Act.4-3

 短い夏が、終わりに近づいた頃。

 特に大きなアクシデントに見舞われることなく仕事を終えられた日だった。

 私とルイのペアと、もう一組の《削除人デリータ》で当たった今回の仕事は、反政府派の事務所をひとつ潰すこと。《標的ターゲット》の数も少なく、私とルイの二人だけでも難なくこなせたんじゃないかと思うくらい、スムーズだった。

 けれど、

「また言われたねぇ……」

 《運搬人ポータ》の車に乗り込みながら、私は小さく嘆息する。

「……〝独裁のいぬ〟かぁ……」

「否定はできないわね」

 後部座席に並んで座り、ルイは静かに相槌あいづちを打つ。

 トリガを引く直前、《標的ターゲット》が、私たちに向かって吐き捨てた――独裁の狗め、地獄に落ちろ――よくぶつけられる言葉だ。私たちが〝削除〟する《標的ターゲット》が全て、〝おもて〟の機関が手を出せない権力者の汚職や麻薬の密売、武器の不正取引といった分かりやすい悪のかたちをしているとは限らない。第九機関が司るのは〝粛清〟で、組織設立の発端はクーデターの阻止だ。つまり、現政府にあだなす存在は、全て《標的ターゲット》になり得るということ。

 裏社会の公僕――第九機関の《キャスト》のことを、そう揶揄やゆする人たちもいる。

「正義の味方じゃないもの、私たち」

「……だよねぇ」

 旧市街の廃ビルのあいだを、車は進んでいく。過去の侵略や内戦で穿たれた銃痕が残る壁に、大きく描かれたグラフィティ・アート。卑猥な言葉や、欲望の主張、誰かと誰かが誓った愛の言葉と刻んだ名前、当時の風刺画……いつか、その中に、正義の言葉や聖画像イコンの描かれる日もあるだろうか。

 車の窓を開けて、夜風を入れる。この国の夏は刹那だ。涼しさを楽しむ間もなく、寒さに凍える季節が来る。空にはまだ夏の星座が瞬いているのに、夜風の温度は、もう秋を先取りしていた。それでも、仕事を終えて火照った体に、冷たい風は心地良くて、私は、そっと、目を細める。

 銃声が聞こえたのは、その時だった。

「っ、なに……」

 続けざまに二発。そして、少し遅れて、一発。前方からだった。

 《運搬人ポータ》が驚愕の声を上げ、大きくハンドルを切る。急ブレーキ。とっさに手を伸ばし、私とルイは互いに体を支え合いながら、素早く銃を抜いた。

 すぐに状況を確認する。私たちの車が狙われたわけじゃない。

 前を走っていた、もう一組の《キャスト》たちが乗った車を見る。廃ビルに激突して、それは止まっていた。リアガラスが血に染まっている。

 第二撃が来るかもしれない――《運搬人ポータ》が車を建物の陰へと回し、これ以上の狙撃を防ぐ。身を伏せ、しばらく様子をうかがったけれど、周囲に動きは感じなかった。

 そもそも……と私は眉根を寄せる。狙撃なら、銃声は、もっと遠くから聞こえたはず。けれど、さっきの音は、すぐ近くで聞こえた。

 あの車の中から……?

 ルイに視線を送る。ルイも同じことを考えていたらしい。瞳を交わして、うなずいた。

 《運搬人ポータ》と《伝達人メッセンジャ》を車に残し、注意深くドアを開け、私たちは車を降りた。

 血まみれの車は沈黙したまま、中の人影が動く様子もない。

 銃を構え、警戒しながら、私たちは近づく。

 最初に見えたのは、後部座席の《削除人デリータ》の二人。ひとりは胸を、もうひとりは眉間を撃たれて、即死している。

 顔を見合わせて、私とルイは小さく舌打ちした。

 聞こえた銃声は、三発。そのうち二発は、この二人に使われた。

 状況から考えて、あと一発は《運搬人ポータ》だ。

 この車に乗っていたのは四人。簡単すぎる消去法。

 ゆっくりと、助手席に近づく。

 相手は、おそらく、私たちを待ち伏せして撃つつもりだろう。けれど、私たちは相手を殺すわけにはいかない。下手に追い詰めて死なせるわけにもいかない。生かしたまま拘束して、《キャスト》を殺した理由を聞き出す必要がある。

 どうやって……?

