Act.5

Act.5-1

 第九機関は、本部を持たない。任務に合わせて暫定拠点アジトを設けることはあっても、他の〝おもて〟の機関のように、構成員が常駐する建物はない。第九機関の《キャスト》は、表に認識されることなく、この国の各所に散らばり、水面下でネットワークを形成している。特に、指揮官である《調整人コーディネータ》は、組織の人間以外に居所をつかまれないよう、不定期にやしきを変えていた。

 今の《調整人コーディネータ》の邸は、新市街の中心部にあった。官僚や政治家の自宅も多い、高級住宅街の一角だ。高い鋼鉄の柵に囲まれた、二階建ての黒煉瓦れんがの邸。古びてはいるけれど、手入れは行き届いていた。

 門の脇に立つ守衛にボディチェックを受け、中に通される。直線状に伸びる長い石畳のアプローチには、外灯が等間隔に並び、重厚な扉の前まで煌々こうこうと光をいていた。中庭を囲んで、ロの字型に建てられた邸だった。庭園に花はなく、瑞々みずみずしい常緑樹が、夜明け前の蒼褪あおざめた光の中にたたずんでいた。

 吹き抜けの螺旋らせん階段を上がり、二階の最奥の部屋へと進む。

 薄明かりに浮かぶ書斎。

 仕立ての良いアッシュグレイのスーツに身を包んだ青年――《調整人コーディネータ》が、窓際の文机の椅子に掛けていた。私たちの入室に合わせて、静かに席を立つ。すらりとした華奢な体躯。柔らかな銀の髪が、さらりと肩を流れる。怜悧な光をたたえた切れ長の瞳に、柔和な笑みを浮かべ、《調整人コーディネータ》は私たちを迎えた。傍には《護衛人ボディガード》が控えていた。《調整人コーディネータ》とは対照的に、かっしりとした体つきをした、長身の男だった。無表情で無愛想に、微動だにせず、モスグレイのスーツのポケットに手を入れ、目を伏せている。

「……〝女神の降臨を〟……?」

 私たちの報告を聞いた《調整人コーディネータ》が、口もとに軽く指を当て、瞳を巡らせた。

「……何らかの暗示をかけられていた可能性が高いか……」

 《調整人コーディネータ》は、視線を上げ、私たちを見た。瞳にぎった一瞬の逡巡。私たちに話すべきか思案した様子だった。

 一度、唇を引き結び、小さく息をついて、《調整人コーディネータ》は言った。

「実は、この数か月のあいだに、《キャスト》たちが次々と不審な死をげている」

「不審な死……?」

 眉をひそめたナキに、《調整人コーディネータ》がうなずく。

「元々は、別のチームが調査に当たっていた。先月、その調査を指揮していた《調整人コーディネータ》が死んで、僕が引き継ぐことになったが……」

 その矢先に、今回の事件が起きた。

「記録によると、事の発端と考えられるのは半年前。一人の《運搬人ポータ》が、任務の後、車ごと海に転落した。乗っていた《削除人デリータ》を含めて全員が死亡。このときは、単なる拡大自殺のひとつとして処理された」

 私たちの組織において、ひいては、この国において、自殺は決して珍しいことじゃない。あまりにもありふれていて、見飽きられてしまった悲劇の一幕だ。昔は自殺というだけでセンセーショナルに取り沙汰された時代もあったらしいけれど、今は余程の有名人でもない限り、報道もされない。メディアの倫理がどうとかじゃなく、単にもう、他人の自殺に心を動かされる人間は、この国には、ほとんどいないのだ。生きたがる人間が生きるのも難しい国に、死にたがる人間まで生かす余裕はない。

