第九話 急変する皇太子の態度①
結婚してから半年目になる頃には、使用人たちはすっかり調子に乗って、廊下ですれ違いざまにわざとわたくしへぶつかってきたり、隠しもせずに嘲笑ってきたりするようになった。
本当に程度の低い使用人だとクロエは怒っていた。当然わたくしとて腹が立たないわけではない。しかし騒ぎは起こさず、「これくらい構いませんわ」と微笑んで見せ続けていた。
もちろんヒューパート様には今も知らせていない。
この城にわたくしが滞在するのは離縁するまでの間。あと一年半もすれば城を出ることになる。
その時が待ち遠しくてならないと思いながら、淡々と日々を過ごしていた、ある日のことだった。
昼間だというのにヒューパート様が現れ、激しく扉が開け放たれたのは。
「ジェシカ。お前、ずっと私に黙っていたな!」
扉の向こうに立つ彼はどうやら大急ぎでここへ来たらしく、美しい銀髪を汗でぐっしょりと濡らしている。顔は真っ赤だった。
一体何事だろう。わたくしはなんだか嫌な予感がした。
「大急ぎでいかがなさいましたの、ヒューパート様」
「とぼけるな!」
いつになく怒気を孕んだ声で言われ、思わず首を傾げる。
彼が激昂するような理由が見当たらなかったからだ。
「申し訳ございませんが心当たりがございませんわ。わたくしに何か粗相でもございましたでしょうか?」
「お前に粗相はない。だがお前にも責はある! 使用人からの嫌がらせについてだ。
先ほど廊下を歩いていた際、偶然聞いてしまったのだ。掃除メイドたちが群れてお前の悪口を言って笑い合っていたところを! 問い詰めたら揃って陰口を叩き、嫌がらせをしているというではないか。この件をお前自身が知らなかったとは言わせないぞ」
「あら、そのことですのね」
わたくしはなんでもないことのように答える。
しかしその実、この後どう答え、行動するのが最適解なのだろうと思考を巡らせていた。
せっかくわたくしが黙っていたのに、うっかりヒューパート様に見つかってしまうとは本当に愚かな使用人たちだ。
おかげでこうしてわたくしにも面倒ごとが降りかかる。
「……どうして私にもっと早く言わなかった」
静かに、しかし氷のような声でヒューパート様がわたくしに問うた。
きっとそこにあるのは苛立ちだ。先日、わたくしは何かあれば言えと言われたにもかかわらず今日まで口をつぐんでいた。そのことは責め立てられても当然だ。
「ヒューパート様に申し上げるまでもないくだらないことだと考え、無視しておりましたのよ。嫌がらせといえど、大した内容ではございませんわ。相手はお喋りしか能のない雀に過ぎないですもの。
けれどもしご不快な思いをさせてしまいましたら申し訳ございません。以後、気をつけますわ」
――使用人に侮られるとはお前はやはりどうしようもなくダメな女だ。
――私の言葉に従わないとはどういうことだ。お前は私の妃に相応しくないな。
たとえどんな罵倒を浴びせられても、静かに頷くつもりだった。
けれど、ヒューパート様の口から飛び出したのは予想の斜め上の言葉で。
「お前は何もわかっていない。仕方ない、私が直接愚か者どもに処罰を与える!」
わたくしは思わず目を見開いた。
「……今、なんと?」
「見ていろ。私の妃をコケにしてくれた者どもを地獄の底へ叩き落としてやるからな」
彼の真紅の瞳は、今までにないほどの怒りに燃え上がっているように見えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
彼は本気だった。
ヒューパート様はわたくしを連れ出し、同時に使用人全員を小ホールへ呼び出すと、今までの一部始終をわたくしに話させた。
その上で、一度でもわたくしの陰口を叩いたりそれに同調した者、肩をぶつけるなどしてきた者、わたくし付きの侍女であるクロエにしつこく嫌がらせをするように言った者、果てはそのことを知っていながら内密にしていた者まで、ヒューパート様によって全員が解雇を通告されたのだ。
当然使用人たちは反論していたが、「おとなしく出て行かなければ投獄する」とヒューパート様が言った途端、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
紹介状もなかったのでおそらく彼らが今までのような職を得ることはまずできないだろう。
使用人の七割がいなくなり、城はがらんとなった。
その徹底ぶりにわたくしは震えた。
「どうだ、思い知ったか」
冷たい声で使用人たちの背に声を投げかけるヒューパート様がなんだか恐ろしくなって、わたくしはクロエを伴って部屋へ駆け戻った。
「一体どうしてこんなことに……」
「奥様が皇太子殿下に愛されているからだと思いますよ。奥様から口止めされて言えなかったわたしもとんでもなく叱られてしまったくらいなんですから」
クロエがため息混じりにそう言った。
彼女もヒューパート様に解雇されそうになったのを必死に止めてどうにか専属侍女に留まらせている。非常に危ないところだった。
本当になぜあそこまでしたのかが理解できない。
クロエに言われて改めて考えてみたが、幾度考えたところでわたくしが愛されているということは決してあり得ないのだ。
彼はわたくしのことを普段からろくに見つめもしないくらいだし、わたくしも彼を嫌っている。幼馴染同士だからと恋仲になるのはせいぜい男爵家や子爵家といった下級貴族の次男次女、つまり政略的な婚姻をする意味のない立場の者くらいだ。上級貴族が恋や愛を育むのは婚約をした以降であり、そしてそもそもわたくしたちはずいぶん昔から仲が悪かったのでそのような関係性を持っていない。
そもそも愛されていたとすれば、白い結婚などする必要がないのだから答えは明白だった。
考えられる可能性は一つ。
皇太子妃であるわたくしの陰口を当たり前のように口にするくらいなのだ、使用人の質が悪いのは確実。それを一掃しておきたかったのだろう。
きっとそうに違いない。
そうしてわたくしは自分を納得させた。
それなのに――。
この日からヒューパート様の態度は、信じられないまでに急変することになった。
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