16 音緒の退院
それからの日々は、静かなものだった。特に事件も起きず、私とアダムは事務処理をしていた。渚は音緒の退院まであちらに残ることに決めたらしく、手合わせをすることもできなかった。しかし、私は一人で訓練を重ねた。もし、アダムにも危険が及んだら。今の私ではダメだ。もっと強くならないと。そう思いながら、汗を流した。
音緒が本部に顔を見せたのは、退院の翌日だった。
「いやぁ、みんな、心配かけたねぇ」
事務室に来た音緒は、へらへらと笑っていた。顔色も良く、重傷を負った人間とは思えないほど元気そうだった。私は、音緒の後ろに居る女性が気にかかって聞いた。
「そっちの人は?」
音緒の後ろから、ぴょこんと顔を出した茶髪の女性は、ニッコリと微笑みながら言った。
「音緒の母でございまーす。今回は娘が済みませんねぇ。丈夫さだけが取り柄ですから、この通り大丈夫ですよー」
隊長が席を立った。
「登子ちゃん。来てたのか」
「政直くーん。久しぶり。また白髪増えた?」
彼女が、話に聞いていた音緒の母親なのか。顔も雰囲気もよく似ている。彼女は大きな紙袋を持ってきており、それを隊長に渡した。
「これ、みなさんでどうぞ。クッキーの詰め合わせ」
緊急の用事も無いし、と、診療所から蜜希先生と徹也も呼び、会議室でお茶会となった。私は、初めて会う登子さんに興味津々だった。真正面に座っていた彼女に、私は聞いた。
「登子さんは、どんな能力を持っていたんですか?」
「アタシ? 跳躍力が凄かったの。跳んでからの蹴りが得意でね。政直くん……隊長さんの頭を何度蹴り飛ばしたことか」
隊長は口をへの字に曲げた。
「おい、登子ちゃん。昔話はやめてくれよ」
「いいじゃない。えっと、あなた、ユキちゃんよね? 音緒から噂は聞いてるわ。可愛らしいわねぇ。うちの二番目の娘にしたいくらい」
登子さんは私の手をきゅっと握った。親子揃ってスキンシップが激しいらしい。暖かな彼女の手に、私はなぜか緊張してしまった。音緒が言った。
「ママ、二番目の娘は渚だよ。アタシたち、そろそろ結婚しようと思ってるんだ」
「まあ、そうなの!?」
「おいコラ音緒! 勝手に決めるな!」
渚の調子もいつも通りだ。渚は音緒の腹に軽くパンチを当てた。
「いてててて……」
「嘘つけ。もう完治してるって分かってるんだからな」
会議室は和やかな雰囲気に包まれていた。徹也が淹れてくれた紅茶が全員にふるまわれ、しばらく談笑した。登子さんは、やめてくれと言われた昔話をペラペラと喋り、隊長にうんざりされていた。一旦話が途切れ、登子さんは私に向き直って言った。
「ユキちゃん。あなたが記憶喪失だってことも聞いてる。その上で、こんな任務をしているだなんて、本当に偉いわ。アタシにできることなら、何でも頼ってちょうだいね」
「ありがとうございます」
私にも必ず、生みの母親が居たはずだ。今、どうしているのだろう。もう死んでいて、だから私を探せないのかもしれない。私は音緒と登子さんを見比べた。顔立ちもそっくりだ。私の話をしていることから、普段から親子で連絡は取り合っているのだろう。それが羨ましかった。音緒が言った。
「もう、ママったら。能力も無いし、もう何にもできないくせに」
「お料理は作れますぅー。ねえユキちゃん、いつかうちの店に来てね? ご馳走してあげる」
料理、と聞いて私の心はぱあっと晴れていった。
「ぜひご馳走して下さい!」
アダムが言った。
「彼女、よく食べるので。三人前くらい用意しておいて下さいね?」
「オッケー! 他の隊員のみなさんも、ぜひぜひ!」
お茶会がお開きになった後、隊長と登子さんは二人で話がしたいと言い、会議室に残った。私が事務室の机に座ろうとしたら、渚に肩を掴まれた。
「ねえ、ユキ。久しぶりに、やろうか」
「いいよ。渚、鈍ってねぇだろうな?」
「ユキこそ」
アダムと音緒も誘って、私たちは訓練所に来た。渚は髪を結うと、ニヤリと笑った。
「さーて、最初から全力でいきますか」
「分かったよ、渚」
どうやら戦いたくて仕方がないらしい。それは私も同じだ。いつも通り、三分間の真剣勝負が始まった。渚の刃は、鈍るどころか冴えていた。しかし、私だって音緒の入院中、だらけていたわけではない。ヒュン、ヒュン、と刃が空を切った。
「やるね」
渚の素早い動きに、私は着いていけていた。何発か当たってしまったものの、前回よりも避けられる回数が増えていた。これならいける。渚に隙ができた。瞬間、アッパーを打ち込んだ。
カキーン!
刃で弾かれてしまった。ビリビリと腕がしびれた。また、渚の攻撃が始まった。私は身を低くかがめて、すんでのところで刃を避けた。
「ストップ!」
アダムが声を張った。あっという間の三分間だった。私も渚も、そのまま床にへたりこんだ。
「はぁ、はぁ……ユキ、腕上げたね?」
「まぁね。私だって、これからもっともっと強くなりたいから」
私と渚は、視線、そして拳を交わし合った。
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