Act.4

Act.4-1

 オルゴールが鳴っている。あどけない旋律を、繰り返し、繰り返し。

 幼い少年の泣き叫ぶ声が、オルゴールの音色を掻き消すように響いている。

 大きく分厚い扉の向こうから。

 助けてと、私を呼んでいる。

 行かなくちゃいけないのに、行きたいのに、行けない。

 扉には内側から鍵が掛かっていて、入れない。

 夜、このやしきの離れにいるのは、私と、あの子と、あの男だけ。

 邸のおとなは、皆、あの男の言いなりで、誰も助けに来てくれない。

 だから、私が助けなくちゃいけないのに。

 あの子を――弟を、助けたいのに。

 どれだけ懇願しても、夜が明けるまで扉は開かない。

 扉の内側と外側で、弟と私は夜通し泣く。

 やがて、長い、長い、夜が終わって、あの男が、部屋から出てくる。

 私は弟に駆け寄って、傷だらけの体の手当てをする。

 ごめんね、ごめんね、助けられなくて、ごめんね。

 ベッドの上で、手を握って、背中を撫でて、弟が眠れるまで抱きしめる。

 あの男を殺せる武器があればいいのに。

 銀のテーブルナイフじゃ、あの男にはかなわない。

 弟を助けられるなら、私はシルクのネグリジェも、宝石もカメオのブローチも、白薔薇の庭も、全部、全部……私の持ちものは何だって差し出すのに。弟を守れる武器をくれるなら、他には何も要らないのに。

「契約する?」

 蝶番ちょうつがいの軋む音とともに、ささやく声が、耳を打った。

 白い朝の光を浴びて、扉の先に、知らないおとなが立っている。

 スーツ姿の女の人。長いアッシュブロンドの髪を、頭の高い位置で、すっきりとまとめている。

 ここは、やしきの人間しか入れないはずなのに。

 誰も、助けになんか、来ないはずなのに。

 長い、長い、夜の果てに、現れたその人は、夜明けの使者のように見えた。

「……契約……?」

 引き寄せられるように、体を起こす。

 眠った弟を起こさないように、私は、そっと、ベッドを下りる。

 差し出されたのは、一丁の銃。

「貴女が、あの男を殺し、私たちのもとへ来る契約を結ぶなら、その銃を、一晩、貴女に貸してあげる」

 あぁ、そうか、と私は理解した。

 弟を助けるために、必要な代価は、私そのもの。

「……貴女は……?」

 銃に手を伸ばし、私は尋ねた。

 女の人は微笑んで、《勧誘人スカウトマン》だと、答えた。



+



 目を開けると、薄いカーテンが西陽に染まっていた。終わりゆく夏を惜しむような熱が、オレンジの光とともに、じんわりと部屋に滲んでいる。

 幼い日の記憶を夢にみたのは、いつ以来だろう。

 時計を見ると、予定の時間よりも一時間近く早かった。夜の仕事に備えて仮眠を取っただけなのに、懐かしい夢をみたものだ。

 体を起こす。隣の部屋から、アップテンポなレコードの曲が微かに流れていた。ルイの好きな曲だ。目を閉じて、私は、そっと、耳を澄ます。記憶の夢に残る泣き声も、オルゴールの音色も、今ここにあるレコードの音楽に優しく置き換え、掻き消していく。

 全部、置いてきたのに。名前と一緒に、私が私であったものを、全部、手放してきたのに。記憶だけは、いつまでも離れない。

 ナキ――その呼び名を自分で決めたのは、血の繋がりを断ち切るため。守りたいものを守るため、その絆と決別するためだ。

 だから、本名では、呼ばないで。

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