「次の事件は、数日後。《削除人デリータ》が、ペアを組んでいた相手と拳銃自殺。ふたりは同棲するほど親しかったようだから、無理心中だろうということになった」

 だが……と、《調整人コーディネータ》の声が低くなる。

「三件目は、その翌週。任務の後、《削除人デリータ》の一人が、現地解散の直前、銃を乱射。その場にいた《削除人デリータ》三名を殺害し、自殺。……以降も、同様の事例が短期間に相次いだ。さすがに組織の上層部も、おかしいと気づいたよ。これは本当に、拡大自殺なのか。あるいは……組織に叛逆する、一種の自爆テロなのか」

 心臓が、いやな跳ね方をした。隣のナキも同じだったらしく、ふたりで顔を見合わせる。

「私たちが任務に就いていた……倉庫の爆発も……?」

「おそらくは」

 《調整人コーディネータ》はうなずいた。

「決定的だったのは、調査を指揮していた《調整人コーディネータ》の死だ。その《調整人コーディネータ》は、《護衛人ボディガード》に殺された。……《護衛人ボディガード》も、その後、みずから命を絶っている」

「っ……《護衛人ボディガード》が……⁉」

 耳を疑う話だ。《護衛人ボディガード》は、最も《調整人コーディネータ》に忠誠を誓える人間が選ばれる。《護衛人ボディガード》が《調整人コーディネータ》を殺すなんて、想定されていない。そんなことが起きれば、組織は、誰を信用すべきか分からなくなる。

「調査は、限られたメンバーで極秘に進められていた。《キャスト》のあいだに話が広まれば、組織全体が疑心暗鬼の渦に呑み込まれる。……あるいは、それが、何者かの狙いなのかもしれないが……このままでは、僕たちの組織は、内側から瓦解がかいしかねない」

「何者か……?」

「分からない。現時点で、第九機関は、完全に後手に回っている。仮に、敵から何らかの洗脳を受けた《キャスト》が放流されて、第九機関に送り込まれているとして、その《キャスト》を見分ける方法が、今の僕たちにはない」

 けれど……と、《調整人コーディネータ》は小さく笑みを浮かべ、私たちを見た。

すべなく敵に内部崩壊させられるほど、僕たちは無能じゃない」

 そう言って、《調整人コーディネータ》は、文机の引き出しから、一冊の書類の束を取り出した。

「仲間を殺して自殺した《キャスト》を、便宜上、〝叛逆者〟と呼ぶとして……これは、その叛逆者たちの、過去の行動をさかのぼって調査した記録だ」

 第九機関の情報網は、公安を遥かにしのぐ。不審な施設への出入りがあれば、すぐに探知されるはずだ。

「興味深いことに、彼らに不合理な行動は、ひとつも見られなかった。彼らは皆、事件を起こすまで、何の変哲もない日常を送っていたんだ」

 洗脳を施すには、その場所まで対象を連れていく必要がある。だが、彼らに拉致された形跡はない。それに、叛逆者となった《キャスト》には、実戦経験豊富な《削除人デリータ》もいる。彼らを拘束するのは容易ではない。

「それじゃあ……」

 私は首を傾げた。不審な行動がなかったのなら、手掛かりは……? そんな私の疑問を感じ取ったのか、《調整人コーディネータ》が、笑みを深める。

「そう。僕たちにとっては、何の変哲もない日常だった」

 ぱさり、と書類を文机に置き、《調整人コーディネータ》は言った。

「人によって、日常は様々だ。起床して、食事をして、仕事をして、就寝する……それ以外に、どこまでを日常と見なすか。人によっては、ギャンブルかもしれない。セックスかもしれない。ただ、僕たちにとって、高確率で日常に組み込まれる行動がある……仕事による負傷で、病院にかつぎ込まれることだ」

 常に命の遣り取りの只中ただなかにいる私たち《キャスト》が、毎回無傷で任務を完遂できるのは稀だ。ただ、《キャスト》が搬送される病院は、第九機関が関与する一部の医療機関に限られる。

 その病院に、敵が……?

