第十話 急変する皇太子の態度

 騒ぎはあっという間に皇帝陛下に聞きつけられ、ヒューパート様は独断で大勢の使用人を解雇したことについて咎められていたようだ。

 しかし彼の行動自体は間違ったものではなかったのですぐに許されたらしく、一刻後には夫婦の部屋へ戻ってきた。


 彼の顔はどこか誇らしげだった。


「ジェシカ、もう安心していいぞ。お前を害する者はこの城から全て摘み出したからな」


「ありがとう存じます。ですが少々懸念がございますわ。これほど大勢を解雇してしまっては王宮での快適な暮らしを維持することができるのでしょうか?」


「そんなくだらないことを心配するな。代わりの使用人は、まともなのをきちんと精査してきちんと雇う」


 きちんと精査して、となれば元の人数程度を雇うには一ヶ月以上かかるだろう。

 その間、普段は掃除等しない侍女や執事までも様々な雑用を負わなければならなくなるに違いない。現にクロエは現在、外で城に残った他の使用人の手伝いをしていっている。

 わたくしはそれを想ってなんとも言えない気持ちになった。


 けれどどうやらヒューパート様はわたくしの態度が気に入らなかったようだ。


「お前が険しい顔をすると、こちらまで気分が曇る。お前はできるだけ笑っていろ」


「……はい」


 仕方なしに、淑女の笑顔を浮かべて見せる。

 わたくしは演技の笑みが得意な方だ。きっとヒューパート様は満足して部屋を出ていくだろう、そう思っていた。


 なのに。


「それでいい。じゃあ、行くぞ」


「え――?」


 思いがけない言葉に驚き、わたくしは小さく声を上げた。

 どこへ、と問う暇もなく、さらに信じられないことが起こる。ヒューパート様がすぐ目の前に立ち、わたくしの腰を両手で抱き上げたのだ。


「今回のようなこと――お前が使用人風情に侮られるなんてことが二度と起こらないようにするためだ」


 そう言いながら、わたくしを横抱きにするヒューパート様。

 あまりに突然のことに言葉が出てこないながら、わたくしは思う。


 ――これは間違いなくあれですわ。お姫様抱っこというものですわ。


 お姫様抱っこは女子の憧れなのよ、と親友のアンナ嬢は言っていた。

 曰く恋愛小説や恋愛劇の中には必ずと言っていいほど出てくるシーンの一つで、王子様的な登場人物に女主人公がお姫様抱っこをされて恥ずかしいやら距離が近いやらであわあわするのが定番なのだとか。


 確かに顔を上げて見てみれば、ヒューパート様の美し過ぎる顔がすぐそこにあった。

 引き締まった唇。つんと高い鼻。目元がキリリとしていて、顔だけで言えば本当に理想的な美丈夫だ。


 だが、角度を変えてもますます美しい顔だとは思ったがただそれだけで、別に彼への印象が変わるようなことはなかった。


「ヒューパート様、一体なぜ横抱きにするなどという手法をお選びになりましたの? 今更仲の良さを城内で演出したところであまり意味がないと思いますし、たとえ演技するとしても優しくエスコートしていただくだけで構わないと愚考いたしますけれど」


「ぬっ……。こ、この方が信用されやすいと思ったのだ。エスコート程度では使用人どもの不信感は払拭できないだろう? 私たちの不仲を信じていない者もいるからな。その者たちに見せつければ万事ことがうまく運ぶ」


 そんなものだろうか。

 わたくしはどうにも同意しかねたが、話しているうちにお姫様抱っこのままで部屋を出てしまっており、今から無理に逃げ出せばわたくしたちの仲の悪さはさらに広まってしまうという結果になることは明らかだった。

 ここは耐えるしかないだろう。


「どうか妙なことはなさらないでくださいませね」


「私が何をすると思っているのだ、お前は」


「そもそも横抱きにしている時点で、何かしているようなものではございませんの?」


 ――もちろんヒューパート様とてわたくしに触れたくて触れているのではないとわかっているけれど、もう少しやり方がありましょうに。


 嫌味を滲ませれば、バツが悪そうに顔を逸らされる。


「細かいことは気にせずお前はただ黙って私に抱かれていればいいのだ」


 なんて横暴な発言。

 どうせわたくしのことなど、皇太子妃という肩書を持った人形のようにしか思っていないのだとわかって、さらに胸に嫌悪感が込み上げた。


「申し訳ございませんがそういうわけにはまいりませんわ。淑女としてはしたない行いではないか、常に気にしていなければなりませんもの」


 可愛げのない女だと思われただろう。

 だというのにヒューパート様はわたくしを地面へ降ろすことなく、城中へ連れ回した。


「お前は何度見ても美しいな、ジェシカ」

「抱き心地が良くて最高だ。ずっとこうしていたいくらい」

「お前のことは絶対に守る」


 使用人が通りかかる度、そんな甘ったるくて最高に嘘くさい言葉を吐き続けながら。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 とってつけたようなおしどり夫婦の演技はその日限りかと思っていたが、意外なことにそうではなかった。

 それからも「私と共に行動しろ。城の中に敵がいたくらいなんだからどこに害意が潜んでるかわかったものじゃないだろう」だとか言って、わたくしの傍にばかりいようとする。

 執務室にいる時間もグッと減って、一日の半分以上を同室で過ごすようになった。


「妃を失ったら困る。これは私のためだ。本当だからな。疑うなよ」


 ヒューパート様はしきりにそう念を押した。


 疑う余地などないし、わたくしはそう簡単には失われたりはしない。

 もっとも一年半後には離縁することになるだろうが、それに関してはヒューパート様は少しの文句もないのだろう。わたくしが妃である期間に問題を起こすことを懸念しているだけなのだから。


 それがわかっていても、態度を急変させた彼には困惑させられっぱなしだったけれど――。

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