 例えば公安なら、投降するよう呼びかけることもあるのかもしれない。けれど、その方法が取れるのは、捕まった後の身の安全が保障される望みがある場合だけだ。こんなことをして捕まれば死はまぬがれない組織だと知っている相手には使えない。

「私に行かせて、ルイ」

 小声でルイに耳打ちする。ルイは僅かに眉をひそめたものの、他に方法はないと、うなずいた。

 軸足に力を込め、銃を握り直す。ルイとアイコンタクトを交わし、私は助手席のドアの前に踏み出す。

 瞬間。

 窓硝子の向こうで、ひらめく銃口。

 響き渡る銃声。

 砕ける硝子。

 私の耳の端を、銃弾がかすめていく。

 さすがに、危なかったな。

 これ以上、至近距離だったら、かわせなかったかも。

 ドアのロックを壊して、開ける。

 二発目のトリガが引かれる前に。

 素早くルイが相手の腕をつかみ、銃を取り上げ、車から引きずり出して拘束する。

「……貴女は……」

 私は思わず瞬きをする。栗色の短い巻き毛に雀斑そばかす……先の仕事で、爆発した倉庫を前に私たちの無事を喜んでくれた《伝達人メッセンジャ》だった。

 けれど、それ以上に私の胸をざわめかせたのは、彼女の表情だった。

 地面に引き倒され、動きを封じられているのに、彼女は、まるで陶酔したような、穏やかな微笑を浮かべていた。瞳も、私たちを見ているようで見ていない。どこか幸福な虚空を眺めているみたいだった。

 その瞳が、ふっと、私に、焦点を結んだ。多幸感にうるんでいた雫が、すがるような涙に変わる。

「……助け……て……」

 微笑の消えた唇から、言葉が、こぼれ落ちた、瞬間――

 彼女の口から、泡の混じった血があふれた。

「っ、なに――」

 毒だ。でも、いつ飲んだの? 口の中に毒薬のカプセルを仕込んでいた? 違う、そんなはずない。それなら、ルイが拘束したときに気づいて抜いたはずだし、何かを飲み込んだり、噛み砕いたりした様子もなかった。だとすれば、服薬したのは、もっと前……。

「……ナキ……?」

 考えるより前に、体が動いていた。

 彼女の傍に膝をつき、彼女の手を握りながら、もう片方の手で、彼女の胸に銃を押し当てる。ちょうど心臓の真上に。

 どうしてかな。

 助けてって、言われたからかな。

 こうしなきゃって、思ったの。

 こうしたいって、思ったの。

 毒で死ぬのは苦しいから、早く銃で楽にしてあげる。

 独りきりで死ぬのは寂しいから、せめて私が手を握っていてあげる。

 本当は、背中を撫でて、眠れるまで抱きしめてあげられたら良かったけど――

 あぁ、それは、あの子にしていたことだった。

 あの子に、してあげていたことだった。

 頭の中に、ノイズが掛かる。オルゴールの音色。あの子の泣き声。

 ごめんね、ごめんね、助けられなくて、ごめんね。

 早く、早く、楽にしてあげなくちゃ。

 今は、銃が、あるんだから――

 目を伏せて、トリガにかけた指に、力を込めたとき、

「……め……がみ……の…………」

 私の手を握り返し、ささやくように、彼女は言った。

「え……?」

 私の手が、止まる。

 頭のノイズが晴れ、私は、はっと我に返る。

 私……今……?

 途惑とまどう私を、彼女は見つめた。

 再び、うっとりと、陶酔したように笑って、

「……女神の……降臨を…………」

 ふっと、彼女のまぶたが閉ざされる。私の手の中で、彼女の手から力がほどける。

 安楽の表情を浮かべて、彼女は死んだ。

 何が起きたのか、何が起きているのか、分からない。

 夜のいただきを吹き抜ける風が、ひやりと首もとをかすめていく。

 彼女の言葉の意味は、一体……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る