「僕たちが治療を受ける病院は、組織が関与しているとはいっても、完全に組織の一部というわけじゃないし、そこで働くスタッフは、もちろん《キャスト》じゃない。監視の目は備えていたけれど、《キャスト》と比べれば緩かった。組織のセキュリティの脆弱性が、そこにあったと言わざるを得ない」

 敵は、そのことに気づき、そこを突いた。

「叛逆者たちは皆、過去に、或る病院で、治療を受けた履歴があった。けれど……その病院を調査しても、不審な点は見当たらなかった。病院が、組織的に、一連の事件に関与していたわけじゃない。ならば、考えられるのは、スタッフだ。そこで、叛逆者の治療中に接触した、全てのスタッフを調べた。なかなか骨が折れたけれど、おかげで特定することができたよ」

 資料の束の中から、《調整人コーディネータ》は一枚の書類を抜き出し、私たちに差し出す。

 一人の初老の男の、顔写真付きのプロフィールだった。

「……精神科医……」

「そう。……叛逆者たちは皆、入院中、主治医とは別に、彼の診察を受けていた。そして退院後、彼らは月に一度か二度の頻度で、定期的にカウンセリングに通っている。足跡を攪乱かくらんするためか、別々のカウンセリングルームが指定されていたが、この医師が共通して派遣されていたこともつかめた」

 私たち《キャスト》のメンタルケアは、機関に重要視されていない。体調管理と同じ、セルフケアのひとつと見なされている。そこも相手に――敵に、突かれたのだろう。

 第九機関は、その組織力によって、外からの攻撃には鉄壁の防御を誇ったけれど、一度ひとたび、構成員が〝感染〟し、内側に入り込まれて潜伏されれば、〝発症〟して牙を剥かれるまで、はじき出せる免疫はなかった。組織としては強かっただろう。けれど、その構成員が、意に反した暴力には打ち勝つ戦力を持っていたとして、心まで全く弱さがないとは限らない。

「では、《調整人コーディネータ》は、この精神科医と接触を……?」

「うん。試みたのだけどね、駄目だった。一足早く、口を封じられていたよ」

 でも……と、《調整人コーディネータ》は、薄い笑みを崩さないまま続けた。

「敵が駒を始末したということは、僕たちがそれだけ敵に近づくことができているということ。そして、敵もそれに気づいているということだ。いつまでも後手に回っている僕たちじゃない。相手の眉間に、必ず〝粛清〟の銃口を突きつけてみせる」

 ひらり、と《調整人コーディネータ》は、プロフィールの書類を軽く振った。

「彼が出入りしていた先を洗い出し、疑わしい施設や団体を絞り込んでいたところだった。そして……君たちの報告を聞いて、浮かび上がった存在が、ひとつある」

 《調整人コーディネータ》が口角を上げた。たたえていた薄い微笑に、挑戦的な色が混じる。

「白薔薇ばらの会。女神の信仰を特徴とする、新興の宗教法人のひとつだ」

「……女神……」

 私たちが相対した《伝達人メッセンジャ》の言葉を思い出す。――〝女神の降臨を〟。確かに、彼女は、そう言った。

「教団そのものが敵なのか、それとも、教団の中に敵がいるのか、その見極めを、これから至急、行っていく。疑わしいからといって、教団の関係者全員を〝粛清〟するような、ホロコーストは僕の主義じゃないからね」

 そう言って、《調整人コーディネータ》は微かに嘆息した。

「問題は、現時点で、組織の内部に、洗脳を施された叛逆因子が何人存在するかだ。過去にその病院で治療を受けた《キャスト》のうち、その精神科医と接触した可能性のある人間の洗い出しを進めているけれど、完了まで、まだ時間が掛かる。疑いなく動かせる《キャスト》は貴重だ……君たちのように」

 知らないうちに、私たちも調べられていたのか。私は思わず瞬きをする。

「君たちには、今後、この件で任務を受けてもらう。今は数少なくなってしまった、僕が《調整人コーディネータ》として信用できる《キャスト》として」

 よろしく頼むよ、と《調整人コーディネータ》は微笑んだ。私たちはそろって頷き、それに答えた。

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