第十一話 偽りの甘やかな日々
使用人解雇騒動があって数ヶ月経ってもまだ、気持ち悪いほどに甘ったるい日々は続いていた。
「今日も早いな、ジェシカ」
「ヒューパート様、おはようございます。今朝もとても心地の良い朝でございますわね」
「ああ。……では食事に行こうか」
朝、目が覚めてクロエに身だしなみを整えられているとヒューパート様がおもむろに身を起こし、わたくしと共に食堂へ行くと言い出す。
わたくしとしてはわざわざついて来てくれなくていいし、本当は食事くらい一人で楽しみたいと思う。しかしこれは演技であり、ヒューパート様は重要と捉えているのだから従った方が無難と考える。
食堂への道中はもちろんヒューパート様にエスコートされながらだ。最初の数日はお姫様抱っこだったがそれだけはどうにかやめてもらった。
そして食堂へ着き、朝食が始まってからは、ひたすらヒューパート様と
「お、お前の唇は……このシフォンケーキのように甘かったぞ」
「あら、嬉しいですわ。わたくしも――」
話し続けながら、なんて馬鹿馬鹿しい、と思ってしまう。
わたくしたちが嫌い合っていることなんて、皇帝陛下も皇妃陛下も、以前を知っている使用人たちさえ知っていることなのに。
「ほら、口を開けろ。食べさせてやる」
デザートになれば決まって「あーん」をさせられる。
ヒューパート様曰く、サラ嬢と第二皇子殿下がよく行っているらしい。弟君が羨ましいあまり、わたくしに彼女の姿を重ねることにしたのかも知れない。
わたくしは差し出されたスプーンを口で咥え、全て綺麗に舐めとった。
「美味しゅうございましたわ」
「もういいのか?」
「ええ。あまり甘いものを食べると太ってしまいますもの」
ふふふ、と笑いながらわたくしは席を立ち、ヒューパート様と共に食堂を出た。
行為だけを見るとまるで恋人同士のようですわね、とわたくしは近頃よく思う。
ヒューパート様が執務室ではなく夫婦の寝室で書類仕事を行うようになったので、わたくしもそれを手伝い、日中はずっと分担作業。
休憩時間には部屋の外へ出て、楽しげに言葉を交わす。昼食、夕食も食堂で摂る。
そして夜は同じ部屋で寝るのだ。
――ただし別々のベッドで、だが。
このことは誰も知らない。
使用人たちの総入れ替えはすっかり終わり、部屋の前で立ち聞きをするような者はいないので、知るのは今やわたくしたちの二人だけである。
こういうのを仮面夫婦というらしい。
まるで滑稽な道化のようでなんだか笑えてきてしまう。そしてなんとも形容し難い気持ちに胸が痛くなる。
それでもわたくしは演じ続けなければならない。
ヒューパート様もきっと同じだろう。
彼から向けられる歪な溺愛への気持ち悪さを耐え、嫌悪感を堪えて笑みを作る。
当然、心が通じ合っていることなど微塵もない。
この甘やかな日々は全て偽りだ。
けれど構わない。わたくしたちは偽りを過ごす。過ごし続ける。
――円満な、離縁のために。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そんなわたくしたちの一方で、非常に仲がいいと評判だった第二皇子ハミルトン殿下とサラ嬢はついに婚姻することになった。
結婚式には出席せず、わたくしたちが赴いたのは二人の結婚披露宴。
「愛しのサラ。君の手を離さないよ」
「ふふっ、ハミルトン様ったら」
微笑み合いながら、手を繋いで口付ける二人は、本当に幸せそうだ。
きっとそこに嘘偽りはないのだろう。
ヒューパート様はそちらへ熱い視線を向けていたが、すぐにわたくしを振り返ってこんなことを言い出した。
「私たちもやってみるか」
「あれをですの?」
「そうだ」
――愛しのジェシカ。お前の手を離してなるものか。
――ああ、ヒューパート様。心よりお慕いいたしておりますわ。
そう言い合いながらもお互いの視線が絡むことはなく、ヒューパート様は横目でサラ嬢を追っているのだ。
想像するだけで寒気がした。
「やめておきましょう。本日の主役はわたくしたちではないのですし」
「そうか。それならいいが」
とはいえ、何も取り繕わないわけにはいかない。
わたくしたちは「あーん」でデザートをそれぞれ食べさせあったり、それ以外の時間も他の令嬢令息が割り込む隙がないほどべったりくっつくなどした。
それでも第二皇子殿下たちの生粋の甘さの前には霞んでしまって、どうしようもなく虚しい。
結婚を機にサラ嬢改めてサラ様と呼ぶべき彼女は王宮へ入り、城の至るところで第二皇子殿下と戯れている姿を見かけるようになった。
それに負けじとヒューパート様はわたくしへの溺愛の演技を強くする。
例えば、わたくしの誕生日がやって来ると、過剰なくらいに盛大なパーティーを開いて祝った。
プレゼントはドレスに宝石。それをわたくしに飾り、「……それなりに似合うぞ」と顔を逸らしながら言う。
孔雀色のドレスは色鮮やかで、ペリドットの首飾りは煌めいている。
我ながらかなり美しいと思うのだが、やはりヒューパート様の好みではないに違いなかった。しかしそれをまっすぐから言うわけにいかず、それなりに似合うという遠回しな言い方をされているのだ。
「お褒めいただきありがとうございます。たいへん嬉しゅうございますわ」
「そ、そうだ。お前のために国中の菓子職人を集めた。ほら、持って来い」
わたくしの目が笑っていないことに気づいたのだろう。ヒューパート様は少し慌てた様子で使用人を呼びつけ、デザートを食堂の卓上いっぱいに並べさせる。
生クリームたっぷりのケーキ、甘酸っぱい香りを漂わせるフルーツタルト、モンブランケーキにシフォンケーキ、スフレ、そしてティラミス……。
「どうだ、すごいだろう」
どれもとても美味しそうだ。これがもしもわたくしのためにと厳選した結果のものであれば喜んだかも知れない。
けれど、これはあまりに雑過ぎる。ただ見た目だけ豪華であればいいという思惑が見え見えだった。
わたくしが一番好むのはビターチョコレートのケーキ。
わたくしを知る者に訊けばそれくらいすぐにわかるはずなのに、数々のケーキの中にそれは含まれていなかった。
漏れそうになるため息をグッと堪える。
「とても素敵ですわ。いただきます」
満面の笑顔に顔の形を固定して、わたくしはケーキへフォークを刺し入れた。
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