第二十二話 恥ずかし過ぎて真似できない
恋愛小説は虚構、つまりフィクションである。
だから当然全てが真実というわけではなく、恋愛というのがこのように都合のいいことばかりではないだろうことは理解しているが、思いの外勉強になることは多かった。
なるほど、男女の恋愛模様を見ているのは面白いというアンナ嬢の気持ちもわからなくはなかった。
ヒロインは好きな人に一途で前向き、惚れた男を落とすために次々と恋愛作戦を仕掛けている。その健気な姿が魅力的だった。
しかしわたくしはただ単に物語を楽しむわけではない。恋愛小説の中からなるべく多く有用な手段を探そうと努力していた。
料理は相手によっては有力な手段となるようだ。料理でヒーローの好感度を高めるヒロインは結構多い。
それから自由奔放な振る舞いをわざと見せたり、自分から告白するなんていうものもあった。
そのおかげで二人の想いは実って無事に幸せに結ばれることになる。
恋愛小説は概ね結婚式のシーンで終わっていた。結ばれればそれで終わり。白い結婚であれば、改めて愛の誓いをするなど。
しかし――。
「これをわたくしに、真似しろと?」
あまりにも、かけ離れて過ぎていた。
確かに何も知らない田舎娘ならできるのかも知れない。純粋無垢、あるいは恥も外聞もなくただただ男との恋愛を楽しんでいればいい令嬢にならできるのかも知れない。
しかしわたくしは皇太子妃だ。
何もかもをかなぐり捨てて悪女になり、好きな男のためだけに尽くす? 使用人のように料理や掃除をして働いて汗水を流す? 自堕落なお飾りの妻生活を送り、無防備な姿を見せつける?
「……恥ずかし過ぎますわ」
無理だ。そんなことをしたら、ヒューパート様に何を言われるかわからない。
そもそもわたくしはただ、ヒューパート様と少しでも円満な関係になりたいだけ。
恋人の関係になりたいわけではないのにどうしてこのようなことを実践しようとしているのか自分でもわからない。サラ様の口車に乗せられてしまったから? アンナ嬢の勢いに押されてしまったから?
わからない。わからないけれども、もしこれで好感度が上がる可能性があるならばやってみない手はないという考えもあって、わたくしは相反する思考に板挟みにされてしまった。
悪女をわざと演じるのは却下だ。関係改善どころか悪化の未来しか見えない。
公爵家の娘であるわたくしに掃除はできない。料理は……菓子程度ならわたくしでも作れるだろうか。実際、菓子作りを嗜む令嬢の話はよく耳にした。
飾らない無防備な姿を見せつけるなんて考えたこともなかった。常に己の姿勢を律し、生きてきたのだから。
そうして葛藤に頭を抱えていた、その時だった。
「――何を読んでるんだ?」
「っ……!」
突然声をかけられ、ぴくりと肩を震わせながら背後を振り返った。
すぐそこには不審げな目をしたヒューパート様の姿がある。昼間でヒューパート様は執務室にいるからと油断していたのに、何かの用事で戻って来たらいい。
わたくしは慌てて本を閉じる。そしてできるだけ淡々と聴こえるように答えた。
「あら、ヒューパート様、お戻りになりましたのね。少しばかり友人から借りた小説に目を通しておりましたの。ヒューパート様がお気になさるようなことではございませんわ。それより」
そして、やや強引に話題を変える。
「ヒューパート様、今度、視察のご予定がございましたわね」
「ああ」
「わ、わたくしも――」
連れて行ってくださいませんか。そう言えばいいだけ。
しかしダメだ。羞恥心でいっぱいで舌がろくに回らなかった。
国内の視察旅行の中で仲を深める、というのが恋愛小説の一つの中にあった。そしてちょうど最近目にした書類の中に、災害対策のための視察というものがあったはず。
それをうまく利用すればいいのではないかと考えていたのを、早速口にしてみた次第だったが、妃でしかないわたくしがこのように出しゃばるなどはしたないと思われても仕方のないことだった。
サラ様なら――ハミルトン様と心を通わせることができたというサラ様なら、言えるのだろうか。
言えるのだろう。だって不要な羞恥心、いや、臆病ささえ捨ててしまえばいいだけの話なのだから。
けれど結局、わたくしが強気に出られることはなく。
「連れて行ってくれというなら無理だ。結構な危険地帯らしいからな。私一人の方が身軽でいい」
「……そう、ですのね。何かお手伝いできることはないかと愚考してしまい、申し訳ございません」
「ふん」
ヒューパート様は顔を逸らし、目的であったらしいわたくしの整理した書類を手に取ると、早足で部屋を出て行ってしまった。
残されたわたくしは一人、小さく呟く。
「こんなのではいけませんわ。もっとしゃんとしなければ」
わたくしの行動を邪魔しているのは、つまらない矜持とヒューパート様への苦手意識。要は全てわたくしの問題なのである。
離縁までの期間はもう一年もないのだ。ぐずぐずしてはいられなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
とりあえず羞恥心に慣れよう。
ということで、恋愛小説のセリフをこっそりと練習することにした。
「――きっとヒューパート様が喜んでくださるのではないかと思って……参りませんか?」
これは、デートに誘う時の文句。もちろん小説内のヒーローの名前からヒューパート様に変えているし、多少言葉使いも上品にしてはいるが。
しかし、こうして誘う時のもっともらしい言い訳が思い浮かばない。そういえばヒューパート様の趣味は何なのだろう。
「こうしてるとなんだか恋人みたいじゃありませんか?」
わたくしとヒューパート様が恋人だなんてわけ、ない。
「あなたのためなら他の全てを捨てても構わないとさえ思っています」
いや、嘘はダメだ。それにこれでは告白になってしまう。
どんなセリフを口にしてみても、どうにもしっくりこなかった。
セリフだけではない。ヒロインたちの行動――二人きりで出かけようと誘うだとか、それとなく誘惑するだとかを実践してみもした。
しかし、それをうっかり見られてしまった時のクロエの感想は。
「ジェシカ様、大丈夫でございますか。今すぐ王宮医師を……」
「体調はすこぶるよろしいですし、もちろん意識もはっきりしております! 医師を呼ぶようなことだけはやめてくださいませ!」
正気を疑われてしまい、悲鳴を上げながら必死にクロエを止めるなんていう事態に陥った。
その翌日、アンナ嬢とお茶会を開いたので「どうすればよろしいんですの」と助けを求めれば、堪えきれないといった様子で笑われるばかり。
「いっそのこと、その様子を皇太子殿下に見せればいいと思うわ。好感度が爆上がりだと思うけれど」
「冗談をおっしゃらないで」
「これでも結構真面目に言っているのよ? ジェシカ妃殿下の意外な一面、皇太子殿下は喜ばれるんじゃない?」
そんなことをしたら羞恥心で気絶してしまう。というか、ヒューパート様はわたくしの醜態を見たら、直ちに離縁したくなるだろう。
きちんと子作りに問題あり故の離婚にするためには二年待たなくてはならない。だから、アンナ嬢の冗談半分の提案は聞き逃した。
「せっかく面白そうなのに、もったいないわね……」
「残念そうにおっしゃらないで。遊びではございませんのよ」
「だから私も真面目なのよってば。次の手を考えてるところなんだから」
アンナ嬢は思案げな顔をする。
わたくしは、彼女に頼ってもいいものかしらと思いつつも、失敗ばかりの自分に情けない気持ちでいっぱいだった。
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