の欲をくわえ込んで、血と涙でどろどろになって、翌朝には用水路で冷たくなっているような、親とは違う、道を進めた。

 窓の外を眺める。新市街の中心部に近づくにつれ、ガス燈の明かりが増え始めた。もう間もなく、機関の提携する病院に到着するだろう。

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