03 今夜の夕食
大きく揺さぶられて、私は目を覚ました。
「ユキ。起きて下さい」
「……アダム、おはよ。今何時?」
「夜の七時です。買い物してから帰りましょう」
私はアダムと一緒に診療所を出ると、彼のシルバーの車の助手席に乗り込んだ。
「今晩、何がいいですか?」
「オムライス! 卵は五個な?」
「はいはい、分かりましたよ」
アダムは滑らかに車を走らせ、いつものスーパーマーケットに向かった。
「はい、これも」
「ユキ。いくら何でもビール買いすぎですよ。まだ家にもあるのに……」
「今日は私のお手柄だったろ? いいじゃねぇか別に」
重くなった買い物カゴにうんざりしたのか、アダムは顔をしかめた。それでも、私は彼の甘さを知っているから、私は目についたスナック菓子もポンポンと放り込んでいった。真面目にエコバッグを持ち歩いているアダムは、それに食料品を入れ、二つに別れた内の一つを私に渡してきた。
「はい。ユキの買い物がほとんどなんですから、半分くらい持って下さい」
「ちぇっ、分かったよ」
それでも、渡された方のバッグには軽い物しか入っていないことを私は知っている。そんな些細な優しさこそが、このパートナーの本質なのだと、この三年の付き合いでよく理解している。
私とアダムが住む家は、都内の高層マンションだ。その二十階。リビングの他に二つ部屋があり、それぞれの寝室としている。帰ってきて早々、アダムは冷蔵庫にビールの缶を並べ、キッチンの台に卵や鶏肉のパックを置いていった。
「適当に待っていて下さい」
「じゃ、先にビール飲んどく」
「もう……」
私はソファにドカリと座り、缶ビールを開けた。まずはハイネケンからだ。
「ぷはぁ、生き返るー!」
私の今の年齢は、おそらく二十代だ。記憶を失くす前も、酒が好きだったのだろうと思う。特にビール。この苦味がたまらない。しかし、アルコールに強いというわけでは無いらしく、一缶飲み干した辺りから素行が怪しくなってくる。ただ、ここはもう私の家だ。アダムだって居る。今夜はもう、思うままに酒を飲んでやる気だった。
「ユキ、できましたよ」
「待ってましたぁ」
立ち上がってダイニングテーブルに向かおうとするが、もう足取りがおぼつかない。さすがに食事前に二缶はやりすぎたか、と思いながら、席に着いた。
「あー! うまー!」
私のリクエスト通り、卵をたっぷり使ったオムライスは絶品だった。私は料理ができない。それは記憶を失くしたからなのか、失くす前からそうだったのか、よくは分からない。でも、こうしてアダムが美味しい料理を作ってくれるから、する必要なんて無い。
「やっぱりうめぇや。アダムの料理」
「ユキはよく食べますからね。作り甲斐があります」
オムライスを平らげた後、私はソファに戻り、今度はスナック菓子を開けた。アダムが洗い物をしているのを尻目に、三本目のビールに突入した。
「それだけ食べるのに、よく太りませんねぇ……」
手をタオルで拭きながら、アダムが近付いてきた。確かに、私は一般女性と比べてよく食べる方だと思うが、全く余計な肉がついていない。胸も無い。痩せの大食いというやつだ。
「僕も頂きますよ」
アダムは私の隣に座り、ハイネケンを開けた。彼は酒に強い。いくら飲んでも酔えないタチなのは、半分流れているというバイキングの血によるものなのだろうか。ともかく、その体質に助けられ、私は心置きなく意識を飛ばすことができる。
「今日は本当によくやりましたね、ユキ」
ふわり、とアダムの手が私の髪に触れた。そして毛先を弄び始めた。
「伸びましたね。そろそろ切りましょうか?」
「いや、まだいいって」
私の髪は、アダムが切っている。美容院の行き方がよく分からないのだ。一度挑戦してみようとしたことがあったが、店の前で尻込みしてしまって、せっかく予約したのに入れなかった。アダムの腕は決して良いとは言えないが、外見には無頓着なのでそれでいい。
そうだ、私にはお洒落をしようとかそういう気も起こらない。メイクのやり方も分からないので常にスッピンだ。
アダムは毛先から手を離すと、ローテーブルに置いてあったオイルライターを手に取った。「c.w」という刻印のされたシルバーの物だ。何でも、父親から譲り受けた物らしい。
「ユキも吸いますか?」
「うん」
「じゃあ、お先にどうぞ」
私はアダムに火をつけてもらい、大きく一息ついた。酔った身体にニコチンが心地よい。アダムも吸いはじめ、リビングには二人分の紫煙が漂った。彼が言った。
「こうしていると、落ち着きますね」
「うん」
ことん、と私はアダムの胸に頭を預けた。彼の鼓動が伝わってきた。私は蜜希先生のような能力は持っていないから、彼の体調がどうとかはよく分からない。ただ、規則正しいそれを聞いていると、次第に眠くなってきた。
「このまま眠っちゃダメですよ。せめて火を消して下さい」
「はぁい」
私は一旦身を起こし、灰皿にタバコを押し付けた。
「もうソファで寝ようかな……」
「構いませんよ。毛布ならかけてあげますから」
その言葉に安堵した私は、再びアダムの胸におでこをこすりつけ、深い眠りに落ちた。
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