05 本気の勝負
渚のパートナーの女性の名は
「はぁ……汗のいい匂いがするよぉ」
「やめろこの変態」
音緒をぐいっと引きはがした渚。目は淀み、心底嫌そうな顔をしていた。音緒が言った。
「いいじゃない本当のことなんだから」
「あのなぁ」
渚のうなじに鼻を近付け、音緒はうっとりと目を閉じた。そのボケた頭を渚はチョップした。
「いたぁい」
「黙れ」
二人はいつもこんな感じだ。汗の匂いくらいかがせてやってもいいのにと私は思うのだが、渚の感覚は違うらしい。私は床にへたりこんだまま、彼女らのやり取りをぼんやりと眺めていた。音緒がすがりつくように言った。
「だって、渚と会うの久しぶりなんだもん。渚成分を補給したい」
「何が久しぶりだ。昨日休んだだけだろうが」
彼女らは一緒には暮らしていない。同じ宿舎の隣同士の部屋だと聞いていた。昨日有給休暇を取ったのは渚だけで、彼女のことだからのんびり映画でも観て過ごしたのだろう。なおも渚にくっつこうとする音緒を制したのは、アダムだった。
「音緒さん。過度なスキンシップは嫌われますよ?」
じとりとアダムを見上げた音緒は、渚から離れた。
「渚と触れ合ってないとアタシ死ぬ」
渚が辛辣に言った。
「じゃあ死ね」
「渚ひどーい」
こんなやりとりは平常運転。私もアダムもすっかり慣れっこだった。そして、ここではおちゃらけている音緒だが、「任務」となると人が変わる。それに、渚とのパートナー歴は私とアダムより長い。十八歳の頃から彼女らは組んでいて、今二人とも二十六歳だから、もう八年間もこの仕事に携わっている。
私と渚との実力差もあるし、本当のところ、私はこの二人には敵わないのだが、それを口に出すのは悔しいので絶対に言わないでいる。渚が言った。
「それより、ユキ。お互いパートナーも来てくれたことだし」
私は立ち上がった。
「うん、やろうか」
ちらりとアダムの方を見ると、そういう流れになるのは彼には分かりきっていたのか、スーツのジャケットからストップウォッチを取り出した。彼は言った。
「三分でいいですね?」
私と渚は頷いた。再び間合いを取り、一礼した。ここからは、もっと本気の勝負だ。アダムの声が訓練所に響いた。
「スタート!」
その声と同時に、私は全身に力を入れた。対面する渚の両腕が、鋭い刃物へと変貌を遂げた。これが彼女の能力だ。それを振りかざし、襲ってきた。
カキン!
乾いた音がした。まずは渚の第一打が、私の右腕に当たったのだ。身体を硬化させていなければ、そのまま千切れて吹っ飛んでいただろう。私は後ろにジャンプし、距離を取った。すぐさま、渚は刃物を振りかざしながら、真っ直ぐに突っ込んできた。
「はあっ!」
渚は大きく跳躍し、掛け声をあげながら刃物を振り降ろした。それを私は両腕で受け止めた。まずい、今日は何だか調子が出ない。生理のせいか。防戦一方ではダメなのに。私は渚が着地したタイミングで、蹴りを繰り出した。しかし、いともたやすく避けられた。
「渚ぁー! 頑張れー!」
音緒が大声を張り上げた。渚は表情一つ変えず、真顔のまま再び突っ込んできた。今度は突きだ。しかも、何本も。必死に避けようとするが、やはり当たってしまう。
カン! カン! カン!
弾いても弾いても、渚の力が緩まることは無い。私はゆらりと身体を右に滑らせ、重心を変えた。そうしてフックだ。けれど、渚が気付くのが一瞬速かったのか、空しく虚空を切った。
「あと一分です!」
アダムが叫んだ。もう二分経ったのか。このまま耐えてもいいが、一撃くらいは食らわせたい。私は一か八か、渚のふところに飛び込んでみることにした。
「つっ……!」
渚は初めてひるんだような声を出した。意外だったのだろう。彼女との本気の勝負では、私が耐え忍んだまま三分間が過ぎてしまうことがほとんどだったからだ。私は彼女の胴体を捉えた。いける。打ち込もう。
が、甘かった。
ザシュッ!
刃物がまともにこめかみに当たった。渚は、私の動きを読んだのだろう。
「ストップ!」
アダムの声と共に、渚の両腕が元に戻った。音緒が不活性化したのだ。渚の指が伸び、私の頭を掴んだ。そして彼女は悲鳴をあげた。
「わっ! ユキ、切れてる!」
「えっ、マジで?」
渚は私の頭から手を離し、手のひらを見せた。べっとりと赤い血がついていた。
「大丈夫ですか、ユキ!」
アダムが駆け寄ってきて、私の肩を抱いた。
「あ、何か痛いような気がする」
「診療所に行きましょう、今すぐ!」
そうアダムは言うと、私の手を引っ張った。タオルを持った音緒が近付いてきた。
「とりあえずこれで押さえて!」
私はタオルを受け取ると、こめかみに当てた。みるみるうちに繊維に血が染み込んでいく。これはヤバい。簡単には止まらないやつだ。私はアダムに手を引かれるまま、訓練所を出て、診療所へと向かった。
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