Epilogue

Epilogue

 燈韻暉ヒビキ・ミツハ――この国で有数の資産家の一族であるミツハ家の本家の令息。幼少の頃に両親が事故で他界。空席となった当主の座には、暫定的に、母親の歳の離れた兄であった伯父が就くこととなった。しかし、その伯父も、死亡。姉の燈雛綺ヒナキも、そのされる。再び別の親族が当主の代理を務めていたが、燈韻暉が十五歳になると同時に、名実ともにミツハ家の当主となる。商才があり、十代の身ながら立ち上げた新規事業を次々に成功。得られた収益で資金援助や慈善事業にも力を入れていた。二十歳の秋、で国境近くの街を訪れた際、、姉と再会。連れ帰ろうとした矢先、し、殺害される。――以上が、燈韻暉・ミツハに関する公的な記録だ。

「……まるでジェンガね」

「崩れない程度の整合性は保ったつもりだよ」

 閲覧した資料を嘆息まじりに返した私に、《調整人コーディネータ》は肩をすくめた。第九機関が一瞬でも、たった一人の二十歳の青年に後れを取り、一時は壊滅的な内部崩壊を起こす可能性にも見舞われていた――〝上〟の人間にとっては許しがたいことだろう。その綻びを修繕し、何事もなかったように〝調整〟するのは、簡単なことじゃない。《調整人コーディネータ》の顔には、疲労の色が濃く滲んでいた。

「暗示をかけられていた《キャスト》たちの治療も、ようやく全員、終了しそうだ」

「……そう」

 私は小さく安堵の息をつく。

 燈韻暉・ミツハの計画で死亡した《キャスト》の数は、あの短期間で、全ての《キャスト》の実に三割にせまった。特に戦闘要員である《削除人デリータ》の割合が高いことや、さらに貴重な《調整人コーディネータ》までも失った痛手は大きい。あと少しでも対処が遅れていたら、第九機関は、組織を維持できずに破綻し、潰れていたかもしれない。――燈韻暉・ミツハの復讐の通りに。

 《調整人コーディネータ》の邸を出て、《運搬人ポータ》の車に乗り込む。後部座席に同席する人間は、いない。

 冬木立の中を、車は進む。陽の光の射さない寒空の下、立ち込めるスモッグが、さらに世界を暗く覆っていく。

 郊外の丘陵地。灰色の空の下、白い建物が見えてきた。古びてはいるけれど大切に手入れされ、今も使われているカントリーハウス。

 つる薔薇ばらの装飾が施された青銅の門をくぐり、やしきへと入る。毛足の長い絨毯の敷かれた廊下と階段を進み、二階の中央のドアをノックする。私であることを告げると、入室を歓迎する軽やかな返答。

「おかえり、ルイ」

「ただいま、ナキ」

 広い書斎。窓際の大きな机に積み上がった本の隙間から、ナキの顔がのぞいた。

 私と違い、ナキが着ているのは、黒のスーツじゃなく、繊細な模様を織り出した天鵞絨ベルベットのロングドレスだ。

「……あんまりこんを詰めすぎると、また熱が出るわよ」

「知恵熱だよ」

「違うでしょ」

 私がにらむと、ナキは「ごめん」と苦笑した。

「心配してくれて、ありがと。……でも、早く、追いつきたいから」

「その小難しい本の内容と同時に、自分がまだ病み上がりだってことも憶えていてほしいわ」

 経済や法律、その他諸々、私ならタイトルを見ただけで放り投げたくなる書籍の内容を、ナキは周囲も驚くほどの速さで吸収していた。……名実ともに、ミツハ家の当主で在るために。

「……燈韻暉のようには、いかないけどね」

 ぽつりと、雫のように小さく呟いて、ナキは笑った。

 国境近くの街で姉弟が奇跡の再会を果たした後、不幸にも暴漢に襲われた弟が、命がけで守った姉――それが、〝調整〟されたナキの記録。ナキは、正統な当主の継承者として、生まれた家に帰還した。当然、一族の中にはいぶかる人間もいたけれど、それを裏から抑えたのは第九機関だった。機関にとって、ナキがミツハ家の当主となることには大きな利点があったからだ。各界におけるミツハ家の影響力は絶大で、ミツハ一族が統括する企業の中には、第九機関が利用しているものも多く存在する。ナキがミツハ家の当主となることで、第九機関は、ナキを介し、各界への影響力を、さらに強めることが可能になる。

「……糸繰人形マリオネットみたいなものだけどね、ただのお飾りではいたくないんだ」

 ナキの指先が、おそらく無意識だろう、胸の傷の辺りをなぞる。

 あの日……船室の中で、燈韻暉はナキごと、自身の心臓を――左胸を撃ち抜いた。ナキを抱きしめた状態で、ナキの背中から自分の左胸を撃てば、ナキが撃たれるのは右胸になる。……だから、ナキは死ななかった。瀕死の重傷ではあったけれど、突入した私たちによって、ただちに病院へ搬送され、一命を取りとめた。

 賭けだったのかもしれない、と私は胸の奥で思う。燈韻暉の真意は分からない。けれど、本当にナキを道連れにしたかったのなら、ナキを先に殺してから自害すれば確実だったはず。……ナキは生きた。第九機関が、ナキを生かした。

「ごめんね、ルイ」

 私を見上げて、ナキが微かに、瞳を揺らす。

「約束、破っちゃって」

 死ぬまで一緒にいるって、約束したのに。

「破れてないでしょ」

「え……?」

「生きてくれているもの」

 今、生きてくれているもの。

「……ルイ……」

 琥珀の瞳に浮かぶ光。ごめんねも、ありがとうも、他にも沢山、様々な感情が、光のプリズムになって揺れる。

「今までと違って、明日も生きていることが前提の生活になるんだから、貴女も、長生きする覚悟を決めてよね」

「長生きする覚悟」

「多分、死ぬ覚悟より、度胸がいるわ」

 死ぬのは刹那だけど、生きるのは永劫だから。

「戸籍も与えられたし、ね」

 私は肩をすくめる。

 ナキも私も、今はもう、何の《キャスト》でもない。第九機関と繋がりを持ちながら、第九機関の人間ではなくなった。ナキは、ミツハ家の当主である燈雛綺ヒナキ・ミツハとして、そして私は……彼女専属の秘書兼護衛である璃宇リウ・トウとして、これからの人生を生きていく。

 ナキはともかく、私は希望すれば璃宇リウ・トウ以外の戸籍を用意してもらうこともできた。それでも私は、元々の戸籍――本名を、もう一度、受け取ることを決めた。

「あ……」

 ふと窓の外に目をとめて、ナキが瞬きをした。

 鉛色の空から、純白の雪が舞っていた。

 白い花……白薔薇の花弁のように。

「天国には、冷たい雪じゃなく、温かい花弁が降っているといいなぁ」

 寂しいところに、独りでいなくて。

 沢山の花で、優しく包んであげられたらいいな。


 窓枠の縁で握り込んだナキの手に、私は、そっと、手を重ねた。

 ナキは静かにてのひらを向けて、応えるように、その手を結んだ。

 

 夜のいただきから下りて、真昼の底を歩いていく。

 明日も、明後日も、その先も。


 この邸の庭は、春になれば、満開の白薔薇が咲き誇るという。

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Fall Into Heaven ソラノリル @frosty_wing

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