第十二話 お茶会を開く
「よくお似合いですよ、ジェシカ様。ジェシカ様は本当に愛されていらっしゃいますね」
着付けをしながらのクロエの言葉に、わたくしは今日も静かな微笑みを返す。
わたくしたちが仲が良いと信じて疑っていないらしいクロエに現実を突きつける気はさらさらない。
ヒューパート様にいただいたドレスと宝石を身につけたわたくしは、確かに愛されているように見えるだろう。
少なくともほんの数ヶ月前まで使用人たちの冷遇されまくっていたとは思えない。誰の前に出ても恥ずかしくない装いができる環境であることはありがたいが、愛されているのではなく白い結婚を悟られないように無駄に飾らされているに過ぎなかった。
けれど今日ばかりはそれがわかっていても暗い気持ちにはならなかった。
だってこれから、久々に彼女に会うのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――辟易することばかりの仮面夫婦生活の不満を和らげるのは親しい友人との与太話に限る。
披露宴から八ヶ月以上経ってようやく都合がつき、アンナ嬢とのお茶会の日程が決まった時のわたくしの喜びは計り知れない。
なぜお茶会を開けるようになるまでこれほど時間がかかってしまったかと言えば、ヒューパート様に止められていたから。
わたくしが一人で外に出ていくのは夫婦仲が疑われるから、一方でアンナ嬢を呼びつけるのはこちらの内情を知られるかも知れないからと言って渋られていたのだ。
しかし他の貴族と交流するのも皇太子妃としての務めの一つ。
そのようなことを言っていてはろくに務めを果たせないと言い続け、この度やっと認めてもらえたというわけだった。
場所は王城の庭園。
わたくし主催という形で、二人きりのお茶会を開く。
庭園で先にお茶を啜りながら待っていると、馬車が王宮の前に静かに停まる音が聞こえてきた。
「……いらっしゃいましたのね」
わたくしが呟いたのとほぼ同時、クロエが淹れたての紅茶がなみなみと注がれたカップを運んでくる。
そして他の侍女たちがアンナ嬢の到着を知らせに訪れ、まもなく彼女は庭園へとやって来た。
「ジェシカ妃殿下、お待たせしたかしら」
「いいえ、そんなことはございませんわ。本日はお越しいただきありがとうございます」
「こちらこそお招きいただきありがとう。今日はたっぷりお話ししたいわ」
アンナ嬢は微笑むと、わたくしの正面に着席した。
わたくしはまもなく人払いを命じ、侍女を庭園から退出させたアンナ嬢と二人きりになる。
しかしそれでも誰が立ち聞きしているのかわからないので注意は必要だが。――初日、わたくしとクロエの会話を盗み聞いていたヒューパート様のように。
けれどそんなことなど知らないアンナ嬢は、目視で無人と確認するとすぐにわたくしに訊いてきた。
「早速、夫婦関係についてお聞きしていいかしら」
「よろしいですわよ」
「白い結婚とおっしゃっていたのは嘘なのかしら? 皇太子殿下が妃を溺愛し始めたっていうのが今社交界で話題なのだけれど」
「あら、そうですのね」
どうやら無事に誤認してくれているらしい。
わたくしはふふふ、と笑った。
「あなたを虐げていた使用人、全員解雇したそうじゃない」
「ええ。あの時はとても驚きました。あまりに突然にやってしまうんですもの、欠落を埋めるために使用人たちが大変そうでしたわ。
しかし、わたくしが愛されているか否かはまた別の話ですわね」
わたくしはそこから、今までの日々について語り始めた。
偽りの溺愛、その全てを。
アンナ嬢はなんとも言えない顔でそれに聞き入っていた。
「――ですから、想い合う夫婦を演じているのは円満な離縁のために過ぎませんのよ」
「そういうことだったのね。事情はわかったわ。
けれど客観的に話を聞いているとどうにもおかしな点があるのよね」
バサリ、と扇を広げながら、アンナ嬢は言った。
その扇はにやける口元を隠すために違いなかった。
彼女はわたくしを揶揄うつもりなのだ。
もちろん悪意からではない。こういう話は真剣に話すと大抵重くなる。なので、場の空気を明るくするのが彼女の狙いなのだろう。
それならと、わたくしはくすくす笑いながら答える。
「まさか実はヒューパート様がわたくしのことを好いているなどという夢想のお話をなさるのではないでしょうね?」
「あながち夢想とも言い切れないわよ。だって、普通、そこまで嫌い合っているのなら、いくら妃が邪険に扱われているといえど、使用人を解雇したり使用人に向けて溺愛アピールをしたりはしないと思わない?」
「ヒューパート様のお人柄を知らないからそうおっしゃるのですわ。彼とわたくしの出会い、以前お話ししたことを覚えていらっしゃいまして? 第一声が
他にも許せないことはたくさんある。
今まで投げつけられた心ない言葉の数々。溺愛のふりをしつつ、決して甘い言葉だけは吐こうとしなかったこと。誕生祝いをしたにもかかわらずわたくしのことなんて少しも見てくれてはいなかったこと。
一つ一つは些細でも、積み上がったそれはもはやどうしようもない嫌悪とでも呼ぶべきものだった。
「あの方と一緒にいるだけ、嫌いになる。そして関われば関わるほどわたくしはヒューパート様に嫌われますのよ」
「ごめんなさい。一応聞いておくけど、ジェシカ妃殿下は本当に、本当に皇太子殿下のことが大嫌いなのよね? 離縁を望んでるのよね?」
「当然ですわ」
どうしてアンナ嬢が歯切れの悪い言い方をしたのかはよくわからなかったけれど、わたくしは頷いておいた。
「……そうなのね。ふーん」
「何か思うところでも?」
「いえ、別に。まああと一年半もないのだし、その間くらいは我慢するしかないわねと思って。ああ、もちろん私の手伝えることなら協力するから気軽に言ってちょうだい」
そのまま彼女は話題をさっさと切り上げて、王都に最近できた人気のスイーツ店の話や、彼女の友人である数人の令嬢の恋愛事情などを話し始めた。
どれもこれも瞳をキラキラさせながら話すものだから、わたくしもなんだか興味が湧いてくると同時に、羨ましく思ってしまう。
「今度一緒に遊びに行かない?」と誘われたが、わたくしは首を振らざるを得なかった。
「きっとヒューパート様に止められますわ。アンナ嬢にこうしてお会いすることさえ認めていただくのが大変でしたもの。外となると……」
「そうよね。新婚夫婦だものね。お誘いしてごめんなさい」
「いえ、構いませんのよ。悪いのはヒューパート様ですもの」
「またいつか機会があればにしましょう」
親友と出かけるくらい、わたくしにも自由があればいいのに。
愛してもいないわたくしをこれほどに呪縛するのは、やはり嫌がらせなのだろうか。
ふと庭園の奥、城の窓に目をやり、わずかにずらされたカーテンの隙間からじっとこちらを食い入るように見つめているヒューパート様を見つけて、わたくしは唇を噛み締めた。
そして改めて思う。
わたくしは彼に少しも信用などされていないのだと。
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