24 クリスマス・イブ
真っ白な天井が目に入った。全身がだるい。私は何とか上半身を起こした。病院のベッドのようだった。
膝の方を見ると、アダムが突っ伏して寝ていた。ずっとここに居てくれたのだろう。時計を見ると、夜の九時だった。
クローゼットには、私のコートがかけられていた。ポケットの中に、財布とスマートフォン、それにタバコとライターがあった。
私は左手薬指のリングを外し、ベッドサイドに置いた。そしてコートを羽織り、アダムを起こさないようそっと病室を抜け出した。
そう。私は全てを思い出したのだ。ここから先は、一人で向かわねばならない。そんな気がしていた。
雑踏に出ると、若者たちが騒いでいるのが聞こえてきた。
「メリークリスマス!」
そうか。今日は、クリスマス・イブだ。駅前にはイルミネーションが灯り、街中を祝福しているかのようだった。
私は迷わず高速バスに乗った。高鳴る胸を押さえつつ、私はバスに揺られていた。途中でスマートフォンの電源を切った。
「確かここだ……」
私は寂れた商店街に居た。もう全てのシャッターは下りていた。その一つ一つに見覚えがあった。ここは私が育った町だからだ。
商店街を抜け、一軒のアパートへ私は赴いた。ためらわずに二階へと上がった。表札は、他人のものになっていた。
私の本当の名前は
弟の名前は――
「クソっ……折角ここまでたどり着いたのに」
父が死んでから、母は夜の仕事を始めるようになった。夜中は夕貴と二人きりだ。励まし合いながら、長い長い夜を過ごした。
そして、私だけでなく、夕貴も能力が発動した。身体を透明にできる能力だ。私たちは母に気味悪がられ、彼女は酒に溺れた。次第に私たちを殴るようになった。私は身体を硬化させ、夕貴を守った。
それから、母が自殺したのは、私たちが十四歳のときだ。
「そうだ、飴屋……」
私は雑居ビルに入った。その二階だ。しかし、扉は固く閉ざされていた。もうここには誰も居ないのかもしれない。
母から見放された私と夕貴は、生きるために「飴屋」になった。それは私たちが十五歳頃のときだ。高校なんて行く余裕が無かった。私たちは飴を売ることで、生計を立てていたのだ。
雑居ビルを出て、飲み屋街に向かうと、サンタ服姿の客引きの女の子たちが、暇そうにスマートフォンをいじっていた。その脇をすり抜け、私は牛丼屋に入った。夕貴とはよくここに来ていた。まだあったのか。私はカルビ丼を注文した。特盛だ。
「紗也は本当によく食べるね」
夕貴の声が頭に響いた。彼は私と違って食の細い方だった。その割に背は高く、ひょろっとした体型をしていた。私はカルビ丼をむさぼり食った。
さあ、これからどうしたらいいだろう。こんな記憶を思い出した後では、もうアダムの元へは帰れない。だって、飴とは、合成麻薬のことだからである。
私たちは大人たちに指図され、その麻薬を売っていた。立派な犯罪者だ。これが本当の自分。薄汚い、ドブネズミのような存在。
それから手を切りたくて、私と夕貴は逃亡を企てた。それがあの砂浜だ。私たちは見つかり、海に顔を押し付けられた。そして、夕貴は死んだのだ。ぐったりとした彼の青白い顔を、鮮明に思い出した。
「行かなきゃ……」
私は電車に乗り込んだ。あの日も夕貴と一緒にそうしたのだ。降りる駅は分かっていた。海に向かうと、容赦なく風が私の皮膚を刺した。凍えながら砂浜に着くと、そこに居たのはアダムだった。
「アダム……何で……」
「ここに居たら、ユキに会えると思いましてね」
「どれくらい待ってたんだよ」
「さあ、分かりません。あなたが居ないことに気付いてから、すぐここへ来ました」
顔に手を伸ばそうとしてくるアダムを、私は振り払った。
「ユキ……」
「思い出したんだ。全てのことを。だからもう、アダムとは一緒に居られない」
そう言うと、アダムは目を見開いた。
「どうしてです。話して下さい。ユキの過去に、何があったんですか」
「言えねぇよ。言ったら、きっとアダムは幻滅する」
「そんなことはありませんよ」
「いいや、ダメだ。もう私は一人で生きていく。機動隊も辞める。ここでサヨナラだ」
「ユキ!」
アダムは私の手を掴んだ。ブルブルと震えていた。
「僕たちは、パートナーでしょう!? 僕はあなたを守ると決めました。例えどんな過去があったって、それは変わりません。だから教えて下さい!」
「嫌だ!」
「ユキ! 僕たちにとって、この三年間は何だったんですか!? そんなに僕が信頼できませんか!?」
私はアダムの手を振り切った。そして、駆け出した。
「家で待っていますから!」
アダムは追いかけてこないようだった。無性に酒が飲みたかった。
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