Act.5-5

 姉さん――葉先で震える雫がひとつ、満ちて落ちていくように、彼は呼んだ。

 十三年振り……十三……《伝達人メッセンジャ》の言葉を思い出す。――叛逆行為に至った《キャスト》たちは、暗示をかけられた日から起算して、十三回目の任務あるいは十三週間後の夜、どちらか早いほうの日時に、叛逆行為を実行していた――十三という数字は、この男にとって、執念の数字であり、決意の数字だったのかもしれない。

「さぁ、姉さん」

 彼はおもむろに拳銃を取り出し、ナキに銃口を向ける。

「安心して。麻酔銃だよ。少し眠っていてほしいだけ。……姉さんのこと、調べて驚いたよ。〝狼の眼ウルフ・アイ〟……弾道を見切る驚異的な反射神経と、抜群の身体能力を備えた、優秀な《削除人デリータ》だって……頑張ったんだね、姉さん……あの邸にいた頃は、まともに走ったことも、銃どころかテーブルナイフより重いものを持ったことも、なかったのに……でも、さすがに薬の効いた体で、この距離の銃弾はけられないよね。たとえ麻酔弾でも、姉さんを撃つのは本意じゃないんだけど……ごめんね」

「っ……燈韻暉ヒビキ――」

 ナキの声が、銃声に掻き消える。彼の足もとに、ナキの倒れる音がした。

「ナキ……!」

 撃てない弾丸の代わりに、彼の背中に声をぶつける。彼は全く意に介する素振りなく、そっとナキを抱き上げた。

「わぁ、軽いなぁ。女神様じゃなくて、天使様だったかな」

 まるでダンスのステップを踏むように、彼はくるりときびすを返す。ナキを見つめて愛しげに細めていた瞳が、すっと怜悧な光に色を変え、私をとらえる。

璃宇リウ・トウさんだね」

 私の本名を、彼は、さらりと口にする。

「悪いけど、生かして帰してはあげられない。そこに転がっているお喋りのせいで、僕のことを、余計なことまで知られてしまった。姉さんと安全な場所に着くまで、第九機関には邪魔されたくないからね」

 彼の言葉に、傍に控えていた信者たちが、銃を構え、私を取り囲む。

 舌打ちしたい衝動を抑え、私は床に膝をついたまま、彼を睨み上げた。

「亡命する気? ……手駒の〝お喋りさん〟は、連れて行かないの?」

 会話を繋げて、時間を稼ぐ。一分でも、一秒でも、長く。今はまだ、薬が効いて、満足に動けない。でも、さっきより少しずつ、手足の痺れや、視覚、聴覚の狂いは取れてきている。この薬の効果は短い。ナキがいたから、万一を危惧して、強力な薬は使わなかったのだろう。

「あぁ、それ……」

 ふっと、彼は薄く笑った。

「ただの餌だよ。君たちの組織に、今日この時間、この場所へ、姉さんを派遣するよう仕向けるためのね」

「……餌……? 仕向ける……?」

 眉根を寄せた私に、彼は、くすりと笑みを深めた。

「君たちのチームの構成員で、今日この時間、この場所に派遣できる《削除人デリータ》は、君と姉さんだけだった。そうなるように、僕が〝舞台〟を〝設定〟したんだよ。君たちの指揮官は、僕がいた情報から、その餌を食らうための〝計画〟を立てて、〝調整〟した……それさえも僕の〝脚本シナリオ〟の一部と知らずに」

「……脚本シナリオ……」

「そう。……僕が、第九機関から、姉さんを確実に奪い返すための、ね」

 彼は笑った。冷たく不敵に。

 追い詰めるつもりが、おびき出されていた。

 つかんだはずの相手の尻尾は、相手の罠に置かれた餌だった。

 そして彼は、望む獲物を――ナキを、手に入れた。

「僕が、その人を餌にした理由は……」

 すっと、彼の視線が、床に転がる男に――私たちの《標的ターゲット》だった男に、向く。信者の一人が、静かに、その男に銃口を向けた。――教団の幹部だったはずの男に。

「そ……そんな……」

 愕然と目を見開き、男は唇を震わせた。

「おっ……お赦しください……! 救世主様……っ! どうか……助け……」

 額に汗を浮かべ、男は必死に後退あとずさろうとする。教団の幹部だったというからには、信者の前では威厳のある姿を見せていたのだろうか。今の男には、見る影もない。

 救いたい側ではなく、救われたい側の人間だったのかもしれない。

 与える側ではなく、奪う側の人間だったのかもしれない。

 彼の――救世主の言葉は続く。

「僕に隠れて……敬虔な信徒だった人を破産に追い込んでまで献金をせまり、私腹を肥やした……僕が気づかないと思った? 信仰は、他にすがれるものが何もなくなった人の、最後の救いとなるものだって、僕、何度も言ってきたのに……」

 残念だよ、と彼は目を伏せた。引かれるトリガ。信者のまとう教団の制服に、ぱっと鮮やかな血飛沫しぶきねる。

「さて……少し長話が過ぎたな。急ごう……君たち、ここは頼んだよ」

 従えた信者たちに、そう言い置いて、彼は静かに部屋を出ていった。

 四つの銃口が、無言で私に向けられる。私は顔を上げたまま、ぐっと軸足に力を込め、唇を引き結んだ。

 上等だ。まだ本調子ではないけど、時間を引き延ばせたおかげで、薬の影響は、かなり抜けた。

 幸いなことは、もうひとつ……この信者たちは、何の訓練も受けていない素人だ。銃の構え方、そして、幹部の男を撃ったのを見て、気づいた。ならば私にも勝算はある。ナキほどではないけれど、私だって、俊敏さには自信がある。たとえ相手が四人でも、素人に負けるほど、伊達だてに何度も死線をくぐってきてない。

「……舐めないでよね」

 四つのトリガに掛かる指。背中に隠していた予備の銃を抜きながら、私は大きく床を蹴った。

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