Act.3-2
喧騒が、
三階建ての階段を上がる。ささくれた粗末な板張りの床だった一階、丁寧に磨かれた二階、そして、絨毯の敷かれた三階へ。階数の上がるほどに、
今回、私たちが命じられた仕事は、《
最奥の部屋に、《
ナキとペアを組むようになって、組織内の〝裏切者〟を〝削除〟する仕事が格段に増えた。元々、ナキが、そういう仕事を命じられることが多いからだろう。特に、裏切者が《
そして今回、《
幸い、私たちの出番はなく、仕事は終わった。《
「早く帰ろっと」
うーん、と軽く伸びをして、ナキは足早に歩いていく。
追いかけながら、私は小首を
「珍しいね、ナキ。そんなに帰りを急ぐなんて」
「んー……軍部には、あんまり近づきたくないんだよねぇ」
肩をすくめて、ナキは苦笑した。どうして……? と、理由を測りかねた私が、問いかけの瞬きをする前に、
「あれ? 〝
唐突に、後ろから声が掛かった。振り返ると、私たちと同い年くらいの女が三人、こっちを見ている。いずれも制服姿で、長い茶髪を下ろし、あまり気分の良くない笑みを浮かべていた。声を掛けてきたのが中央にいる長身の女で、あとは取り巻きだろう。
ナキが足を止めた。私の足も、合わせて止まる。彼女たちが追いついてくる。
「仕事で、だろうけど、よく来られたわね、ご苦労様」
長身の女が、ナキを見下ろす。明らかに挑発の色をした瞳で。
「そっちこそ、よく私の前に顔を出せたね」
ちらりと視線を上げて、嘆息まじりに、ナキは彼女を見返した。
彼女の笑みが深くなる。
「あら、
「そうだね、私も、今は何とも思ってないよ。相手は本物のテロリストだったもんね。私を見殺しにしていなければ、貴女は無傷じゃ済まなかっただろうし、私は、このとおり、独りで生還できたし」
彼女は、どうやら、ナキと同じ
「挨拶なら、もういい? 私、行くね」
「私ね、結婚するのよ」
「……そうなんだ、おめでとう」
ナキは微笑んだ。いや、微笑み続けていた。呼び止められて、振り返ってから、ずっと、ナキの面持ちは穏やかに微笑んだまま、僅かな
一歩、ナキに近づいて、彼女は続けた。
「私の婚約者はね、将来が約束された高官なのよ。
彼女の話を、ナキは静かに聞いていた。琥珀の瞳は硝子のように、彼女の笑顔を映していた。まるで、心が、ここにないみたいに。まるで、光の矢の届かない
そんなナキを前に、勝ち誇ったように、彼女は言い放つ。
「これから私は、彼との子どもを沢山、産んでいくわ。笑顔の
彼女の言葉は、そこで切れた。私が切った。言わせなかった。
「……それ以上、続けるなら……」
柔らかな彼女の下腹部に、私は銃口を押しつけていた。
「あんたの自慢の
彼女の喉から、引き
「……行こう、ナキ」
ナキの手を引いて、歩調を速める。
後ろから、あの女の声が投げつけられてくる。何か捨て台詞のようなものを吐いたようだったけれど、耳に入れる気もなかった。
「……ルイ」
「言っとくけど」
言いかけたナキの声を遮って、私はナキの腕を
「ナキの代わりに怒ったんじゃないからね」
「うん……」
「私が我慢ならなかっただけなんだからね」
「うん」
「ナキが
「……うん」
「ありがとう、ルイ。あの子の言葉を、赦さないでくれて」
私の手に、ナキの手が、花弁のように、ひらりと触れる。
初めて繋いだナキの手は、包みたいほど柔らかくて、絡めたいほどたおやかで、抱きしめたいほど温かかった。
「私が銃を握らないとき、この右手はルイのものだね」
ナキが笑う。繋いだ私の手に、そっと力を込めて。
「銃を持ってても、持ってなくても、ルイの左手は、ずっと私のものだね」
「……左手だけでいいの?」
「え……?」
私を見上げる琥珀の瞳が、大きく瞬きをする。真昼の光に透けて、きらきらと、プリズムを
頬に熱が集まるのを感じながら、私は言葉を続けた。
「仕事のときの私は機関のものだけど、それ以外の時間は全部、貴女のものにしてもいいってことよ」
「……好きなだけ、もらっていいの?」
「……いくらでも、持っていくといいわ」
「じゃあ……」
繋いだ手の熱が上がっていく。
「私の全部も、もらってくれる……?」
「……もちろん。ありったけ、寄越して頂戴」
大切にするから。大切にしたいから。
誰にも傷つけられたくないから。傷ついてほしくないから。
独りにさせたくないから。独りでいてほしくないから。
預け合って、守り合って。
たとえ、未来に繋げるものが、何もなかったとしても。
生めた心はあるって。育めた時間はあるって。
信じることができたなら。
いつか訪れる命の終わりも、きっと寂しくはないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。