Act.5-2

 《調整人コーディネータ》の邸を出ると、世界は既に夜明けを迎えていた。雲ひとつない空から放たれる朝陽が、薄闇に慣れた目に眩しい。

「女神様かぁ……」

 空を染める金色の光を見上げながら、隣でナキが、小さく呟く。

「……信仰が持つ力は絶大よ」

 《運搬人ポータ》の車に向かって歩きながら、私は光から目をらす。

 信仰は強い。良いか悪いかではなく、ただ、強い。明日を生きる麻薬にもなれば、今すぐ死ねる毒薬にもなる。依存性は、きっと、どんなドラッグよりも高いだろう。

「それでも、あの《伝達人メッセンジャ》が、最期に助けを求めたのは……」

 私の親が、私を恋人の生まれ変わりだと信じていたのも、ひとつの信仰だったのだろうか。私を育てるために、生きるために……絶望しないために、みずかほどこした洗脳のようなものだったのだろうか。信じた神様が、いたのだろうか。ぼろぼろの服を着て、ずっと飢えたままで、空っぽの体に男の欲ばかり注がれて、私を産んで、それでも親は、殺されるまで死ななかった。親にとっては、恋人が、神様だったのだろうか。あの《伝達人メッセンジャ》は、笑って死んだ。私の親は、苦痛と恐怖に顔を歪めて、涙にまみれて死んだ。親も、別の神様を信じていたら、何か教えを守っていたら、何か施してもらえたのだろうか。安らかな死くらい、約束してもらえただろうか。

「ルイ」

 ナキの呼ぶ声に、思考を引き戻す。

「……ナキ」

「うん」

「私は……」

「うん……」

「心をみつがせる神様は……嫌い」

「……うん」

 ナキは、静かに相槌を打った。そっと微笑んで、目を伏せて。

「信仰は……絶望を麻痺させるドラッグみたいだね」

 ぽつりと、そう、呟く。

 世界には、金色の朝陽が、ただ降り注いでいた。

 陰に散らばる憐憫なんて、目に入らないみたいに。

 人が生み出した神様は、人に似て、見殺しにするのは得意なのだろう。

 あるいは、見殺しにされてもうらまないのが、敬虔な信者なのかもしれない。

「神様を〝粛清〟したら、どうなるかな」

「さぁ? 地獄に落とされるんじゃない?」

「それって今もじゃん!」

 ナキが笑う。つられて私も、少し笑った。

「救いが約束されているなら、いつ死んでも良くなるのかな」

 車に乗り込む。まばゆい朝陽に背を向けて、車は静かに走り出す。

 飢えた人が祈ったって、空腹を満たせるわけじゃない。

 病める人が祈ったって、病気が治るわけじゃない。

 パンや薬が貰えたなら、信仰にすがる必要なんてなかった。

 絶望せずに生きられる道があったなら、人を殺す必要だってなかった。

「……白薔薇の会……」

 操られた《キャスト》たちは、安らかな心で死んでいったのだろうか。



 私たちを乗せた車が新市街の端に差し掛かった頃には、陽は大分高くなっていた。街は私服姿の人たちで賑わっていて、世間は今日、休日なのだと知る。

 ふと、コミカルな音楽が聞こえてきて、窓の外に目をった。

「……移動遊園地……」

 隣でナキが呟く。大きな瞳が、小さく瞬きを打った。

 大通りに面した広場の入り口に、大きな垂れ幕が掛かっていて、カラフルな衣装をまとったスタッフが案内の看板を掲げている。

 ナキは、じっと広場の先を見つめていた。

「ごめん、《運搬人ポータ》、ここで降ろして。後は自分たちで帰るから」

「ルイ?」

 切り出した私に、ナキが驚いた顔で振り返る。

 軽く小首を傾けて、私は小さく笑った。

「見たそうな顔してるように見えたけど、違った?」



 移動遊園地の広場は、沢山の人で賑わっていた。様々なアトラクションをはじめ、食べものやゲームの屋台も所狭しと並んでいる。仕事着である黒のスーツのままで歩くのは望ましくないし、職業柄、警戒を解くこともできないけれど、行き交う人は皆、自分たちが楽しむことに夢中で、私たちに目をとめる人は誰もいなかった。

 ナキと並んで歩きながら、私は、ふと、ナキの瞳が、アトラクションや屋台ではなく、それを楽しむ人たちを映していることに気がついた。

「乗ってみたいアトラクションとか、プレイしたいゲームとか、ある?」

「んーん。私は、ここにいる人たちを見ていたい」

 ルイは? とナキが私に瞳を向ける。澄んだ硝子のように、私を映して。

「私も……」

 小さく苦笑して、私は答えた。

「自分が楽しむ側になりたいとは、思わないかな」

 しばらく屋台に沿って歩くと、開けた場所に出た。広場の中央だった。それまでゆっくりと、けれどよどみなく歩いていたナキの足が、止まる。大きな回転木馬が、あどけない音楽に合わせて回っていた。ちょうど正面のベンチが空いていて、すぐ傍に軽食の屋台もあったので、私たちはコーヒーとサンドイッチを買い、回転木馬を眺めながら、少し遅い朝食を取った。

「遊園地って、いいな。幸せそうに笑う人たちを、沢山、見られるから」

 サンドイッチを頬張りながら、ナキは、じっと回転木馬を見つめている。優しい瞳で、微笑みながら。

「ナキは、幸せそうに笑っている人たちを、見るのが好き?」

「うん。……最近ね、やっと、自分が好きだと思えることを見つけたの。それが、これ。見ていると、なんだか安心する」

「安心?」

「うん。世界には、ちゃんと、幸せがあるんだって」

 普段なかなか見えないだけで、世界から幸せが消えてしまったわけじゃないんだって。

「……そっか。そうだね」

 私もうなずいて、コーヒーを一口、飲んだ。

 遊園地は、幸せを享受できる人たちが集まっている。

 その幸せは、自分には縁がないだけで。

 お金と同じように、幸せも、あるところには、ちゃんとあるのだ。

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